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▼ 河川の三大パターン 後編
- ジャンル:日記/一般
夕方、荷物持ちとしてスーパーに行ってきた。
まず人の多さに辟易( ̄0 ̄;)
そこで目に飛び込んできたのが、丸々太ったうまそうな尺アジ。鹿児島産、三尾で500円也。安過ぎる…。
寒さに耐え、眠さに耐え、高い高速代とガス代を払い、やっと手にした20㎝台のアジ10尾。せいぜい300円か。なんだかな~
シーバスって正味の話、一尾いくらぐらいなんだろうか。知りたいような、知りたくないような…。
さて、運河のバチパターンから。
ポイントによって多少の違いはあっても、年間通して一番簡単にシーバスが釣れるのが、GW前後から始まるバチ抜けシーズンではないだろうか。
特に五月前半。トリッキーが本格参戦する前だ。
京浜運河と隅田川系の運河では、バチの現れ方が違う。またそれぞれの運河筋によっても、魚の入りはもちろん、バチの量、種類もかなり違うことがある。
仙人は主に、隅田川河口、運河の数ヶ所のポイントに絞って観察してきた。7年間通い続けている場所もあれば、 浚渫でバチがパーになったところもある。
いずれにしても、決めたポイントをある程度の期間リサーチして、その傾向から対策を練ることが大事だと思う。満潮でバチが抜け、下げ始めからが時合、てな考えでは湾奥のシーバスに鼻で笑われるよ。
バチ用ルアー数知れず。
エリ10は今でも最強かもしれない。ただしその日の自然条件によっては反応が悪いこともある。バチの種類に、ルアーや巻くスピードなどをアジャストすることもまた重要である。なお、バチの時期、魚はほぼそのシルエットのみで餌を追っているのでカラーローテーションは無意味だと仙人は考えている。
バチシーズンはサイズが出ない。
アベレージは40㎝台。タモが要らないから楽チンだ。
一通り騒がしい時間が終わり、静寂が訪れると、それからが独占大人の時間。
食べ盛りが去ったあと、小腹を空かせた働き盛りがふらっと残りバチを引っかけに立ち寄ることがある。サイズを狙いたいなら、ライズが消えた後も一時間くらいは投げ続けることをオススメする。
連日大漁、そして寝不足。しかしそんな日々もそう長くは続かない。
6月に入ると、うまそうなゴカイ系バチは減り、トリッキーが運河を席巻し始める。コノシロのライズに悩まされるのもこの梅雨のはしりと時期が重なる。
クルクルパターンが難攻不落である要因は、アミパターンのそれと同じだと言える。攻略の鍵を探すより手っとり早いのは、抜け道を探すことである。
トリッキーを演出できるテクニックが無いのなら、同時に他のベイトに反応する魚を探すか、トリッキー自体が、ルアーによって演出しうる動きに制限される環境を見つけ、そこで勝負するか、その二通りしかない。
6月ともなるとハクが河川を遡上し、派手なボイルに遭遇することも増える。同じく運河でもバチに混じって泳ぐハクの群れが毎年見られる。
現に仙人の好きな運河ポイントでも、シーバスがミノーのグリグリ巻きに反応することがあるので、いい気分転換になる。これもまたバチパターンと言っていいのか、微妙なところだ。
止水域にて、高速で上下左右に動き回るトリッキーバチを捕食している魚はまず釣れない。頻発するライズにつられて時間を無駄にするより、見切る勇気を持って移動するほうが結果的には正解だと思う。再現可能なパターンを求めるなら、一発への期待はほどほどにしておくべきである。
初夏、近所の小川にもシーバスがやってくる。目的は3㎝くらいに育ったハクだ。こいつらが川面一面で騒いでたりする。
夏至の前後、夜間の潮位変化が年間で最小になる。どの河川の上げも下げも流速は遅く、シーバスの活性は昼間のほうが高い。ただ、朝マズメのシャローは元気な魚で溢れかえる。
この時感じるのが、ルアーを動かせる喜びだ。ハクやイナッコの群れにトップ系ルアーをダイブさせる。プレデターのスイッチを入れてやるにはこの方法がベストではないだろうか。
潮目やブレイクなど、シーバスがいるであろうピンポイントにルアーを通すのではなく、小魚が群れている筋を掻き乱すのである。もしそれが同じ動作であっても、意味は違う。
アジングでも仙人はそのメソッドを踏襲している。ベイトがアミや浮遊しているプランクトンならかなり有効だ。バスのシェイクとほぼ同じ。ふわっと縦に持ち上げてからのフォールと合わせて、かなり忙しなくなるが、アジが飽きずに遊んでくれるように頑張っている。
仙人はデイゲームが苦手だ。バイブレーションの扱い方がイマイチ解らないのが最大の理由である。
ただのリアクションなのか、小魚だと思って食ってくるのか、そこが判然としないことには気持ちがゴリッと入らない。
そうなれば魚に突撃インタビューだ!
