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▼ 永遠の0(ゼロ)の補助線
- ジャンル:日記/一般
- (永遠の0)
特に宣伝をするつもりは無いのだけど、ラストシーンについて補助線が必要だと感じたので、年末年始に観ようと思っている人に向けてメモを書く。

物語の主軸はフィクションであるが、詳細のエピソードなどは史料、史実を引用し構成されたのが伺える原作 『 永遠の0 』 を映画化したのが本作である。
この作品でも、戦争に参加した人々の証言と言うのが、重要なキーワードになっているが、戦前世代が戦争を語るのには 『後世に残す』 と言う思いが強いからだ。
「 あと10年もしたら、私らの世代はいなくなる。 」
今から10年前を舞台とした劇中で登場人物により語られたセリフは、その指摘する10年後の現在において、傷痍軍人の会が全国的に各地で解散している現状を意識してのものだろう。
この映画は、いなくなる、戦争に行った世代からの遺言なのであろうか。
映画は 主人公の祖母が亡くなり、母親は祖父の子供ではなく、本当の祖父である 宮部久蔵 がいる事を知ると言う ギミックから始まる。
そして、この謎に包まれた 宮部久蔵 を知る為の会話が物語の中心となり、共に戦争を戦った仲間の証言によって構成されている。
もちろん、大作なので当時の再現ドラマは戦闘機から空母まで、素晴らしい技術で再現されている。
ここでは宮部久蔵という人物を主人公を通じて観客も知る、理解するのが後々に重要になる。
幾度か劇中で繰り返される、徹底した彼の思想、信念、これを最後の瞬間まで常に覚えておく必要がある。
そして、本当の祖父というささやかな設定で始まったストーリーに用意された、それを締めくくる予想しなかった最後のギミック。
最後の証言者が語るのは、それまで徹底的に繰り返されてきた宮部久蔵の思想、信念を裏付けるエピソードだった。
「 私は命が惜しい、死にたくない。 」
戦時中の軍人として許されない言葉の真意、何故彼は臆病者と蔑まれてもその信念を貫いたのか。
本当に大切な物、更には確率的に良い結果が得られるのであれば、その実、自身の命すら厭わず他者に託すと言う決断をする、宮部には個、私と言う、誰もが持つ概念がないとすら感じるエピソードが語られる。
2時間20分と、かなり長めの映画であるが、テンポが良く時間を感じなかった。
だが、予備知識一切無しで見たため、ラストシーンは難しかった。
エンドロールが流れる間考え、ようやくそれが全て終わる瞬間に、理解することが出来た。
それは宮部久蔵という人間を知った主人公は現代の空に、ゼロに乗る宮部を見る、
というある種のファンタジーの為、準備ができていないと 脳裏に?マークが出て終わり、イマイチ消化不良を残すことになるだろう。
映画と言うのは製造工程的に意味のあるシーンしかない。
作品と言うのは基本的に減らしていく、カットで切って、削って作るものだから、本当に必要があると考えたものしか残っている筈が無いのだ。
何故、現代の空をゼロが飛ぶファンタジー表現が必要だったのか。
ここでは多くの若者を作戦とは呼べない特攻で見送り、そして最後は自身も飛んだ宮部の敬礼に込められた想い、と考える事が補助線になる。
それは戦争を忘れるな、国の為に命をとした私達を忘れるな、そんなネガティブでも、利己的なものではない。
多くの犠牲の元に成り立っているんだから、真っ当に生きろなんていうメッセージでもない。
戦争映画らしく、見せ場として各所に泣かすシーンはあるが、宮部久蔵を理解し、この敬礼をしっかりと受け止める事が、この映画で泣けると言う事だと思う。
余談ですが、この映画は世代がテーマであり、それは宮部久蔵と現代を生きる主人公が同い年と言う設定であったりする様に、こだわっている。
ではこれは若者に見て欲しい、と言うだけの映画なのだろうか。
元来、正月映画、戦争映画は観客として年配層が多いとされている。
これは寅さんシリーズや、釣りバカ日誌シリーズを見れば顕著だ。
ここで何か、ふと思ったのは、年配層に対しても、宮部久蔵を見ろ、いつまでも個を主張していないで、若者に未来を託せ、と言う2世代に向けたメッセージが込められている様に感じた。

物語の主軸はフィクションであるが、詳細のエピソードなどは史料、史実を引用し構成されたのが伺える原作 『 永遠の0 』 を映画化したのが本作である。
