プロフィール
工藤
その他
プロフィール詳細
カレンダー
検索
アーカイブ
アクセスカウンター
- 今日のアクセス:101
- 昨日のアクセス:331
- 総アクセス数:4614922
▼ 糸を垂れて世界平和を考えた。釣り堀で。
- ジャンル:日記/一般
似たようなことをやっていても、実はものすごく差がある。
峠の走り屋のあんちゃんが、サーキットへきてパッと優勝できる時代ではない。
素人目には、どっちも狂気の沙汰の速度で走っているように見えるかもしれないけど、やってる本人たちはそこにとてつもなく大きな差がある事を知っている。
もしも、走り屋のあんちゃんが、一度もサーキットを走ることなく、自分が一番早いのだというならば、日本の古くから伝わる言葉では、そういう事を「井の中の蛙」と言う。
もしも選手権を追っている一端のレーサーが、走り屋のあんちゃんに負けるというなら、シートはそのあんちゃんに譲って、安全なところで余生を楽しんでればいい。
選手権は自分が一番になりたい人間が集まる場所だ。
スポーツ走行で「サーキット走ってみたかったんです」という素人を捕まえて、「俺も昔は速かった」と言う人間は、そういうレベルのレースに出ればいい。
それは別に悪い事ではないけど、あの麻薬的な生活と感性に戻ることは二度とない。
釣りではどうだろうか。
ブラックバスなんかはトーナメントでの順位付けがあるので、トーナメントプロとそこいらの釣り自慢には明確な差がある事を知っている。
自分の条件だけでの釣果自慢と、共通の条件下でしのぎを削って勝つ人間では、根本的にやっている(目指す)ことが異なる。
もちろん良い条件を生み出すための努力は、それぞれに必要だけど。
公平なのは、時間だけ。
たまにレースの世界でも、「俺があのクルマに乗ったら勝てる」とほざく奴もいる。
素人がレースを見ていても、「クルマが速いだけだ」と評論家のようなことを言う輩もいる。
でも、その速いクルマに乗る資格は、「速いクルマを与えれば勝てる」と、選ばれた人間だ。
その線の内側へ入れてない段階で、「あのクルマに乗ったら勝てる」と思うのは大きな勘違いだ。
ざんねんながら、そのための戦いを評価する人は外野には少ない。
だけど、その線を争っている人間同士には、どの差で選ばれたのかをよく理解し合っているものだ。
そういう関係を、ほんらいはライバルと言うのだと思う。
釣りをやっていて、ライバルは必要だろうか。
そういう世界観が全てなのだろうか。
そうではない。
釣りにおいての楽しみかたは、Fan driveに近い部分がウェイトを大きく締めている。
ただ、人は人よりも大きな獲物を得たいという気持ちは持っている。
だからちょっぴり自慢もする。
その相手は、同じような釣り人に対してだけではなく、時に家族であったり会社の同僚であったり。
これは人類が「獲物を狩る」ことで種を存続させてきた時の、まっとうなDNAを継承しているからに違いない。
釣り人なんてのは、とてつもなく原始的な意志に支配されているのだ。
ただ、それを楽しむという方法に変換したのは、かなり高度な進化ではある。
イルカもそうだが、「物事を楽しむ」という余裕があると、そこには文化が生まれる。
ヨーロッパ人と日本人が異なる文化を持つのと同じく、にんげんとイルカの文化は異なる形だけどね。
その異なる文化を「否定してはならない」と言うモラルは、実はここ最近の一部の人間に発生した流行りであり、人類はまだ総てがそのモラルで構築されているわけでは無い。
その証拠に、いまだに「肌の色が違うという理由で差別するのはやめましょう」と言わなくては、すぐに人間は自分と異なる、特に少数で力の弱い者を排除してしまう。
世界の常識ではそれが一般的なもので、そうやって正当性を確保してきた結果が、いまの人類の姿であることは疑いようがない。
釣りはよく、モラルが問われる。
原始的な遊びでは、脳も原始的な部分が支配するからなのか、最近人間の間で流行っているモラルと言う思想は消えがちになる。
普段の仕事場では、とても常識的兼良心的なあの人も、この人も、ひとたび竿を持てば本能をむき出しに隣の人を攻撃しだしたり。
まぁ、それが悪だという、人間の常識も怪しいもんなのだがね。
「釣りが上手い」と言う意味で人と比べる釣りをしたいなら、トーナメントへ出ればいい。
そこには、本当に純粋な競争をもって、正々堂々と順位をつけてもらう事ができる。
その順位を上げるための努力を惜しまないというのは、本当に素晴らしい事だし間違わなければ、間違いなく人としての成長を促してくれる。
勝負の世界で1番を取るという事は、誰にでも簡単に成し遂げられる事ではないからこそ、その1番を取ったという事実は賞賛に値する。
また、釣りはFandriveを楽しむように、自分のなかの何かと向き合いながら、ゆっくりと時間を流していく事が、人生を豊かにする一つのコツであることを知る釣り人もいる。
人類はまだ異なる文化を認めるモラルを持つことはできていないが、釣り人が隣の釣り人の文化を受け入れる事が出来るようになるのと、どっちが早いだろうか。
ん?
わたし?
釣り堀で、隣の人の釣果が気になって気になって仕方がありませんがなにか?
