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▼ 敬礼の意味 永遠の0(ゼロ)分析
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- (永遠の0)
前回は補助線を引いた。
これは映画を観る人にとって、正に文字通り、補助になる事を目的とした内容です。
今回は私なりの見解を述べます。
ここから先を読む事によって、特にまだ観ていない人は強力なバイアス(偏見)から逃れる事は出来なくなります。
つまり不純物無しではなく、そう言うことなんだろう、と言うフィルターを通過して情報を受け取る事になります。
もし、それが嫌なら、申し訳ないのですが今すぐページを閉じてください。
何故、宮部は特攻を志願したのか
これについては裏読みをせずに、そのまま受け入れて良いと考えています。
どういう事かと言うと、先ず、宮部にとって戦争とは未来を潰す絶望であり、闇である訳です。
宮部は自分の命ではなく、明晰な頭脳で予見する最悪のイメージである、家族の人生が壊れない為に、懸命な抵抗を試みます。
その暗闇の中で暗中模索、孤軍奮闘、泥沼の地べたを這いずり回る日々の中で、宮部は戦後を強くイメージしています。
そして、その戦後において、日本を作る世代、若者こそが宮部にとっての希望であり、光だったのです。
光を失う日々
彼にとって内地の勤務で死亡率も低い、若者を指導する教官という立場は本来であれば、もっとも適した任務だったかもしれません。
ですが宮部のついた任務は、皮肉な事に特攻隊員の養成であり、それは劇中のセリフにあったように「十死ゼロ生」の作戦で、若者が100%死にに行く手伝いとも言える物でした。
彼はその闇の中でも、光を守る為に、ささやかな抵抗を続けます。
隊員が訓練中に事故死をした時、上官に何度殴られようと頑として「伊藤は優秀でした」と主張したのは部下にカッコイイ所を見せた訳でも、義理でもありません。
正に、本心から教え子の隊員が彼にとっては希望であり、光だったからです。
ですが、抵抗むなしく、遂には闇の炎に希望と光を投げ捨てる日々が訪れます。
地獄で光を見た宮部久蔵
そして遂に宮部は壊れた。
家族の人生の為に絶望という地獄の中で這いずり、生き延びてきた宮部は空で墜ちずに、陸で死んだ訳です。
感情的に、どうでもよくなったのではありません、肉体は生きながら、既に戦死していたのです。
死んでいる精神と生きている肉体という不調律はやがて肉体も死へと導かれます。
つまり宮部は特攻を決断した訳ではなく、自らの埋葬を自身の手で実行する為に特攻を志願したとも言えます。
棺桶に入った宮部はそこに幸運を見つけます。
ですが、既に死んでいる宮部にそれを受け取る事は出来ませんでした。
そんな時、宮部はそこに光を見つけます。
まだ生きている人間(未来ある若者)に幸運を託し、既に死人である自分ではどうにもならない家族の人生を委ねるという光です。
そして唯一の杞憂を無くした宮部自身は最後、希望(故障機に乗った隊員)を見据えた後、全力で自身の埋葬を実行した訳です。
敬礼の意味
前回はあくまでも補助線であったのでこれについては書きませんでした。
現代の空を飛ぶ、ゼロに乗った宮部は定義的に死人です。
そして主人公は生きている人間、未来ある若者です。
これはかつて、宮部が亡くなった最後の出撃と同じ構図なのです。
ここで勘違いをしやすいのですが、宮部の敬礼は任せた、託した、と言う、受け取った人間に責任を負わせる様なものでは無いです。
そんなステレオタイプで、安易なメッセージではありません。
ここまで読んだ人になら解る筈です。
彼にとって若者は希望であり、光その物なのです。
それは頑張れ、と言った応援ですらない。
君は死を見据えた私(及び消えゆく世代)にとって
「 希望であり、光なんだ。 」
そんな見返り無き全肯定こそが、敬礼に込められた意味だと思います。