仙人「なんで、ルアー食べちゃうの?」
魚A「エビがね、好きなの。カニはね、固いの。」
魚B「バイブの振動が側線にビンビンきちゃって、無性に何かをくわえたくなるの~」
なるほど、よくわかりませんね。
真夏は、釣りを少しの間だけ忘れるために、海へ、山へ、繰り出そう。水の透明度が高いと、堤防などから魚が見えてしまう恐れがあるから、房総や伊豆は避けたほうがよい。
9月になり、水温はまだだが、気温は落ち着いてくる。ボラの子供達もルアーの大きさほどまで成長し、サッパやイワシと区別がつくようになる。
橋の明暗には釣り人が張り付き、夕暮れ時からでは思った釣り座は確保できない。
このベイトフィッシュパターンもバチパターンと同じく、安定した釣果が得られる。しかし主にオープンエリアがバイトゾーンになるバチに比べ、BFPは魚の捕食場所が幾分限定される。効率よく餌を捕るために、しばらくの間同じ場所に定位して、捕食しては戻り、また捕食しては戻る、を繰り返す魚もいる。
明暗や橋脚際を攻める時、気を遣うのがルアーのローテーションだ。反応が悪くなる前に変える。特にリップ付きのミノーはスレるのが早い気がする。
そんなとき、めんどくさがりの仙人は自由度が高いシンペンを多用する。
レンジが刻めて動きすぎない。
橋の上から観察していると、生きた小魚は群れであっちいったりこっちいったりしていて、流れに対して最大でも30°程しか傾かない。尾びれは一生懸命動かしているわりに、身体はそれほどブレていない。
したがって、ルアーをより自然に見せ、橋脚の裏にへばり着いた魚へのアピールも考慮すれば、橋に対して鈍角にキャストすべきである。立ち位置は橋から遠くなり、明暗を綺麗にトレースすることがかなり難しくなるが、本物のイナッコもジグザグ不規則な動きをしているので、それほど気にすることはないと思う。ただ、今どこにルアーがあるのか、どの向きなのかといったイメージは必ず持つとよい。キャストの距離感も含め、イメージと実際の状態の 乖離が収束することによって、さらにギリギリを攻めることが可能になり、それまで捕れなかった魚を手にすることが出来るのだ。…ちょっとカッコつけすぎました…
科学の世界では、再現可能な実験によって証明された事象のみが真実として認知される。仮説がラボを作り、その中で行われる試行錯誤も、科学的結論を人間の理想に近づけることを最終目的としているように見える。
一方、その生態が科学の力によって明らかにされつつある魚達は、水という巨大なブラックボックスの中で生活している。
自然を理解するためには基本的な科学の知識は必要だけれども、単純化された公式を求めれば求めるほど、無限の可能性が広がる宇宙の捉え方を狭めることになる。
仙人は釣れるまでのプロセスを大事にしたいと常に思っている。状況判断から始まり、ルアーの選択、アクションにいたるまで、ある程度自分の理想像を追った結果魚と出会えたとき、なんとも言えない満足感を感じるのは事実である。
しかし、それは何も、唯一無二のパターンを見つけた満足感ではない。魚に口を使わせるまでコントロールしたとも当然思わない。
魚を釣り上げるまでのプロセスには、遊びの要素も多く含まれていて、フィールドがそのまま、魚を取り巻く自然との社交場としての役割を担っていると感じるのである。自然に身をおき、自らがその一部になった感覚がその満足感の源ではないだろうか。
今回書いた各パターンは、時期もメソッドも互いにリンクしている。季節毎に変わる魚の食性はルアーフィッシングに変化を与え、ゲーム性を高め、タックルの多様化やアングラーの嗜好を生む。それが日本に住むすべての魚に当てはまるとすれば、そこには無限のパターンが存在することになる。
パターンと銘打つことで、どこか釣りが偏った方向へ進んでいるのは確かだが、メーカーを含む釣り業界の煽動なしにはそのゲーム性やバリエーションの拡大が難しいのも事実である。多彩なシチュエーションを抱える湾奥で、魅力的なパターンを堪能し続けられるために、自然に対してどのように接していくべきなのか。個人の考えに留まらず、きれいごとではない自治体の意識改革も必要だと考えるのである。
まず人の多さに辟易( ̄0 ̄;)
そこで目に飛び込んできたのが、丸々太ったうまそうな尺アジ。鹿児島産、三尾で500円也。安過ぎる…。
