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▼ あれから4年が経ちました。
あの日から今日で4年が経ちましたね。
毎年、3月11日は仕事が休み。
それは東日本大震災により、多くの家族、友人、知人、親戚が亡くなってしまった従業員の為に会社が毎年取ってくれている休み。
4年という月日が経つのは早いですね。
つい、この間あった出来事のように感じてしまいます。
今日は、あの日を忘れない、風化させないために自分が被災した場所へ行ってきました。

途中、セレモニーが行われていてここで黙祷をしようと家族で決めた。
この場所には津波の到達点が記してあり、その高さは6.3m。
津波を経験している自分にとって、その高さは正直ゾッとする高さ。
濁流となって押し寄せる津波。
この高さをまともに食らってしまっては助からない。
思い出すのは先人の言葉。
「津波が来たらとにかく逃げろ」
簡単な言葉だけれど、実際には意外とできない。
車や貴重品を失いたくないとか…。
家族が心配で探しに行ってしまったりとか…。
避難する時間を別な時間に費やしてしまって逃げ遅れてしまい、津波に飲み込まれてしまうのだ。
大事なものは沢山あるのだけれど、一番大事なものは「命」です。
そして助かるためにはきちんと避難場所を確保し、家族との連携をし、集合場所を決めておくこと。
震災の教訓です。
気付けば時刻は14時46分になり、黙祷を捧げた。

黙祷直後に放たれたメッセージ入りの風船。
すすり泣く方々の気持ちが込められた風船はどこまでも遠くに飛んでいきました。
セレモニーの後に向かった先は日和山。

避難したときはここから登りました。
なかなかキツい階段で、当時は年配の方が多かったように感じられました。

日和山頂上からの眺め。
4年が経って、瓦礫は殆ど無くなり、祈念公園として生まれ変わるための工事が始まっています。

今は「無」といった感じですが、住み良いところになれば良いなと思います。
自分はこの場所で津波を目撃しましたが、それは酷いものでした。
全てを飲み込んでいく津波。
人を乗せたままの車が砕けた家屋と共に流されていく光景。
今でも思うのは、あれはなんだったのだろう?と。
「津波」とは理解はしているのですが、あの一瞬の出来事で全てが変わってしまったことに対して理解が、整理が出来てないんだと思います。
まだまだ東日本大震災は終わりません。
我々はこの大きな悲しみを背負って生きていかなくてはいけません。
そのために今を生きていけることに感謝して生きていきましょう。
そして伝えていく。
この先ずっと。
最後に東日本大震災から4年、亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り致します。 ネオ
Android携帯からの投稿
毎年、3月11日は仕事が休み。
それは東日本大震災により、多くの家族、友人、知人、親戚が亡くなってしまった従業員の為に会社が毎年取ってくれている休み。
4年という月日が経つのは早いですね。
つい、この間あった出来事のように感じてしまいます。
今日は、あの日を忘れない、風化させないために自分が被災した場所へ行ってきました。

途中、セレモニーが行われていてここで黙祷をしようと家族で決めた。
この場所には津波の到達点が記してあり、その高さは6.3m。
津波を経験している自分にとって、その高さは正直ゾッとする高さ。
濁流となって押し寄せる津波。
この高さをまともに食らってしまっては助からない。
思い出すのは先人の言葉。
「津波が来たらとにかく逃げろ」
簡単な言葉だけれど、実際には意外とできない。
車や貴重品を失いたくないとか…。
家族が心配で探しに行ってしまったりとか…。
避難する時間を別な時間に費やしてしまって逃げ遅れてしまい、津波に飲み込まれてしまうのだ。
大事なものは沢山あるのだけれど、一番大事なものは「命」です。
そして助かるためにはきちんと避難場所を確保し、家族との連携をし、集合場所を決めておくこと。
震災の教訓です。
気付けば時刻は14時46分になり、黙祷を捧げた。

黙祷直後に放たれたメッセージ入りの風船。
すすり泣く方々の気持ちが込められた風船はどこまでも遠くに飛んでいきました。
セレモニーの後に向かった先は日和山。

避難したときはここから登りました。
なかなかキツい階段で、当時は年配の方が多かったように感じられました。

日和山頂上からの眺め。
4年が経って、瓦礫は殆ど無くなり、祈念公園として生まれ変わるための工事が始まっています。

今は「無」といった感じですが、住み良いところになれば良いなと思います。
自分はこの場所で津波を目撃しましたが、それは酷いものでした。
全てを飲み込んでいく津波。
人を乗せたままの車が砕けた家屋と共に流されていく光景。
今でも思うのは、あれはなんだったのだろう?と。
「津波」とは理解はしているのですが、あの一瞬の出来事で全てが変わってしまったことに対して理解が、整理が出来てないんだと思います。
まだまだ東日本大震災は終わりません。
我々はこの大きな悲しみを背負って生きていかなくてはいけません。
そのために今を生きていけることに感謝して生きていきましょう。
そして伝えていく。
この先ずっと。
最後に東日本大震災から4年、亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り致します。 ネオ
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- 2015年3月11日
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