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3月11日あの日・・・

  • ジャンル:日記/一般
今日は3月11日

あの日から2年が経ちました
あの日は僕は茨城県の鹿島港で作業してました
午後になり、晴れて穏やかな天気で、今日の仕事が終われば土日は休み
仕事が終わったら好調だったパチンコに行こうとソワソワしてました

あの瞬間までは・・・

作業船上の休憩室でコーヒーを飲みながら談笑していると

カタカタカタカタ・・・・・・・・

小刻みな揺れが
「ん?地震や」
そう言っていると

ズズン!ズズン!ズズン!ズズン!ズズン!ズズン!ズズン!ズズン!ズズン!
今まで体験したことがないような揺れが
揺れというより、激しく船が叩きつけられるような感じ
揺れはさらに激しくなる!
慌てて外を見ると12本の係留ワイヤーが弾けるように踊り上がっている!
もう48ミリのワイヤー、80ミリのロープが今にも切れそう
船は激しくローリングして、岸壁側に傾く!

脳裏によぎったのは
「ひっくり返る!」

今度は海底の泥を激しく巻き上げて反転する

東電の火力発電が今にも爆発しそうなまでの黒煙を噴き上げている
向かいの住友金属の屋根は爆発で吹き飛んだ

岸壁は液状化して1mほど段差ができて、さらに揺れで横にずれ動いている
揺れはこの辺りでやっと収まってきた

『津波がくる!!』

直感的にそう思いました
大声で部下達に「津波が来る!逃げよう!!」
船はエンジンかけたまま
クレーンも立てたまま

とにかく現場全員が、どこへともなくとにかく逃げました
道中も道路が液状化したりしてガタガタ、停電で信号は消えている

そんな時、日本人て真面目なんですね、信号ついてなくてもちゃんとある程度行ったら止まって横から出てくる車を行かせてくれる

逃げる途中も余震で激しく揺れる
ようやく宿舎のレオパレスに到着、とりあえず部屋に入ると

こんな感じ

当然電気は停電、水道は断水
それより津波が来るのか?来ないのか?

それはもうとてつもない恐怖でした

携帯のワンセグで見た他の地域のあの津波・・・
地獄絵図・・・
愕然としました

車のラジオではある地域で数百人の死体が浮いているとの情報が

地獄や・・・

率直にそう思いました

地震から何時間か過ぎた頃、幸いに自分達かいたところまでは津波は来なかったようです
船が心配になり夜中に見に行こうと国道まで出たら津波で道路が冠水していて行けませんでした
道路には流されて来た車や港のコンテナが散乱してました
その間も余震はひっきりなしに震度3~5ぐらいで頻発してます、そんな中電気もなく真っ暗な世界が不気味に静まりかえってます

ガソリンもなくなりそうなんで不安な気持ちを押さえつつ真っ暗な部屋に入り、船はどうなったのか心配しながら寒い中布団かぶって寝ました
でもそれはまだ自分達は幸せな方やったんですよね

次の日やっと水が引いた道路を走り船を見に行きました、恐らく流されてるか、陸に上がってるやろな
陸に上がってたら解体かぁ
もう覚悟して行きました

あれ?


いる!!しかもいつもと変わりない姿で!
無事でした!!

どうやら津波を乗りきったようです!
我が船ながら誇らしげに思えて
「よくがんばったなぁ」
と、今思い出しても涙が出そうになります


次の日、とりあえず水とある程度の食べ物と少しのガソリンを千葉から会社の同僚が運んでくれました

そうこうしてると2、3日で電気は復旧

と、同時にだんだんとお店も再開
問題は水だけでした、3日風呂にも入れず、トイレも流せず

車に200Lタンクを積み、地下水をもらってバケツで運んでトイレや洗い物してました

まあ福島、岩手、宮城の方に比べればまだ楽な方でしたね

結局現場は作業は中断、その後兵庫県加古川に移して再開しましたが、最後まで水は出ませんでした

今日で2年、まだまだ震災の爪痕は深く、復旧もそれなりには進んでいるようですが、これからですね

東北のみなさん前を向いて行きましょう

では今日はこの辺で

座礁船

津波で流された車

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