嬉しかった事

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次の釣行から釣りログ再開しようと思っていたのですが、
釣行自体、公共機関の運転制限やガソリンの入手困難や強風やらでノビノビになってました。
結果、未だ釣行はいってないのですが先週末ちょっと嬉しい再会があったので記しておきたいと思います。思いつくまま書くので取り留めの無い文章になると思いますがご容赦を。

弊社メーカーに協力してくれているスタッフやテスター、他にも懇意にしてくれている方々が宮城におります。今回の震災で甚大な被害のあった東松島の地域の人々です。

自分も昨年宮城に釣行の撮影に行った際、お世話になった船長は当日カレイ釣りに出ていましたが地震直後に港に引き返し家族を連れて全員無事に避難したそうです。

テスターの一人は当日岩手の磯で釣りしていて、急いで道路まで駆け上がり車に乗り込んだ所で津波に襲われ、津波に流されている最中に車の窓を割って脱出し、たまたまそばにあった鉄塔にしがみついて津波をやり過ごし、その後4日歩いて宮城に戻ってきたそうです。

そして先週末に再会できた宮城の現地スタッフ。家も車も全て流され、避難所の物資が不十分なため(その避難所ではストーブも足りてなく、いまでも朝晩1個ずつのおにぎりの支給がやっとだそうです)物資搬送用に車を入手に来た際に会う事ができました。
話す声は以前と変わらず元気そうですが、顔には披露の色が濃かったです。

地震当日は避難した学校の2階(3階だったかもしれません)まで津波で水が上がってくる中、流されてくる人を教室のカーテンをロープ代わりにして何名か救出できた反面、それが届かなかった人々の事。翌日から自衛隊の捜索が始まるまでの間、瓦礫の中から生存者を探し続けるも、見つかるのは遺体ばかりだった日々。そして彼の会社の従業員も死体で発見され…(昨年宮城を訪れた際に少し会話した方でした…ご冥福をお祈りいたします)
そんな地獄(本人がそう表現しておりましたのでその表現をお借りする事をお許しください)のような日々から癒える間も無かった為、表情は笑顔を作ってもその眼は言いようの無い暗さを携えていました。
福島の原発の話になると放射性物質が海に大量に流れ込んでいる事を気にしていて…「俺の海が汚染されていく」そんな怒りと悲しみを隠しきれない様子でした。宮城なら海による拡散がどうとか海流の向きがとか浅い知識でその場しのぎの事を言う事が憚られ何もいえませんでした。

こちらに来た機会に少しゆっくりして鋭気を養って欲しいと思っていましたが、なるべく多くの物資を持ち帰る為に家族も現地に置いてきたのでそれも叶わず。
一刻も早く戻りたかったのでしょう、契約した車は乗り出しに数週間かかるため、弊社のワンボックスに物資を詰めるだけ積んで昨日宮城に帰っていきました。

彼も前述の方々も家も仕事も失ってしまい、今後大変な苦労が待っているでしょう。それでも自分は彼らの生き延びた逞しさに感動し、再会出来た事を嬉しく思わずにいられません。てのは被災しなかった立場の身勝手なのでしょうかね。
出来る事があるなら(出来る事を見いだせるなら)協力させてもらいたいと思いますが…そういった発想する力が求められていると思います。fimoでもそういったアイディアがどんどん出てきています。是非参考にさせていただきたいと思っています。

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