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▼ 琵琶湖に想う 釣りに行きたくなる日
釣りに行きたくなる日
それはいったいどんな日だろうか。
僕が真っ先に思いつくのは
低気圧が来た日や風が吹いた日。
そして潮回りが良い日。
これらは「魚が釣れそうだなー」という感覚から、
自然とそわそわして、釣りに行きたくなる日である。
それとはまた別で
嫌なことがあった日、
耐え難いプレッシャーを抱えている日
そんな日には魚が釣れなくたって構わないからとにかく釣りに行きたくなる。
簡単に言ってしまうとセンチメンタルな日には釣りに無性に行きたくなるのだ。
一人で行きたい気分の時があれば、
誰かと竿を並べたいときもある。
また、水辺は心が火傷した時、それを冷やしてくれる優しさを持っていると思うのだ。
先日のフィッシングショー絡みの関西出張
4月からガイド業をスタートされる奥山さんのご厚意で、
久しぶりに琵琶湖の沖に浮くことが出来た。
滋賀県出身の僕にとって琵琶湖バス釣りは僕を育ててくれた釣りのひとつ。
10歳の頃から、楽しいことがあった日も、悲しいことがあった日も竿を振った場所。
2月の琵琶湖は寒い。
おまけに今年は最強級の寒波が長い周期で襲ってきていた。
朝はマイナス6度である…
過酷すぎたこの日、魚は口を使うことはなかった。
吹き付ける雪を感じながら、ビッグベイトやジグを投げる。
魚はルアー見てるんだろうなーなんてことを考える。
釣り人が水辺にいるときにやるべきことはシンプルである。
魚の気分を想像し、ルアーや餌を選択する。
魚がいるところを想像し、そこにルアーや餌を投げる。
魚のいる深さを想像し、そこにルアーや餌を届けてやる。
それを集中しながら繰り返す。釣り人の水辺での行動はそれが全てである。
ただ集中力というのは切れるものである。
釣果の面からみると集中力が切れた時間というのは可能な限りないほうがよい。
しかしセンチメンタルな日は集中力が切れた瞬間こそが、火傷した心を優しく冷やしてくれる最も大事な時間である。
真冬の湖上は僕に人生について考える時間を沢山与えてくれた。
先週の僕はたくさんの不安を抱えながら生きていて、それを湖上に持ち込んでいた。湖上にいたからこそそれに気がついた。
雪が僕の頭につもり、手はかじかみ、集中力が時たま途切れる。
そんなときに頭をよぎったのはかつて同じような気持ちで、不安を抱えながら琵琶湖で竿を振っていたかつての記憶である。
魚釣りのいいところは誰かと同行していても、必ず自分自身と語り合う隙間が出来るところだ。
ある時はうだるような暑さの中、ある時は新緑の渓相の中、ある時は極寒の湖上。
どんな場所においても水辺では自分だけの世界を作り出すことが出来るのだ。
幸せってなんなんだろう。
いい人生ってなんだろう。
愛ってなんだろう。
僕はそのときそのときで「現状での答え」を出してきた。
それを考えるのは例外なく水辺。
自然の中で正解のない問題を考えることで痛みが和らぐ感覚を得ることが出来る。
また、なにか失敗したり、失恋したり、人間関係がもつれたり、大きな選択をしたり
そんなことが起こる度に水辺ですべて洗い流し前に進んできた。
だから今回だって前にすすめる。そんな気持ちにさせてくれるのだ。
さらに上手く行けば、気持ちが病んでる釣り人にも命は答えてくれる。
2017年末の夜、公私共に悩みに悩んでた僕に釣れたブラックバス。
彼ら彼女らのもつ生命感にも何度も救われてきた。
琵琶湖では春夏秋冬、老若男女問わず竿を振る光景が見られる。
最近では真冬の夜でも多くの釣り人で賑わっている。
その中にはきっと純粋に魚を釣ることしか考えずに来てる人もいるし、
やけどした心を優しく琵琶湖に癒されに来ている人もいると思う。
そんなことも考えず、ご飯を食べるが如く毎日狂ったように湖岸に立つ人もいるだろう。
僕は上記の全ての立場で琵琶湖にたった経験がある。
いろんな事情を抱えながらいろんな人が湖岸で竿を出す光景がまた僕を勇気づけてくれるのだ。
魚が釣れそうな日。
嫌なことを忘れたい日。
自分を信じられなくなった日
正解のない問題を深く考えたい日。
そんな日に僕は釣りに行きたくなるのだ。