これを読んだ以上は演出上のお涙頂戴シーンは是非ともグッと我慢してもらい、ラストシーンで泣いてください。
これは映画を観る人にとって、正に文字通り、補助になる事を目的とした内容です。
今回は私なりの見解を述べます。
ここから先を読む事によって、特にまだ観ていない人は強力なバイアス(偏見)から逃れる事は出来なくなります。
つまり不純物無しではなく、そう言うことなんだろう、と言うフィルターを通過して情報を受け取る事になります。
もし、それが嫌なら、申し訳ないのですが今すぐページを閉じてください。
何故、宮部は特攻を志願したのか
これについては裏読みをせずに、そのまま受け入れて良いと考えています。
どういう事かと言うと、先ず、宮部にとって戦争とは未来を潰す絶望であり、闇である訳です。
宮部は自分の命ではなく、明晰な頭脳で予見する最悪のイメージである、家族の人生が壊れない為に、懸命な抵抗を試みます。
その暗闇の中で暗中模索、孤軍奮闘、泥沼の地べたを這いずり回る日々の中で、宮部は戦後を強くイメージしています。
そして、その戦後において、日本を作る世代、若者こそが宮部にとっての希望であり、光だったのです。
光を失う日々
彼にとって内地の勤務で死亡率も低い、若者を指導する教官という立場は本来であれば、もっとも適した任務だったかもしれません。
ですが宮部のついた任務は、皮肉な事に特攻隊員の養成であり、それは劇中のセリフにあったように「十死ゼロ生」の作戦で、若者が100%死にに行く手伝いとも言える物でした。
彼はその闇の中でも、光を守る為に、ささやかな抵抗を続けます。
隊員が訓練中に事故死をした時、上官に何度殴られようと頑として「伊藤は優秀でした」と主張したのは部下にカッコイイ所を見せた訳でも、義理でもありません。
正に、本心から教え子の隊員が彼にとっては希望であり、光だったからです。
ですが、抵抗むなしく、遂には闇の炎に希望と光を投げ捨てる日々が訪れます。
地獄で光を見た宮部久蔵
そして遂に宮部は壊れた。
家族の人生の為に絶望という地獄の中で這いずり、生き延びてきた宮部は空で墜ちずに、陸で死んだ訳です。
感情的に、どうでもよくなったのではありません、肉体は生きながら、既に戦死していたのです。
死んでいる精神と生きている肉体という不調律はやがて肉体も死へと導かれます。
つまり宮部は特攻を決断した訳ではなく、自らの埋葬を自身の手で実行する為に特攻を志願したとも言えます。
棺桶に入った宮部はそこに幸運を見つけます。
ですが、既に死んでいる宮部にそれを受け取る事は出来ませんでした。
そんな時、宮部はそこに光を見つけます。
まだ生きている人間(未来ある若者)に幸運を託し、既に死人である自分ではどうにもならない家族の人生を委ねるという光です。
そして唯一の杞憂を無くした宮部自身は最後、希望(故障機に乗った隊員)を見据えた後、全力で自身の埋葬を実行した訳です。
敬礼の意味
前回はあくまでも補助線であったのでこれについては書きませんでした。
現代の空を飛ぶ、ゼロに乗った宮部は定義的に死人です。
そして主人公は生きている人間、未来ある若者です。
これはかつて、宮部が亡くなった最後の出撃と同じ構図なのです。
ここで勘違いをしやすいのですが、宮部の敬礼は任せた、託した、と言う、受け取った人間に責任を負わせる様なものでは無いです。
そんなステレオタイプで、安易なメッセージではありません。
ここまで読んだ人になら解る筈です。
彼にとって若者は希望であり、光その物なのです。
それは頑張れ、と言った応援ですらない。
君は死を見据えた私(及び消えゆく世代)にとって
「 希望であり、光なんだ。 」
そんな見返り無き全肯定こそが、敬礼に込められた意味だと思います。
これを読んだ以上は演出上のお涙頂戴シーンは是非ともグッと我慢してもらい、ラストシーンで泣いてください。
- 2014年1月1日
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