寒さに耐え、眠さに耐え、高い高速代とガス代を払い、やっと手にした20㎝台のアジ10尾。せいぜい300円か。なんだかな~
シーバスって正味の話、一尾いくらぐらいなんだろうか。知りたいような、知りたくないような…。
さて、運河のバチパターンから。
ポイントによって多少の違いはあっても、年間通して一番簡単にシーバスが釣れるのが、GW前後から始まるバチ抜けシーズンではないだろうか。
特に五月前半。トリッキーが本格参戦する前だ。
京浜運河と隅田川系の運河では、バチの現れ方が違う。またそれぞれの運河筋によっても、魚の入りはもちろん、バチの量、種類もかなり違うことがある。
仙人は主に、隅田川河口、運河の数ヶ所のポイントに絞って観察してきた。7年間通い続けている場所もあれば、 浚渫でバチがパーになったところもある。
いずれにしても、決めたポイントをある程度の期間リサーチして、その傾向から対策を練ることが大事だと思う。満潮でバチが抜け、下げ始めからが時合、てな考えでは湾奥のシーバスに鼻で笑われるよ。
バチ用ルアー数知れず。
エリ10は今でも最強かもしれない。ただしその日の自然条件によっては反応が悪いこともある。バチの種類に、ルアーや巻くスピードなどをアジャストすることもまた重要である。なお、バチの時期、魚はほぼそのシルエットのみで餌を追っているのでカラーローテーションは無意味だと仙人は考えている。
バチシーズンはサイズが出ない。
アベレージは40㎝台。タモが要らないから楽チンだ。
一通り騒がしい時間が終わり、静寂が訪れると、それからが独占大人の時間。
食べ盛りが去ったあと、小腹を空かせた働き盛りがふらっと残りバチを引っかけに立ち寄ることがある。サイズを狙いたいなら、ライズが消えた後も一時間くらいは投げ続けることをオススメする。
連日大漁、そして寝不足。しかしそんな日々もそう長くは続かない。
6月に入ると、うまそうなゴカイ系バチは減り、トリッキーが運河を席巻し始める。コノシロのライズに悩まされるのもこの梅雨のはしりと時期が重なる。
クルクルパターンが難攻不落である要因は、アミパターンのそれと同じだと言える。攻略の鍵を探すより手っとり早いのは、抜け道を探すことである。
トリッキーを演出できるテクニックが無いのなら、同時に他のベイトに反応する魚を探すか、トリッキー自体が、ルアーによって演出しうる動きに制限される環境を見つけ、そこで勝負するか、その二通りしかない。
6月ともなるとハクが河川を遡上し、派手なボイルに遭遇することも増える。同じく運河でもバチに混じって泳ぐハクの群れが毎年見られる。
現に仙人の好きな運河ポイントでも、シーバスがミノーのグリグリ巻きに反応することがあるので、いい気分転換になる。これもまたバチパターンと言っていいのか、微妙なところだ。
止水域にて、高速で上下左右に動き回るトリッキーバチを捕食している魚はまず釣れない。頻発するライズにつられて時間を無駄にするより、見切る勇気を持って移動するほうが結果的には正解だと思う。再現可能なパターンを求めるなら、一発への期待はほどほどにしておくべきである。
初夏、近所の小川にもシーバスがやってくる。目的は3㎝くらいに育ったハクだ。こいつらが川面一面で騒いでたりする。
夏至の前後、夜間の潮位変化が年間で最小になる。どの河川の上げも下げも流速は遅く、シーバスの活性は昼間のほうが高い。ただ、朝マズメのシャローは元気な魚で溢れかえる。
この時感じるのが、ルアーを動かせる喜びだ。ハクやイナッコの群れにトップ系ルアーをダイブさせる。プレデターのスイッチを入れてやるにはこの方法がベストではないだろうか。
潮目やブレイクなど、シーバスがいるであろうピンポイントにルアーを通すのではなく、小魚が群れている筋を掻き乱すのである。もしそれが同じ動作であっても、意味は違う。
アジングでも仙人はそのメソッドを踏襲している。ベイトがアミや浮遊しているプランクトンならかなり有効だ。バスのシェイクとほぼ同じ。ふわっと縦に持ち上げてからのフォールと合わせて、かなり忙しなくなるが、アジが飽きずに遊んでくれるように頑張っている。
仙人はデイゲームが苦手だ。バイブレーションの扱い方がイマイチ解らないのが最大の理由である。
ただのリアクションなのか、小魚だと思って食ってくるのか、そこが判然としないことには気持ちがゴリッと入らない。
そうなれば魚に突撃インタビューだ!
