プロフィール
工藤
その他
プロフィール詳細
カレンダー
検索
アーカイブ
アクセスカウンター
- 今日のアクセス:275
- 昨日のアクセス:191
- 総アクセス数:4505964
▼ sakura釣り
- ジャンル:style-攻略法
桜の時期になると思い出す、幾つかのシーン。
中学の卒業式、べた付く空気に嫌気が差して飛び出し、友人と2人で行った顔振峠。
式でもらった紅白もちを頬張りながら、未来の話だけをした。
高校生のころ、友人の彼女と2人で眺めた夜桜。
相談があるって呼ばれ、郊外の小さな公園で2人。
まずいなぁ・・・と思ったら、やっぱり告られてしまい、好き嫌い以前に義理が大事と断った。
人を裏切る人は、やはり裏切られもする。
まぁ、ちょっと好きだったんだけどね。
レースが忙しくなっても、必ず毎年行く場所があった。
トトロで有名な関東の丘陵にある、静かな湖のほとり。
草原とその傍らにある森に、ポツリと咲いている桜。
このころからなんとなく、群生している桜よりも、森に咲く一本桜が好きになった。
満月の夜、街明かりを抜けて突然広がるその草原。
桜の周りだけなぜか明るく見える。
少し離れて腰を下ろし、ゆっくりといろいろな事を考えた。
みんなは信じてくれなかったけど、たしかにその時に大鷹が一緒に座っていた。
まぁ、桜ってのはそういう力があるもんだと思う。
最近は、桜を眺めながら釣りを楽しむのが好き。
ブラックバスで大きいのを狙っていた時は、雰囲気は好きだったけど現実的にはマイナス要素のほうが大きかった。
散った花びらが湖面に落ちると、ラインに接触して悪さをする。
ゆとりが無かったね。
「大きな魚を釣りたい」という欲は否定しないが、そのために自然を楽しむ心が狭くなってしまっていたのも事実。
いつか書いた事があるかもしれないが、「大きな魚だけを狙っていたことで、釣り人としてすごく残念な結果を生んだ経験」がある。
関東でブラックバスの60cmという目標を持って頑張っていたころ。
とりあえず、50cm以上しか狙わない釣りを繰り返していた。
そのやり方で59cmまでは行けた。
そしてある日、49cmを釣るとがっかりしていた自分に気がつく。
今だからわかるが、釣り人として、こんなに残念な事はない。
昔なら、40cmでも30cmでも、魚が釣れてくれるってことは、最高に嬉しい事だったはず。
ブラックバスの50cm(シーバスで言うと、80cmかな?)は確かに嬉しい事だけど、49cmでもせっかく釣れた魚を「がっかり」はねぇだろと。
そこでロッドを一回置いた。
60cmをあきらめたと言うのもあるし、なんか間違っちゃったほうへ来たかも・・・と気がついたのもある。
未だに「大きい魚が一番偉い」という釣り人は絶えないし、それは一つの楽しみ方でもある。
私もそういうのをたまにはやるし、競技としてもそこが面白い時はある。
狙うという感覚、そしてそれを得た時の快感は、自己満足の世界の中では最高に嬉しいひと時であって良い。
ただ、それが一番だとは思いたくないのだ。
小さくても、外道でも、「魚を釣りたい」というシンプルな欲求を汚れた物にしたくない。
湖面に突き刺すPEライン。
ぶつかった桜の花びらに舌を打つ。
あの時、例えばワンドの奥に溜まった桜の散花の上に、そっとノーシンカーワームを置いて、水面を割るブラックバス(サイズなんて何でもいい)を楽しめなかった自分が哀れだ。
そこに後悔があるから、桜を見る度に「鱸釣りでは、同じミスはしないように気をつけよう」と思っている。
そんな事を思うのが、最近の桜。
今年の釣り桜は、船上から。
ジョイクラフトとマリーナリトルオーシャン合同で、浦安マリーナで行われたジョイクラフトボーと試乗会。
あいにくの雨でしたが、沢山の人が来てくれました。
本当にありがとう。
試乗会終了後に雨がやみ日没までのわずかな時間、プライベートな出船時間が作れたので、ハーモニクスの7f台ショートロッドとタピオス一個をもって、迫る薄暮から逃げるように小さな運河へ。
釣果は、湾の外へ出たところで、50cmくらいのを1本。
ありがたいことです。
釣りができる事への感謝の気持ちを忘れたら、ロッドを置く時だと思う。
さ~ぁ、5月に入ったら、川にデカイの狙いに行くかな!
