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禍福は糾える縄の如し (かふくはあざなえるなわのごとし)とは、 人生をより合わさった縄にたとえて、幸福と不幸は変転するものだという意味の故事成語です。 不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいると、また不幸になる、ちょうどそれは「より合わせた縄のように表裏が交互にやってくる」ということを表しています。 感染病に心を悩まし、外出を控えたりている方が殆どだと思います。 人生不幸ばかりではありません。 希望を持って生きて行きましょう!

釣果はゼロでも良い釣りはあると思う【67尾目】






オニギリで御座います。

最近、色々考える事がありまして、ログに綴りたいと思います。





これから書かせて頂くことは、異論もあると思います。





ある日、突然疑念が沸いた。

手にしたターゲットは、自分のイメージした狙い通りに得た成果なのか?





今まで出会えた魚達…

いちいち数えてきた事は無いけれど、自分がイメージした通りに手にしたのは、その内何割あるのだろうと疑問が沸く。 良い時もあれば、悪い時も当然あった。

同日、同じ場所にエントリー出来ていれば、自分以外の人でも手にしていただろう釣果には、喜びは無い。



楽しめなかった訳ではない。



楽しく出来なかったのだ。



釣果はゼロでも良い釣りはあると思う。 

逆に



爆釣しても悪い釣りはあると思う。

そこには大きな隔たりが横たわる。

全ては





「 自分のイメージに沿っていたか 」 

が重要ではないだろうか?

釣れた。 もしくは、釣れないで判断するのは、簡単な判断基準で分かりやすい。

けれど、





其処に誤解や落とし穴がありそうな気もする。





出会えなかった魚達を思う。

キャストしたルアーに見向きもしなかった個体、途中で見切られた個体は、今まで出会えた数の数十倍あるのだろう。 もしかすると数百倍あるかもしれない。

自分に別の引き出しを持ち合わせていれば、後何本追加出来たのか。

本当に自分でなくては、出せなかった釣果は、過去どれだけあったのか?



おおよそ釣りとは、運が大半を占めていて、その中に抗うことの出来る不確定要素の何割かを、情報・知識・経験・技術やらで、埋め合わせて成果に結び付けていく行為なんだろうと思う。

数釣り出来る対象魚なら、知識や技術が閉める割合は大きいだろうし、

良型が一本出せれば御の字という対象魚ならば、それこそ運の占める割合が大きいだろうと思う。



ある意味スピードくじみたいなもので、100枚中当たりが5枚入っていたとして、一日に10回引けるとしたら、標準的な人で、最短2日で当たりを手にすることが出来る。 早い人は初日で、遅くとも10日目で当たりを手にする事が出来る。 運の良い人ならば、初日に当たりを全て引き当てるだろう。



これが100枚中当たりが10枚なら…



もし一日に20回引けたら…

この 「 たら ・ れば 」 が釣り人が埋め合わせる事が出来る行為なのだろうと思う。



知識・経験・技術などの堅苦しいものが無くても

釣りは楽しめるけれど、



有った方が楽しく出来る。



増えた分引き出しも増えるが、



迷いも生じる。



その迷いを少しずつ紐解くように正解に近づける。

迷いを楽しみに変えていく。





自分はこの先、不確定要素の何割を確定要素にして行けるのだろうか?





追伸:
過去ログ「釣果を算数で導いてみる【35尾目】」は、不確定要素を確定要素にして行くために綴ったログなのだが、めちゃくちゃ評判悪かったな(笑) 分かりにくい文章表現は、自分の至らない部分が大半を占めているけど、内容は悪くないはず。 スマホアプリで一般配布して使用していただければ、納得する内容なんだけど、アプリ作ってる暇無い。




 

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