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ヒラスズキの南限を追う旅(石垣島1)

  • ジャンル:日記/一般
「そこにスズキが居るとは思えない」
この言葉が自らの可能性を閉ざしている事に気が付いたのは、数年前の久米島釣行の時でした。
 
それまで、ヒラスズキの南限は種子島と言われていたのですが、たった一匹のヒラスズキが久米島で釣り人の手によって捕獲されました。
そのニュースを受けたヒラスズキに精通する村越氏が島を訪れ、「これは明らかにヒラスズキである」とコメントを残しました。
小さな記事ですが新聞にも掲載され、一部のアングラーの中では事件として騒がれたのです。
 
特定の生物の生息地域が拡大される発見は、生物学的にはかなり重要な件とされるべきでした。
しかし、ヒラスズキという魚種(?)に対する一般的な消費需要(食としての需要)が薄い事と、釣り人の間ではそれほどメジャーな魚ではない為、やがて記憶のかなたに追いやられていく事になりました。
 
そして数年が経ち、2本目のヒラスズキが久米島で捕獲され、もはや偶然ではないという事実が確率されます。
私はそのタイミングで、ヒラスズキを求めて2回ほど久米島を訪れました。
パヤオのマグロには目もくれずに、ひたすら磯を歩き回ったのですが、結果は大きなアジが数回チェイスしてきたのと、タイのような魚を釣るのに終始しました。
 
悔しいわけでは在りません。
可能性を追うということは、そういうことだと思っています。
 
それからまた月日が流れたある日、今度は久米島よりも南の伊良部(宮古島の横)でも釣り上げられました。
この報を受け、かなりの確率で沖縄本島~八重山にはヒラスズキが居るのでは?と推測し、虎視眈々と次ぎのチャンスを伺っていたのですが、何故か向かった先はハワイでした。
ある情報により、「ハワイにスズキが居るらしい」とのことで、その事実認定をしに行ったのです。
しかし、このハワイ釣行で確認したのは、どうやらヒラスズキではなく追っていたのはヤマトスズキであるという事でした。
そのストーリーは私が書くべき事ではないので、ココでは詳細は述べられませんが、明らかにその影は見えていました。
 
ヤマトスズキとヒラスズキ、どちらにせよスズキである事は変わりませんが、科学的に立証されているヒラスズキの南限を追う旅は、もう一度原点に戻り宮古よりも南の島へ行く必要性が発生したのです。
 
しかしサラリーマンの私が、沖縄の離島へ行くのはかなり厳しいものがあります。
年に数回、不定期に開催される予算編成会議では、ことごとく財務大臣(嫁とも言う)に却下されてきました。
「税収が少ないのに何を言っているか!」と言われ、「脱税はしていません!!」と返しても理屈になっていないのは解っています。
 
しかし、『夢は捨てない限り、必ずかなうもの』をモットーに生きた来た私は、日常の生活を変え、『来るべき時のために、今出来る事を最大限に行う』ことにしたのです。
ココから、常に限界点を追う釣行の回数を増やしていきました。
関東のスズキの遡上限界点を追うことです。
 
「そこにスズキは居ない」という常識の殻を破る為のプロセスを、一歩いっぽ確認。
必要なスキルを上げていく事で、その日の為に備えていったのです。
 
もちろん沢山の釣り人に笑われました。
なんの根拠も確証も無い魚の為に、そんな無駄な事をなぜやるのかと。
その度に唇を噛み締めながら、「結果を出すまでは何も言うまい」としてきたのです。
 
それは辛い事でもありましたが、実はそれを楽しむ事は出来ました。
なぜならば、ほんの一握りでしたが私のアクションを応援してくれる人達が居たからです。
私の活動報告書に刻まれるそのコメント。
また、言葉には出さずとも影ながら応援してくれるアングラーが24人も居た事は、確実に勇気を与えてくれました。
そして日に日に南限確認釣行への思いは強くなって行くのです。
 
 
予算獲得の為に方々へ頭を下げる毎日。
そんなある日に、一通のメールがディスクに届きました。
送り主は、私のヒラスズキ釣行に大きなターニングポイントを与えてくれた友人からでした。
 
メール内容:
 
7月に仕事で沖縄に行きます
その後に石垣島で合流し、開拓調査しましょう
何箇所か目をつけています
 
 
以上
チャリ林
 
このメールを受信した瞬間に、私の心の堰が決壊しました。
全てが解っていた事でした。
『現地に行かないと、何も始まらない』のです。
 
急遽予算編成会議に議題を提出。
エアチケットの問題等で、決定が早ければ早いほどコストを抑える事が可能であり、そのプレゼン資料を1晩で作成しました。
また、予算案は「臨時税収が7月中旬に在る」という事を前提に説得に走りました。
 
会議は長時間の心理戦に発展。
 
空気を読めない議長は、言葉にならない意味不明の発言を連発します。
「マンマ~!マンマ~!マメ!マメ!」。。。
 
途中、食事を挟みながらも沈黙の時間が流れ、「やっぱりダメだったか・・・」と諦めかけたその時に、ポツリと大臣が一言。
「どうせもう行くって言っちゃったんでしょ(怒)」と。
「ハイ・・・ごめんなさい(涙)」
 
こうして、長きに渡る沈黙は破られ、1年ぶりの調査再開が決定されました。
翌日にプランの提出をして承認をもらい、チャリ君に渡航許可書の発行手続きのアドバイスを受けてチケット購入。
 
2ヶ月ほどあった準備期間のほとんどは、予算獲得の為の活動にあてました。
チャンスは多くの人の前に落ちています。
でもそのチャンスを拾うためには準備が必要な事を、改めて感じました。
 
頭を下げまくった2ヶ月はあっという間に過ぎ去り、明日の朝に出発となった前夜。
全ての事に感謝しながら、やっと釣行準備を始めました。
全てのパッキングが終わったのは26時過ぎ・・・
それでも明日から始まる調査に胸の高鳴りは抑えられず、なかなか眠りに付く事は在りませんでした。
 
続く

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