↑台無し(爆)
中学の卒業式、べた付く空気に嫌気が差して飛び出し、友人と2人で行った顔振峠。
式でもらった紅白もちを頬張りながら、未来の話だけをした。
高校生のころ、友人の彼女と2人で眺めた夜桜。
相談があるって呼ばれ、郊外の小さな公園で2人。
まずいなぁ・・・と思ったら、やっぱり告られてしまい、好き嫌い以前に義理が大事と断った。
人を裏切る人は、やはり裏切られもする。
まぁ、ちょっと好きだったんだけどね。
レースが忙しくなっても、必ず毎年行く場所があった。
トトロで有名な関東の丘陵にある、静かな湖のほとり。
草原とその傍らにある森に、ポツリと咲いている桜。
このころからなんとなく、群生している桜よりも、森に咲く一本桜が好きになった。
満月の夜、街明かりを抜けて突然広がるその草原。
桜の周りだけなぜか明るく見える。
少し離れて腰を下ろし、ゆっくりといろいろな事を考えた。
みんなは信じてくれなかったけど、たしかにその時に大鷹が一緒に座っていた。
まぁ、桜ってのはそういう力があるもんだと思う。
最近は、桜を眺めながら釣りを楽しむのが好き。
ブラックバスで大きいのを狙っていた時は、雰囲気は好きだったけど現実的にはマイナス要素のほうが大きかった。
散った花びらが湖面に落ちると、ラインに接触して悪さをする。
ゆとりが無かったね。
「大きな魚を釣りたい」という欲は否定しないが、そのために自然を楽しむ心が狭くなってしまっていたのも事実。
いつか書いた事があるかもしれないが、「大きな魚だけを狙っていたことで、釣り人としてすごく残念な結果を生んだ経験」がある。
関東でブラックバスの60cmという目標を持って頑張っていたころ。
とりあえず、50cm以上しか狙わない釣りを繰り返していた。
そのやり方で59cmまでは行けた。
そしてある日、49cmを釣るとがっかりしていた自分に気がつく。
今だからわかるが、釣り人として、こんなに残念な事はない。
昔なら、40cmでも30cmでも、魚が釣れてくれるってことは、最高に嬉しい事だったはず。
ブラックバスの50cm(シーバスで言うと、80cmかな?)は確かに嬉しい事だけど、49cmでもせっかく釣れた魚を「がっかり」はねぇだろと。
そこでロッドを一回置いた。
60cmをあきらめたと言うのもあるし、なんか間違っちゃったほうへ来たかも・・・と気がついたのもある。
未だに「大きい魚が一番偉い」という釣り人は絶えないし、それは一つの楽しみ方でもある。
私もそういうのをたまにはやるし、競技としてもそこが面白い時はある。
狙うという感覚、そしてそれを得た時の快感は、自己満足の世界の中では最高に嬉しいひと時であって良い。
ただ、それが一番だとは思いたくないのだ。
小さくても、外道でも、「魚を釣りたい」というシンプルな欲求を汚れた物にしたくない。
湖面に突き刺すPEライン。
ぶつかった桜の花びらに舌を打つ。
あの時、例えばワンドの奥に溜まった桜の散花の上に、そっとノーシンカーワームを置いて、水面を割るブラックバス(サイズなんて何でもいい)を楽しめなかった自分が哀れだ。
そこに後悔があるから、桜を見る度に「鱸釣りでは、同じミスはしないように気をつけよう」と思っている。
そんな事を思うのが、最近の桜。
今年の釣り桜は、船上から。
ジョイクラフトとマリーナリトルオーシャン合同で、浦安マリーナで行われたジョイクラフトボーと試乗会。
あいにくの雨でしたが、沢山の人が来てくれました。
本当にありがとう。
試乗会終了後に雨がやみ日没までのわずかな時間、プライベートな出船時間が作れたので、ハーモニクスの7f台ショートロッドとタピオス一個をもって、迫る薄暮から逃げるように小さな運河へ。
釣果は、湾の外へ出たところで、50cmくらいのを1本。
ありがたいことです。
釣りができる事への感謝の気持ちを忘れたら、ロッドを置く時だと思う。
さ~ぁ、5月に入ったら、川にデカイの狙いに行くかな!
↑台無し(爆)
- 2015年4月9日
- コメント(6)
コメントを見る
fimoニュース
登録ライター
- ヤリエ:グリーブと万博
- 5 日前
- ichi-goさん
- 乗っ込み戦線異状アリ
- 9 日前
- rattleheadさん
- 私のシーバス(?)ロッドの偏…
- 19 日前
- ねこヒゲさん
- 3月の茨城の海流とカタクチに…
- 20 日前
- BlueTrainさん
- 雨後の秋らしさ
- 25 日前
- はしおさん
本日のGoodGame
シーバス
-
- 博多湾奥シーバスの開幕
- ともやなぎ
-
- ドちゃ濁りの木曽三川シーバス
- van
いいね!
すごく良いねっ‼︎
毒の有るのは次くらいからですか?
ちゃり林
神奈川県