峠の走り屋のあんちゃんが、サーキットへきてパッと優勝できる時代ではない。
素人目には、どっちも狂気の沙汰の速度で走っているように見えるかもしれないけど、やってる本人たちはそこにとてつもなく大きな差がある事を知っている。
もしも、走り屋のあんちゃんが、一度もサーキットを走ることなく、自分が一番早いのだというならば、日本の古くから伝わる言葉では、そういう事を「井の中の蛙」と言う。
もしも選手権を追っている一端のレーサーが、走り屋のあんちゃんに負けるというなら、シートはそのあんちゃんに譲って、安全なところで余生を楽しんでればいい。
選手権は自分が一番になりたい人間が集まる場所だ。
スポーツ走行で「サーキット走ってみたかったんです」という素人を捕まえて、「俺も昔は速かった」と言う人間は、そういうレベルのレースに出ればいい。
それは別に悪い事ではないけど、あの麻薬的な生活と感性に戻ることは二度とない。
釣りではどうだろうか。
ブラックバスなんかはトーナメントでの順位付けがあるので、トーナメントプロとそこいらの釣り自慢には明確な差がある事を知っている。
自分の条件だけでの釣果自慢と、共通の条件下でしのぎを削って勝つ人間では、根本的にやっている(目指す)ことが異なる。
もちろん良い条件を生み出すための努力は、それぞれに必要だけど。
公平なのは、時間だけ。
たまにレースの世界でも、「俺があのクルマに乗ったら勝てる」とほざく奴もいる。
素人がレースを見ていても、「クルマが速いだけだ」と評論家のようなことを言う輩もいる。
でも、その速いクルマに乗る資格は、「速いクルマを与えれば勝てる」と、選ばれた人間だ。
その線の内側へ入れてない段階で、「あのクルマに乗ったら勝てる」と思うのは大きな勘違いだ。
ざんねんながら、そのための戦いを評価する人は外野には少ない。
だけど、その線を争っている人間同士には、どの差で選ばれたのかをよく理解し合っているものだ。
そういう関係を、ほんらいはライバルと言うのだと思う。
釣りをやっていて、ライバルは必要だろうか。
そういう世界観が全てなのだろうか。
そうではない。
釣りにおいての楽しみかたは、Fan driveに近い部分がウェイトを大きく締めている。
ただ、人は人よりも大きな獲物を得たいという気持ちは持っている。
だからちょっぴり自慢もする。
その相手は、同じような釣り人に対してだけではなく、時に家族であったり会社の同僚であったり。
これは人類が「獲物を狩る」ことで種を存続させてきた時の、まっとうなDNAを継承しているからに違いない。
釣り人なんてのは、とてつもなく原始的な意志に支配されているのだ。
ただ、それを楽しむという方法に変換したのは、かなり高度な進化ではある。
イルカもそうだが、「物事を楽しむ」という余裕があると、そこには文化が生まれる。
ヨーロッパ人と日本人が異なる文化を持つのと同じく、にんげんとイルカの文化は異なる形だけどね。
その異なる文化を「否定してはならない」と言うモラルは、実はここ最近の一部の人間に発生した流行りであり、人類はまだ総てがそのモラルで構築されているわけでは無い。
その証拠に、いまだに「肌の色が違うという理由で差別するのはやめましょう」と言わなくては、すぐに人間は自分と異なる、特に少数で力の弱い者を排除してしまう。
世界の常識ではそれが一般的なもので、そうやって正当性を確保してきた結果が、いまの人類の姿であることは疑いようがない。
釣りはよく、モラルが問われる。
原始的な遊びでは、脳も原始的な部分が支配するからなのか、最近人間の間で流行っているモラルと言う思想は消えがちになる。
普段の仕事場では、とても常識的兼良心的なあの人も、この人も、ひとたび竿を持てば本能をむき出しに隣の人を攻撃しだしたり。
まぁ、それが悪だという、人間の常識も怪しいもんなのだがね。
「釣りが上手い」と言う意味で人と比べる釣りをしたいなら、トーナメントへ出ればいい。
そこには、本当に純粋な競争をもって、正々堂々と順位をつけてもらう事ができる。
その順位を上げるための努力を惜しまないというのは、本当に素晴らしい事だし間違わなければ、間違いなく人としての成長を促してくれる。
勝負の世界で1番を取るという事は、誰にでも簡単に成し遂げられる事ではないからこそ、その1番を取ったという事実は賞賛に値する。
また、釣りはFandriveを楽しむように、自分のなかの何かと向き合いながら、ゆっくりと時間を流していく事が、人生を豊かにする一つのコツであることを知る釣り人もいる。
人類はまだ異なる文化を認めるモラルを持つことはできていないが、釣り人が隣の釣り人の文化を受け入れる事が出来るようになるのと、どっちが早いだろうか。
ん?
わたし?
釣り堀で、隣の人の釣果が気になって気になって仕方がありませんがなにか?
- 2018年9月4日
- コメント(3)
コメントを見る
fimoニュース
登録ライター
- たけのこのこのこ2025 #2
- 2 日前
- はしおさん
- 『マイクロベイト』 2025/4/25…
- 5 日前
- hikaruさん
- ラッキークラフト:ワンダー50
- 6 日前
- ichi-goさん
- 釣りを辞めることと釣りのゲー…
- 18 日前
- BlueTrainさん
- 河川上流域攻略に必要な3つの…
- 26 日前
- タケさん
本日のGoodGame
シーバス
-
- 貴重なバイトをモノにできるか⁉︎
- JUMPMAN
-
- ラッキー!
- kamikaze
全て やって来たからこそ 見える世界観なんでしょうね⁉️
最近は 自分の釣果優先よりも 人が 釣って 喜ぶ姿も 良いもんだと 感じます‼️(笑)
YOU
千葉県