そこのスタイル

  • ジャンル:日記/一般
 ここ数日、小学校に行くことが多かった。息子の入学健康診断、娘の授業参観など、面倒な行事が重なる。
 そこで目にする教師は、すれ違うたびに、さすがと思わせる、きちんとした挨拶をする。私も気後れせぬよう、後で娘に怒られぬよう、普段デカイ態度を極力小さくして、ペコペコ頭を下げて歩きまわる。
 ふと中間、煙草が吸いたくなって校外に出た。学校の裏門のすぐ側に大きな灰皿が設置してあって、そこで喫煙できるのだ。
 そこに先程、挨拶を交わしたばかりの男性教諭が先にいて煙草をふかしていた。もちろんそこでも軽い会釈をしながら、私も煙草に火をつけ、灰皿を挟んで教師と横並びになる。何も語らぬまま黙々と、何ともいえない気まずさが漂う。
 何か世間話でもしたほうが良いのだろうか?
 尖閣問題なんかを話題にして、もし左寄りの人だったら・・・、、、それはちょっと面倒だな、などと思考ばかりしつつ、ふとその男性教師に目をやったその時、これまで覚えなかった違和感が突如として降り下りてきた。
 男性教諭の格好のことである。
 Yシャツにネクタイ、そして下はジャージ。
 おそらく廊下ですれ違った数分前から、まさか着替えたわけではあるまいが、今ここにいるその教諭のファッションの異様さと言ったらない。
 先程は、なぜその奇妙さに気がつかなかったのだろうか?と考えているうちに、煙草を吸い終えた教師は、一礼して校内へ戻っていく。それと同時に、奇妙さは消え、Yシャツにネクタイ、ジャージ姿の教師は、絵の一部であるかのように、さらりと校舎に馴染んでいった。

 ふと考えさせられた。
  私も釣りをする格好のまま、ファミレスに入ることがある。さすがにウェーダーを着て食事をすることはないが、コンビニくらいになら入る。それも店員から見れば、かなり異様なものなのかもしれない。
 Yシャツ、ネクタイにジャージという、一歩、外に出れば、その奇妙ないでたちも、学校内ならば、まるで違和感は無い。
  そこにはそこの格好があり、スタイルがあるということなのだろう。
 ここのブログ(fimo)だって、そう言う事かも知れない。悪気はなくとも、事実であったとしても、やっぱ書いちゃいいけなかったのかもしれないと反省している。適当な解釈で資料にされたことに、少々の苛立ちを覚えながら...。

コメントを見る