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永遠の0を観たけどラストにモヤモヤする人用。 ~最後の笑み~

映画、永遠の0を観たけど、モヤモヤしている人用の記事です。

観ていない人には推奨しません。



映画の内容については以前に上げた記事で補完しています。

だけど、それとは別にこの映画にはモヤモヤする要素が含まれていて、
それについて解説します。

また、この解説は岡田斗司夫さんの見解に影響を受けています。



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最後の笑み


物語のエンディングは前回記事で述べたとおり、

ゼロに乗り、若者を見据え飛び去る宮部久蔵、と言う1945年と同じ構図を繰り返します。

そしてコレで終わりかと思いきや、正に多くの人にモヤモヤを与える1分間が始まります。



時は遡り1945年、ゼロの操縦桿を握る宮部久蔵は米国艦隊への攻撃を開始。

CGで再現された戦場、宮部の乗るゼロは鉄壁の防衛網を掻い潜り、敵空母上空へ体当たりの位置に舞い上がり、そこで映像は再び宮部久蔵のアップになる。


ここでモヤモヤの種が撒かれます。

何と宮部久蔵、笑みと言うには不適当な、一見悪そうなニヤリとした表情をする、そして終わる。



え?何なのその表情!?




映画の構造は 142分と1分


先ず順を追って話します。

この映画は現代の若者である主人公を通して、私達、観客は宮部久蔵を知る、と言う映画です。

主人公と観客は宮部を知ってる人の話を聞き、宮部の評価・評判、どんな事を言ったのか、どんな行動をとったのか、どんな考えをしていたのか、などを知ります。


これが大体、映画の全てであり、宮部に関する回顧録が142分間続くと言えます。


では、最後の1分間描かれる宮部久蔵は一体、誰の回顧録なんでしょうか?

宮部と飛び立った特攻隊員は誰も帰りませんでした。

現在のお爺さんも、機体の故障で途中で別れてます。


142分描かれるのは誰かの知ってる宮部、それに対してラスト1分描かれるのは誰も知らない宮部なんです。





映画オリジナル=監督オリジナル


これは原作にも無い、唯一と言っていい映画オリジナルです。

誰の意図か、それは当然、監督の意図となります。


原作にも無い、誰も知らない宮部を描く、それはつまり監督が、俺の考える宮部はこういう男だ、と言う主張に他なりません。

この俺を出しすぎると、旧作エヴァンゲリオンみたいな監督の自慰行為になってしまう事もあります。


では監督の考える宮部、それが反映された最後の1分間とは



全てから解放された宮部


宮部は戦闘機乗りとして、凄まじい技量を持っていたとされます。

しかし、皆の知っている宮部はそれを自分の命をかける限界ギリギリまで発揮した事は一度もありません。

何故かと言えば、彼は家族の人生や、部下の命、混迷を迎えるであろう戦後の日本、と言う枷、鎖で束縛されてました。

なので、臆病者と大勢に罵られても、絶対に危険を冒そうとはしなかったのです。



ですが、前回記事で説明したように、宮部は最後に飛び立った時、既に自分の命すら全てを失っています。

逆に言えば、彼を縛り付けていた全てから解放されています。



そして、宮部に唯一残ったモノ、それは戦闘機乗りとしての矜持です。




技術を磨いた人間の欲望


大なり小なり、一度でも技術を磨いた事がある人ならば少しは解るかもしれません。
自分の技術はどこまで通用するのか、試したいという欲望です。

まして、戦闘機乗りという人種は厳しい訓練を乗り越え、その技術へのプライドは人一倍強いものがあり、それは海軍随一と呼ばれた宮部も例外ではありません。


宮部には最初で最後、それを何の憂いも無く試す機会が遂に訪れました。
敵は当時、世界最強の米空母艦隊。



そして誰も知らない宮部が描かれる最後の1分間。

数百の護衛戦闘機を振り切り、二重、三重に構成された防衛を切り抜け、日本軍を徹底的に苦しめたレーダー照準射撃すら、海面スレスレを飛ぶ事で無効化します。

そして、遂に敵空母上空をとった、そんな宮部の感情を想像してください。



『 勝った。』 

ただ一人のプレーヤーとして純粋に全ての技術を出し切り、勝利を確信し満足を得た表情、それが、悪そうにすら見える笑み、最後の表情なんです。


それは例えば、大貧民などのカードゲームをやって、後はラストカードを投じるだけ、そんな勝利を確信した、勝利の一手前、必勝のチェックメイトをする表情です。



僕が演技指導するなら正にこれですよ。



*参考 デスノート7巻より




監督は”俺”を出して、根源的な宮部久蔵を描くと言う、ドス黒いモノを映画のラストにねじ込んできた。

しかも、これがガハハと笑ったら出しすぎで、おかしくなっただけの人になってしまい、悟りを開いたような笑みであれば、皆が知ってる宮部と同じなんでわざわざ足す必要が無い訳です。


監督は誰も知らない宮部として、まるで聖人の様に描かれる宮部も、欲望を持った人間であり

『 宮部、俺には解るぞ。 お前はきっと戦闘機乗りとして技量を存分に発揮したいと言う欲望を持っていただろう。』

と、程よく差し込まれた監督の俺成分、本編の142分とあわせて実にお見事だと思います。



この点で、映画の方が、より宮部を人間として深く描いていると思います。

 

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