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最近思うこと

  • ジャンル:日記/一般
「どう伝えるか」ではなく「あなたに、どう伝わるか」
ある気象予報士の言葉。
 
メーカーと係っていく商業アングラーは、時に釣りに嘘をつく。
「あぁコレじゃないな」とルアーを変えようとしたそのときも、もっと遡れば「明日どこへ釣りに行こうかな?」と言うそのときに、必ずメーカーの意向が頭をよぎる。
 
あのルアーで釣りたい
この時期はこの道具を
 
まぁ、それの何か悪なのか?と聞かれれば、私は悪ではないと思うし、そういう事から得る普段では味わえない充実感もある。
 
ただ・・・
行き過ぎると、悪になる。
 
あるルアーを使って1匹の魚を釣った事実が出来た時、
「このルアーで釣れた」→「このルアーだから釣れた」→「このルアーでしか釣れない」
というロジックは正しいのだろうか・・・
 
もちろん、釣れた魚のルアーを付け替えるとか、自分で釣ってもいない魚にルアーを付けるなんてのは別次元として、だよ。
 
確かにたまに「このルアーにすると凄く釣れる」という事象もあるし、「何投げても釣れちゃうときもある」のが釣りなのだが、言葉でそれを伝える事はとても難しい。
 
ユーザーがポーカーの達人のようになったメディアアングラーに対し、「ほんとか?」と言う目を向けるのも解る気がする。
 
なんせ昨晩言ってた事が、朝にはひっくり返っているのだから。
 
そういう日常の果てに絶対的釣果主義みたいな流れもあるけど、それが「釣れれば何でも在り」という世界観を作ってしまった釣りを私は良く知っているので、なんか今更シーバスもそこ行くのか?と言う気持ちもある。
実際に、最近の各メーカーがやっているプレゼンテーションは、そういう部分が目立ってきた。
 
他の人の事を気にしすぎると、釣りの楽しいにノイズが入るから危ないんだよね。

 
ここまで読んで、「じゃぁどっちだよ」と思う人は鋭い。
相反する流れなのだね。
 
そうすると、自分の釣りを淡々と楽しみ、焦らず偽りなく表に出すのが一番なのかな?が、今の私の考え。
 
そこで発生する、「いい物」「いい釣り」「いい時間」を伝えれば、それに共感してくれる人が少し居て、時間とか場所を超越して何かを共有する楽しさがある。
もしくは、あぁ、そういう楽しみってありなのか、と、戦いに疲れた誰かが気がつくきっかけになるかもしれない。
 
まれに「証明しろ」という人が居るけど、証明と言うのは、多(もしくは他)と比べた時の、自己防衛の為の物でしかない。
(競技の面白さは別の話し)
 
証明で伝えられるものって、ある意味で物凄く自己中心的で狭い。
 
冒頭の文章にある「どう伝えるか」は、伝える為の自分が真ん中にあるから楽だけど、やっきになって伝えようと思うほど、すり抜けていく何かが在る。
「あなたに、どう伝わるか」は孤独を覚悟しなければならないし勇気がいる。
だけど、厳しくも暖かく感じるのはなぜだろう。
 
 
言葉は受け取り手の立場によっても変わる。
今日の文章で敵意を感じる人も居れば、「そう来たか」と笑ってくれる人も居るだろうね。
 
笑ってくれる人が多くなれば良いのになぁ。
 

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