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▼ 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
- ジャンル:日記/一般
- (回想録)
Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
初代ドイツ帝国宰相である、ビスマルクの有名な言葉である。
直訳すると、「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」とのことらしい。
私事をブログに書くことについて極力避けるようにしているつもりだが、少しだけ。
私は実は医師を生業としている。専門科については言及するのを避けるが、内科・外科的なことのいずれも行うようなところにいる。
医師の世界において、EBM、すなわちevidence based medicine、根拠に基づいた治療を行うことは、今は一般的となっている。ただ、それは大昔から言われてきたことではなく、ここ最近の話である。それまでは、各々の医師の経験から得たものこそが継承される知恵・知識の主体であった。それはある意味仕方ないことであった。症例報告・統計が蓄積され始めた現代だから、言えることなのである。
釣りにしてもそうだ。
自然界のことだから、なかなか法則を解き明かすことは難しいだろうけど、やっぱりある程度の法則があるはずである。
それを解き明かすべく、みな色々試すのであるが、なにぶん検証が難しい。ひとりひとりの腕が違うわけだし、使うタックルも違うわけだし、釣り場も違っていたりすれば、統計を取ることは至難の業である。
だから、多くの方は自分の経験を基に考える。私はどちらかというと、そうである。ビスマルクに言わせれば、愚者の極みであろう
満月の晩に、釣れないだろうな・・・などと思いつつ、今回は違うかもしれない!などと愚考し、実釣し、そしてホゲる。帰り道、ああ、なんて私は愚かなんだ・・・やっぱり釣れなかった、いい加減学習しないとな・・・とがっかりしながら帰宅する。
確かに、仕事でもそう思うけど、自分で経験したことというのは、論文や雑誌で読んだ知識より、はるかに身に沁みるというか、たとえ反論されても、「だけど、私はそういったことも経験したことがあるし、実際そうであった」と確固たる自信をもって返答することが出来る。
しかし、やはり世の潮流を知るべく、日々更新される情報に目を通したりして、古い知識が実は間違っていただとか、実は盲目的に信じられていただけのことだった、なんてことが明るみに出たりすることもある。
釣りも同じだろう。
だから、いい加減に学ばなければいけない。
と、最近思うようになってきた。ようやくかよ(笑)と思われるかもしれないが
まぁ一つ言えることは、医学の知識は多くの方が同じように検証し、dataが集められて結晶化したものだが、釣りは多くの場合、個人の経験から受け継がれ語られているものであるということか。だから、多くの知識は、正直evidence levelが低い。信用するに値するかどうか、というところにおいて、疑問が残る部分も多くあると言うことだ。
とりあえず、せめて自分の経験から得られたものについては、少し素直になってみることを決めた
とりあえず満月のアジングは今後控えるようにしよう・・・。
さて、話は変わるが・・・
アジングにワーム。今のアジングの王道であるけれど、本当にそうか?
もう閉鎖してしまったが、うおさん(旧みぱぱ)さんのブログを私は教科書のようになんども閲覧させていただいていたが、そこでみぱぱさんが書いていたことが、今も頭に残っている。深夜の鉄板アジングの記事だった。
沖合のボトムに、重量のあるスプーンを遠投し、ゆっくりはためかせるようにアジを誘う。尺アジの連発である。メタルジグでは釣れない。スプーンをゆっくりはためかせるように誘うことで釣れるのだ。ワームはぼつぼつ釣れるが、サイズが小さく、そして釣れるペースが全然違うと。スプーンで尺アジがボコボコにつれるのだ、と。どうしてアジングはワーム、その考えから抜け出せないのか、と。フィネスな釣り、それがジグヘッドにワーム、それを使う釣りなのだと誰が決めたんだ、と。フィネスの意味を勘違いしていないか?と。
目からうろこが落ちる思いだった。聞いたこともなければ、やっている人を見たこともない。そんな釣り方を、自分で発見することの先見の明、チャレンジャー精神にただ感服し、敬意の念を抱いた。そして、、様々なことにチャレンジすることの重要性、違う畑に自ら赴き得る経験の重要性を痛感した。
まぁ、結局、そういうことになるよね