仙人「なんで、ルアー食べちゃうの?」
魚A「エビがね、好きなの。カニはね、固いの。」
魚B「バイブの振動が側線にビンビンきちゃって、無性に何かをくわえたくなるの~」
なるほど、よくわかりませんね。
真夏は、釣りを少しの間だけ忘れるために、海へ、山へ、繰り出そう。水の透明度が高いと、堤防などから魚が見えてしまう恐れがあるから、房総や伊豆は避けたほうがよい。
9月になり、水温はまだだが、気温は落ち着いてくる。ボラの子供達もルアーの大きさほどまで成長し、サッパやイワシと区別がつくようになる。
橋の明暗には釣り人が張り付き、夕暮れ時からでは思った釣り座は確保できない。
このベイトフィッシュパターンもバチパターンと同じく、安定した釣果が得られる。しかし主にオープンエリアがバイトゾーンになるバチに比べ、BFPは魚の捕食場所が幾分限定される。効率よく餌を捕るために、しばらくの間同じ場所に定位して、捕食しては戻り、また捕食しては戻る、を繰り返す魚もいる。
明暗や橋脚際を攻める時、気を遣うのがルアーのローテーションだ。反応が悪くなる前に変える。特にリップ付きのミノーはスレるのが早い気がする。
そんなとき、めんどくさがりの仙人は自由度が高いシンペンを多用する。
レンジが刻めて動きすぎない。
橋の上から観察していると、生きた小魚は群れであっちいったりこっちいったりしていて、流れに対して最大でも30°程しか傾かない。尾びれは一生懸命動かしているわりに、身体はそれほどブレていない。
したがって、ルアーをより自然に見せ、橋脚の裏にへばり着いた魚へのアピールも考慮すれば、橋に対して鈍角にキャストすべきである。立ち位置は橋から遠くなり、明暗を綺麗にトレースすることがかなり難しくなるが、本物のイナッコもジグザグ不規則な動きをしているので、それほど気にすることはないと思う。ただ、今どこにルアーがあるのか、どの向きなのかといったイメージは必ず持つとよい。キャストの距離感も含め、イメージと実際の状態の 乖離が収束することによって、さらにギリギリを攻めることが可能になり、それまで捕れなかった魚を手にすることが出来るのだ。…ちょっとカッコつけすぎました…
科学の世界では、再現可能な実験によって証明された事象のみが真実として認知される。仮説がラボを作り、その中で行われる試行錯誤も、科学的結論を人間の理想に近づけることを最終目的としているように見える。
一方、その生態が科学の力によって明らかにされつつある魚達は、水という巨大なブラックボックスの中で生活している。
自然を理解するためには基本的な科学の知識は必要だけれども、単純化された公式を求めれば求めるほど、無限の可能性が広がる宇宙の捉え方を狭めることになる。
仙人は釣れるまでのプロセスを大事にしたいと常に思っている。状況判断から始まり、ルアーの選択、アクションにいたるまで、ある程度自分の理想像を追った結果魚と出会えたとき、なんとも言えない満足感を感じるのは事実である。
しかし、それは何も、唯一無二のパターンを見つけた満足感ではない。魚に口を使わせるまでコントロールしたとも当然思わない。
魚を釣り上げるまでのプロセスには、遊びの要素も多く含まれていて、フィールドがそのまま、魚を取り巻く自然との社交場としての役割を担っていると感じるのである。自然に身をおき、自らがその一部になった感覚がその満足感の源ではないだろうか。
今回書いた各パターンは、時期もメソッドも互いにリンクしている。季節毎に変わる魚の食性はルアーフィッシングに変化を与え、ゲーム性を高め、タックルの多様化やアングラーの嗜好を生む。それが日本に住むすべての魚に当てはまるとすれば、そこには無限のパターンが存在することになる。
パターンと銘打つことで、どこか釣りが偏った方向へ進んでいるのは確かだが、メーカーを含む釣り業界の煽動なしにはそのゲーム性やバリエーションの拡大が難しいのも事実である。多彩なシチュエーションを抱える湾奥で、魅力的なパターンを堪能し続けられるために、自然に対してどのように接していくべきなのか。個人の考えに留まらず、きれいごとではない自治体の意識改革も必要だと考えるのである。
- 2014年12月17日
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