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おやじ殿の葬儀も無事終わった。

何人かの友人から、お気遣いの連絡を戴いた。
本当にありがとう。
 
まぁ前回も少し書いたけど、余命3ヶ月が10数年という延長戦だったこともあり、家族ともども長い年月とともに最後に良い時間を過ごせたなという思いが大きい。
 
人の死に若いころから比較的多く接してきた私だけど、やはり慣れるという事はない。
ただ、若い命が突然奪われるのと、天寿を全うした人の終わりを見るのでは意味が違うんだなと。
 
生前おやじ殿は、「俺が死んだら、みんなでワイワイと宴で締めくくって欲しい」と言っていたが、今回のコロナ騒動であまり大人数の葬儀とはできない事情があり、その思いを叶える事は『家族や一部の親族だけ』でしかできなかったのは残念。
 
そう結局この工藤家という一族は、そこから(というか亡くなってから)の3日3晩を飲み明かして過ごしたのだった。
ぶっちゃけ、飲み疲れた頃に葬儀が終わった。
(葬儀後も飲み続けたが)
 
近所のスナックへ行って「おやじ殿の好きだった歌をひたすら歌う」とかも、母様が「あれ歌え、これ歌え」から始まったもので、孫たちはあきれて端っこでバカな大人のアホ騒ぎを見て「葬式って悲しいものでは無いのか?」という素朴な疑問を投げかけていたり。

常識なんてものは、所詮そんなものなのだよ。
 
人によっては不謹慎だのなんだの言うかもしれない。
だけど、故人も望み、我々家族は常にその時その時を納得して生きてきた。

だから最後も、生きている人がどうやって楽しんでいくかに終始した。
おやじ殿はそういう工藤家を作り上げた。

ありがとう。
 
そしてそれは、子供と孫に引き継がれていく。
 
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なんとなく次は自分の番だなと、ぼんやりと思った。

それは悲しいという事ではなく、ひとつ責務を果たした後のような気持ち。
もちろん、我が子たちが成人するまでは、そんな一息もつけないのだろうけど。

高校性のころ、一つ気が付いたことが在る。
「死んだらただの灰になるだけ。金も思い出も墓場にはもっていけないし、たとえ教科書に載るぐらい偉くなってもそんなものは時代が変われば忘れ去られていく。唯一現世に残せるものは血だけだ」と。
その考えは今も変わらず、だからこそ自分のやり方は常に子供達へすべて見せてきた。
無理強いはしない。
ただ、見とけと。

継承とはそういう事なのだろうな。

今回、とても親身になってくれた葬儀屋さんに感謝。
そして滞りなく終わらせることができたのは、我が姉を筆頭とした嫁衆のお陰でもある。
アホな男衆が日々好きな事をやれるのは、やはり偉大なる嫁様の理解によるものなのだ。
忌引休暇を最大限活用し、ひたすらハンドメイドルアーを作っていても、いっさい怒られない家庭ってほんと素敵だなと思う(笑)

来週から通常更新です。
 

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