四国の山の中のお話

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 昨日のログを過去に下ろす意味で、もう一回、ウザログを更新します。


 昔話です。と言っても、私が24歳になったばかりの頃ですから、彼是5年前...じゃなくて17年前の初夏のことです。ちょうど失業して 暇になったこともあり、従兄と、当時、話題になっていたホシスズキを宇和島へ釣りに行こうということになりました。
 星鱸、スターシーバス、スターパーチ。とにかくロマンチックなその名に惹かれ、半ば衝動的な行動だったのですが、実はこの魚、今で言うタイリクスズキなんですよね。
 もし、その当時からタイリクスズキと呼ばれていたなら、わざわざ自転車で四国に行こうとは思わなかったでしょう。
 今、わざとサラッと書きましたが、自転車旅行です。しかもギアもなにもないママチャリでした。一見、その辺から釣りに来ているようなそんな雰囲気でした。


 博多~門司港。そこからフェリーで松山まで行って、伊予~宇和島、そして四万十川河口がある中村市へと入ったわけですが、そこまでにも、様々なことがありました。
 伊予の駅では、寝袋に包まって身動き出来ぬ状態で酔っ払ったニューハーフに拉致されそうになりました。
 伊予から宇和島への途中の街で、釣竿を持っているというだけで、なぜか、無理矢理、鯉を釣らされたりもしました。
 宇和島で50cm前後のホシスズキをポンポン爆釣していると、地元のテレビ局が突然現れて、夕方(?)のテレビに出演しました(爆) 
 中村市のお好み焼き屋さんでお会いした水中カメラマンの方のご好意で、自宅に一週間も泊めていただき、その間ずっと四万十川及びその周辺でアカメを追いかけました。


 ただその辺の釣りの話は\(・_\)こっちに(/_・)/置いといて、今回は釣りと、まったく関係ない思い出話です(笑)。
 
 白石加代子風の語り口調で書いてみました♪
 

 四万十川を後にして、海沿いを進みつつ、最終目的地であった吉野川へと向っている途中でした。高知市に入る手前の漁港で、ハリスを細くすることに命を賭けているようなジイ様たちに捕まっている時、実家からポケベルに入電があったのです。
 連絡すると、同行していた従兄の父方の祖父(従兄と私の関係は母方)が亡くなったとのことでした。
 それで急遽、帰らなくてはならなくなったのですが、自転車があるので、バスで直行というわけにもいかず、高知市から地図を見ながら最短距離の山道を通って松山へ向かうことなりました。
 高知市を出る時は、一日で山を駆け抜けるつもりでいましたが、山道は想像以上に険しく、ついには四国山地のど真ん中で夜を向かえることになってしまいました。
 さらに悪いことに私の自転車がパンクしてしまい、身動きが取れなくなってしまいました。
 私たちは途方に暮れました。
 辺りを見渡しても何もありませんでした。まさに漆黒の闇とはあのようなことを言うのでしょう。初夏だと言うのに、日暮れと共に、辺りの気温は急激に下がっていました。

 私たちは、その寒さに震えながら、互いに励まし合うことで、何とか平静を保っていました。頼りはアスファルトに引かれた白線だけでした。まさに命の道標の如くそれを辿り、ただひたすら歩く事だけが、今、やらなければならないことだと、信じるしかありませんでした。

 山道をしばらく歩いていると、従兄がぼんやりとした光を見つけました。輝くような都会の中では気付きもしないほど淡いものでしたが、漆黒の闇の中では、まさに希望の光でした。

 光の先が道路に沿っていないことは、近くに行くまで気付きませんでしたが、すでに足枷でしかない自転車をその場に捨て置くと、光に向かって歩きました。

 光は、藪が茂った崖の上にありました。二つ崖をよじ登ったところで、ようやくそれが民家であることが判りました。また光の元は、その民家の屋外にあるお風呂から漏れているものでした。格子窓からはモウモウと湯気が洩れ、中から「ザバリ、ザバリ」と湯を浴びる音が聞こえてきました。
 

 四国の山の中にある、ただ一件の民家。
 

 私たちは、疲れ果てて、少々気が萎えていたのかもしれません。従兄と向かい合って、同じ事を考えていました。
 

 もしかすると・・・ここには・・・。
 

 庭先で立ち倦んでいると、不意に風呂の扉が開きました。中から徐に現れたのは、体中から湯気を発している真っ赤な大きな体でした。
 私はつい尻餅をついてしましました。従兄も眼を剥いて仰け反っていました。
 だたそれは一瞬のことで、決してモノノケや鬼の類ではないことは、すぐに判りました。
 素っ裸の男性は、キョトンとした素朴な表情で、私たちを見ていました。
 突如、庭先に現れた私たちの方こそ異様なはずなのに、男性は、何の警戒心も顕わにせず、むしろ旧知であるかのように「どうした?」と声をかけてくださったのです。

 その声に、私も従兄もやや平静を取り戻しました。男性は、理由を聞く間もなく、私たちを屋内へと導きました。そして、居間へ通されると、私たちにコタツへ入るよう促しました。
 そこには老婆、小学校高学年くらいの子供が二人。それに先程の男性の夫人であろう方と計4名が、テレビを見ていました。
 私たちはどうすれば良いのか判らず、ご家族に習って、テレビに目を向けていましたが、何が映っているか殆んど判らないくらい荒い画像でした。
 そうこうしていると、先程の男性が銚子とお猪口を抱え、私たちの斜向に座りました。
 私たちは、されるがままお猪口を手渡されると、酒を注がれました。下戸である従兄は躊躇していましたが、私はそれ以上に失礼を恐れ、猪口を口へ運びました。体がクッと熱くなるのを感じました。いつの間にか、席を立っていた夫人がテーブルに料理を並べていました。ずっと空腹のまま山道を歩いてきた我々にとっては有難いものでした。どの料理もツンと鼻を抜けるくらいワサビの効いていました。
 食事を済ませ体が温まってきた頃から、私は漸く焦燥感を覚えていました。なぜならここに至るまでの経緯どころか、名乗りすら終えていなかったからです。
 ふと思えば、ここの方々と殆ど会話らしい会話はしていませんでした。ただ勧められた酒と料理をひたすら口に運ぶ。それだけでした。

 不思議なことに、子供たちは、突然の訪問者である私たちを見ようともしませんでした。このぐらいの年頃は好奇心旺盛なはずです。にも拘らず、映っているかどうかも判らないようなテレビを黙々と観ていました。

 結局、名乗りもせぬまま、用意された床につきました。神経はどこかピリピリしておりましたが、肉体の疲れには敵わず、気付いた時には、異世界のような光線に目を覚ましました。
 ただ朝になって老婆が雨戸を開けただけなのですが、私は天国に来たのではないかと、勘違いしたくらいです。

 居間へゆくと、微笑みを浮かべた夫人に会釈され、慌てて挨拶をしました。山の朝は異様に明るかったことを憶えています。
 すでにご家族は朝食を済ませた後のようでした。子供たちも、ご主人もいませんでした。掛時計をみると、すでに9時をまわっていました。
 濃厚な味噌汁を頂きながら、何とか、夫人にだけでも名乗ろうとしましたが、その切欠さえなく、結局、何も話せぬまま、この民家を辞すことになったのです。

 玄関を出ると、軒下に私たちの自転車が並べてありました。驚いて夫人を見ると、ただ笑っているだけでした。さらにパンクの修理まで施してありました。私たちは夫人に深く礼を述べると、このお宅を後にしました。


 四国の山々を思う時、今でも、あの神々しいばかりに無口で親切なご家族のことを思い出します。

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