釣り人は、結局その迫間で悩むことになるんだ。
ホゲを覚悟で、条件は悪いところでも何か得られるのではないかと色々チャレンジしたくなる好奇心、その反対に、いい加減に経験から学ばなければいけないという自制心、この迫間。
難しいねw
エサ釣りも、ルアー釣りも、海も山も河も湖も、全てを経験した先に、見えるものは何なんだろうね
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
初代ドイツ帝国宰相である、ビスマルクの有名な言葉である。
直訳すると、「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」とのことらしい。
私事をブログに書くことについて極力避けるようにしているつもりだが、少しだけ。
私は実は医師を生業としている。専門科については言及するのを避けるが、内科・外科的なことのいずれも行うようなところにいる。
医師の世界において、EBM、すなわちevidence based medicine、根拠に基づいた治療を行うことは、今は一般的となっている。ただ、それは大昔から言われてきたことではなく、ここ最近の話である。それまでは、各々の医師の経験から得たものこそが継承される知恵・知識の主体であった。それはある意味仕方ないことであった。症例報告・統計が蓄積され始めた現代だから、言えることなのである。
釣りにしてもそうだ。
自然界のことだから、なかなか法則を解き明かすことは難しいだろうけど、やっぱりある程度の法則があるはずである。
それを解き明かすべく、みな色々試すのであるが、なにぶん検証が難しい。ひとりひとりの腕が違うわけだし、使うタックルも違うわけだし、釣り場も違っていたりすれば、統計を取ることは至難の業である。
だから、多くの方は自分の経験を基に考える。私はどちらかというと、そうである。ビスマルクに言わせれば、愚者の極みであろう


確かに、仕事でもそう思うけど、自分で経験したことというのは、論文や雑誌で読んだ知識より、はるかに身に沁みるというか、たとえ反論されても、「だけど、私はそういったことも経験したことがあるし、実際そうであった」と確固たる自信をもって返答することが出来る。
しかし、やはり世の潮流を知るべく、日々更新される情報に目を通したりして、古い知識が実は間違っていただとか、実は盲目的に信じられていただけのことだった、なんてことが明るみに出たりすることもある。
釣りも同じだろう。
だから、いい加減に学ばなければいけない。
と、最近思うようになってきた。ようやくかよ(笑)と思われるかもしれないが

まぁ一つ言えることは、医学の知識は多くの方が同じように検証し、dataが集められて結晶化したものだが、釣りは多くの場合、個人の経験から受け継がれ語られているものであるということか。だから、多くの知識は、正直evidence levelが低い。信用するに値するかどうか、というところにおいて、疑問が残る部分も多くあると言うことだ。
とりあえず、せめて自分の経験から得られたものについては、少し素直になってみることを決めた

さて、話は変わるが・・・
アジングにワーム。今のアジングの王道であるけれど、本当にそうか?
もう閉鎖してしまったが、うおさん(旧みぱぱ)さんのブログを私は教科書のようになんども閲覧させていただいていたが、そこでみぱぱさんが書いていたことが、今も頭に残っている。深夜の鉄板アジングの記事だった。
沖合のボトムに、重量のあるスプーンを遠投し、ゆっくりはためかせるようにアジを誘う。尺アジの連発である。メタルジグでは釣れない。スプーンをゆっくりはためかせるように誘うことで釣れるのだ。ワームはぼつぼつ釣れるが、サイズが小さく、そして釣れるペースが全然違うと。スプーンで尺アジがボコボコにつれるのだ、と。どうしてアジングはワーム、その考えから抜け出せないのか、と。フィネスな釣り、それがジグヘッドにワーム、それを使う釣りなのだと誰が決めたんだ、と。フィネスの意味を勘違いしていないか?と。
目からうろこが落ちる思いだった。聞いたこともなければ、やっている人を見たこともない。そんな釣り方を、自分で発見することの先見の明、チャレンジャー精神にただ感服し、敬意の念を抱いた。そして、、様々なことにチャレンジすることの重要性、違う畑に自ら赴き得る経験の重要性を痛感した。
まぁ、結局、そういうことになるよね


釣り人は、結局その迫間で悩むことになるんだ。
ホゲを覚悟で、条件は悪いところでも何か得られるのではないかと色々チャレンジしたくなる好奇心、その反対に、いい加減に経験から学ばなければいけないという自制心、この迫間。
難しいねw
エサ釣りも、ルアー釣りも、海も山も河も湖も、全てを経験した先に、見えるものは何なんだろうね

- 2014年10月8日
- コメント(1)
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