それはいったいどんな日だろうか。
僕が真っ先に思いつくのは
低気圧が来た日や風が吹いた日。
そして潮回りが良い日。
これらは「魚が釣れそうだなー」という感覚から、
自然とそわそわして、釣りに行きたくなる日である。
それとはまた別で
嫌なことがあった日、
耐え難いプレッシャーを抱えている日
そんな日には魚が釣れなくたって構わないからとにかく釣りに行きたくなる。
簡単に言ってしまうとセンチメンタルな日には釣りに無性に行きたくなるのだ。
一人で行きたい気分の時があれば、
誰かと竿を並べたいときもある。
また、水辺は心が火傷した時、それを冷やしてくれる優しさを持っていると思うのだ。
先日のフィッシングショー絡みの関西出張
4月からガイド業をスタートされる奥山さんのご厚意で、
久しぶりに琵琶湖の沖に浮くことが出来た。
滋賀県出身の僕にとって琵琶湖バス釣りは僕を育ててくれた釣りのひとつ。
10歳の頃から、楽しいことがあった日も、悲しいことがあった日も竿を振った場所。
2月の琵琶湖は寒い。
おまけに今年は最強級の寒波が長い周期で襲ってきていた。
朝はマイナス6度である…
過酷すぎたこの日、魚は口を使うことはなかった。
吹き付ける雪を感じながら、ビッグベイトやジグを投げる。
魚はルアー見てるんだろうなーなんてことを考える。
釣り人が水辺にいるときにやるべきことはシンプルである。
魚の気分を想像し、ルアーや餌を選択する。
魚がいるところを想像し、そこにルアーや餌を投げる。
魚のいる深さを想像し、そこにルアーや餌を届けてやる。
それを集中しながら繰り返す。釣り人の水辺での行動はそれが全てである。
ただ集中力というのは切れるものである。
釣果の面からみると集中力が切れた時間というのは可能な限りないほうがよい。
しかしセンチメンタルな日は集中力が切れた瞬間こそが、火傷した心を優しく冷やしてくれる最も大事な時間である。
真冬の湖上は僕に人生について考える時間を沢山与えてくれた。
先週の僕はたくさんの不安を抱えながら生きていて、それを湖上に持ち込んでいた。湖上にいたからこそそれに気がついた。
雪が僕の頭につもり、手はかじかみ、集中力が時たま途切れる。
そんなときに頭をよぎったのはかつて同じような気持ちで、不安を抱えながら琵琶湖で竿を振っていたかつての記憶である。
魚釣りのいいところは誰かと同行していても、必ず自分自身と語り合う隙間が出来るところだ。
ある時はうだるような暑さの中、ある時は新緑の渓相の中、ある時は極寒の湖上。
どんな場所においても水辺では自分だけの世界を作り出すことが出来るのだ。
幸せってなんなんだろう。
いい人生ってなんだろう。
愛ってなんだろう。
僕はそのときそのときで「現状での答え」を出してきた。
それを考えるのは例外なく水辺。
自然の中で正解のない問題を考えることで痛みが和らぐ感覚を得ることが出来る。
また、なにか失敗したり、失恋したり、人間関係がもつれたり、大きな選択をしたり
そんなことが起こる度に水辺ですべて洗い流し前に進んできた。
だから今回だって前にすすめる。そんな気持ちにさせてくれるのだ。
さらに上手く行けば、気持ちが病んでる釣り人にも命は答えてくれる。
2017年末の夜、公私共に悩みに悩んでた僕に釣れたブラックバス。
彼ら彼女らのもつ生命感にも何度も救われてきた。
琵琶湖では春夏秋冬、老若男女問わず竿を振る光景が見られる。
最近では真冬の夜でも多くの釣り人で賑わっている。
その中にはきっと純粋に魚を釣ることしか考えずに来てる人もいるし、
やけどした心を優しく琵琶湖に癒されに来ている人もいると思う。
そんなことも考えず、ご飯を食べるが如く毎日狂ったように湖岸に立つ人もいるだろう。
僕は上記の全ての立場で琵琶湖にたった経験がある。
いろんな事情を抱えながらいろんな人が湖岸で竿を出す光景がまた僕を勇気づけてくれるのだ。
魚が釣れそうな日。
嫌なことを忘れたい日。
自分を信じられなくなった日
正解のない問題を深く考えたい日。
そんな日に僕は釣りに行きたくなるのだ。
- 2018年2月15日
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