この作品でも、戦争に参加した人々の証言と言うのが、重要なキーワードになっているが、戦前世代が戦争を語るのには 『後世に残す』 と言う思いが強いからだ。
「 あと10年もしたら、私らの世代はいなくなる。 」
今から10年前を舞台とした劇中で登場人物により語られたセリフは、その指摘する10年後の現在において、傷痍軍人の会が全国的に各地で解散している現状を意識してのものだろう。
この映画は、いなくなる、戦争に行った世代からの遺言なのであろうか。
映画は 主人公の祖母が亡くなり、母親は祖父の子供ではなく、本当の祖父である 宮部久蔵 がいる事を知ると言う ギミックから始まる。
そして、この謎に包まれた 宮部久蔵 を知る為の会話が物語の中心となり、共に戦争を戦った仲間の証言によって構成されている。
もちろん、大作なので当時の再現ドラマは戦闘機から空母まで、素晴らしい技術で再現されている。
ここでは宮部久蔵という人物を主人公を通じて観客も知る、理解するのが後々に重要になる。
幾度か劇中で繰り返される、徹底した彼の思想、信念、これを最後の瞬間まで常に覚えておく必要がある。
そして、本当の祖父というささやかな設定で始まったストーリーに用意された、それを締めくくる予想しなかった最後のギミック。
最後の証言者が語るのは、それまで徹底的に繰り返されてきた宮部久蔵の思想、信念を裏付けるエピソードだった。
「 私は命が惜しい、死にたくない。 」
戦時中の軍人として許されない言葉の真意、何故彼は臆病者と蔑まれてもその信念を貫いたのか。
本当に大切な物、更には確率的に良い結果が得られるのであれば、その実、自身の命すら厭わず他者に託すと言う決断をする、宮部には個、私と言う、誰もが持つ概念がないとすら感じるエピソードが語られる。
2時間20分と、かなり長めの映画であるが、テンポが良く時間を感じなかった。
だが、予備知識一切無しで見たため、ラストシーンは難しかった。
エンドロールが流れる間考え、ようやくそれが全て終わる瞬間に、理解することが出来た。
それは宮部久蔵という人間を知った主人公は現代の空に、ゼロに乗る宮部を見る、
というある種のファンタジーの為、準備ができていないと 脳裏に?マークが出て終わり、イマイチ消化不良を残すことになるだろう。
映画と言うのは製造工程的に意味のあるシーンしかない。
作品と言うのは基本的に減らしていく、カットで切って、削って作るものだから、本当に必要があると考えたものしか残っている筈が無いのだ。
何故、現代の空をゼロが飛ぶファンタジー表現が必要だったのか。
ここでは多くの若者を作戦とは呼べない特攻で見送り、そして最後は自身も飛んだ宮部の敬礼に込められた想い、と考える事が補助線になる。
それは戦争を忘れるな、国の為に命をとした私達を忘れるな、そんなネガティブでも、利己的なものではない。
多くの犠牲の元に成り立っているんだから、真っ当に生きろなんていうメッセージでもない。
戦争映画らしく、見せ場として各所に泣かすシーンはあるが、宮部久蔵を理解し、この敬礼をしっかりと受け止める事が、この映画で泣けると言う事だと思う。
余談ですが、この映画は世代がテーマであり、それは宮部久蔵と現代を生きる主人公が同い年と言う設定であったりする様に、こだわっている。
ではこれは若者に見て欲しい、と言うだけの映画なのだろうか。
元来、正月映画、戦争映画は観客として年配層が多いとされている。
これは寅さんシリーズや、釣りバカ日誌シリーズを見れば顕著だ。
ここで何か、ふと思ったのは、年配層に対しても、宮部久蔵を見ろ、いつまでも個を主張していないで、若者に未来を託せ、と言う2世代に向けたメッセージが込められている様に感じた。
- 2013年12月30日
- コメント(1)
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初コメ失礼します。
素晴らしい解説ありがとうございました。
読み入ってしまいました。
浅田次郎「壬生義士伝」や映画「海を飛ぶ夢」を思いだしました。
強烈な自己中による自己放棄な人間性ってかなり熱くさせられます。
「是非 読まねば」と思い既に手元には装備してますが、
これから読みだすのがとても楽しみになりました。
永遠のゼロ、 読破後に鑑賞いたします。
A吉田
福岡県