釣り人の愚行 その三

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命の差別。

人間は差別する生き物だ。

人間同士の差別はもちろん、あらゆる命を差別する。

私も飼育している魚の死より、飼い犬の死の方が圧倒的に悲しい。

おそらくこういった感情は仕方ないと思う。

犬や猫などは魚や昆虫・爬虫類等より明らかに私達飼い主と心が通じ合うのだから。

だからと言って、魚の命が犬のより軽いというわけでは決してない。

当然人間の命が一番尊いということもない。

命の重さを実感出来ない人は、ペットを飼ったりしてその死に立ち会うことをすすめる。

更に言えば屠殺場の見学をするべきだ。

普段私達が食べている食肉がどうやって店頭に並ぶのかを知れば、買った肉を腐らせたり捨てたりすることなど絶対にしなくなる。

魚や肉・野菜等あらゆる食べのが無駄に生産され、そして大量に廃棄されている。

こんなに命を侮辱する行為があるだろうか。

人間ほど残酷で非道な生き物はいない。

もちろん親兄弟や親類・友人等の死に直面することも命を意識させられるが、大半の人間はもともと人間の命は人間以外の生き物の命とは別格と思っているので、あまり意味が無い。


釣りは魚の命と直接関わる趣味だ。

当然魚の命を常に意識させられる。

釣りの魅力は色々ある。

魚を釣るためのアプローチ法を考えるのも楽しいし、釣果関係なく自然なの中で贅沢な時間を過ごすのも楽しい。

他にも色々な楽しさがある。

ただ、その中でも一番の魅力は「魚の引き」だと思う。

要するに魚が命がけの抵抗をしている時間が、釣り人にとっては最高の時間なのだ。

釣りとは何とも悪趣味だ。

でも、やはり釣りは楽しい。

そして命を意識できる趣味である。


食べるための釣りなら、釣り上げた魚の命を無駄にせず、おいしく頂けば良い。

ただ、食べるための釣りでも外道が釣れると海に返さず、ポイポイと釣り場に捨てる釣り人がいるが、それはやってはいけない行為だ。言語道断だ。

そしてキャッチ&リリースだ。

まさに自己満足の世界だ。

だが、資源を守るという意味ではリリースも悪くはない。

それでもリリースした魚が100%生き残る訳ではないことは自覚するべきだ。

リリースした魚の生存率を上げるには、なるべく魚体にダメージを与えず釣りあげ、極力時間を掛けずに素早くリリースすることだ。

それなのにどうだろう。

釣り番組や雑誌の取材では魚に針を掛けたままリリースもせず、長々と喋ったり、何度も魚体に触ったり。

これがプロなのだから正直心底呆れる。

解説などは素早くリリースしてからでも良いはずだ。

個人レベルでも釣れた魚の写真を撮ったりと、無駄に時間を掛けてリリースが遅れる。

なんのための写真なのか。

仲間への自慢か。それとも釣ったという証拠なのか。

証拠だとするなら、なんとも信用のない人間である。

疑う側にも問題はあるが。

仲間への自慢なら、やはり仲間など少ないにこしたとはないなと実感する。

思い出の魚は写真などなくてもいつまでも心に残っているものだ。

写真といえば証拠写真の必要なルアーフィッシングの大会も意味が分からない。

こういう大会に喜々として参加している釣り人の考えは本当に理解に苦しむ。

そしてトレブルフックだ。

どう考えても魚のダメージを考慮すればシングルフックが良いに決まっている。

なのに市販のルアーはトレブルフックが圧倒的に多い。


今の釣り人・釣り業界はあまりに人間本位になり過ぎている。

これは本当に深刻な問題だ。


釣りは魚のことを考えれば、当然やらはいほうが良い趣味だ。

それでも釣りは楽しいし、命を尊さを学べる趣味でもある。

我ながら己の中で様々な矛盾が生じる趣味だと思う。

必要以上に数を釣らない、外道もちゃんと海へ返す、リリースは時間を掛けずに素早く等々、魚の命をしっかりと考え釣りをしてほしいものだ。

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