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一枚の写真

  • ジャンル:日記/一般
よく雑誌なんかで写真の下に小さく書かれている文章を「キャプション」という。「25×2」(25文字を2行の意味。ちょっとした業界用語)とかそれくらいの文字数のあれだ。
 
 
 
僕は編集者だった頃、このキャプションを書くのがとても苦手だった。何かを説明するには短いし、ズバッと言い切るのには長いこの文字数。自分の表現力のなさ、語彙の少なさを嘆きつつ、何とも説明的で、何とも中途半端で、何とも面白くない文字で埋めてしまうこともあった。
 
 
 
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今日こんな写真を見た。ふと思った。
 
 
 
この写真に言葉は必要だろうか? この写真は言葉を必要としているだろうか? この写真にキャプションは必要だろうか?
 
 
 
説明しようとすれば、説明することはあるかもしれない。黒く赤い大河に身を委ねた男がTERUという人物であること、その大河はアマゾンであること、異様に牙の発達した魚がカショーロという魚であること、男が口元に湛える表情のこと。ただ、何か余計な言葉を挟めば、この一瞬はうまく伝わらないかもしれない、あるいは歪んでしまうかもしれない。彼の表情には、放心・恍惚・安堵などという言葉がでは表現できない、もっともっと深いもの(本当に伝えたいこと)がある。辿り着くまでに費やした膨大な年月、失ってきたもの、目標を達成したときの喪失感など、言葉では言い尽くせないものが確かに写っている。そして、僕には感じられないこと、気付かないこともきっと山ほど写っている。
 
 
 
考えてもみると、人の心を揺さぶる写真とか写真集には、必要以上に余計な能書きなど書かれない。足りないから、僕らはそれを文字で補おうとする。いい写真にはキャプションなどいらない。それ自体が伝えるべきものを何よりも雄弁に語り、その判断を受け手に任せているのだから。言葉はなくとも、人の感情も、命の躍動も、水の音、空の匂いだって伝えられる。

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