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▼ 思い出のタックル
- ジャンル:日記/一般
今宵はオールドタックルデーということで、シーバス歴だけはそれなりに長い自分もオールドタックルを引っぱり出してフィールドに立ちたかったのですが、思い出のタックルが手元になく断念。
ならばせめて懐かしいタックルの思い出にでも浸ってみたいと思います。
以前にどこかで書きましたが、自分がシーバスを狙い始めたのは今から31年ほど前の中坊時代。
当時住んでいたのは三重県の四日市市。当時のバスブームに乗ってルアーを始め、バスやライギョを狙って毎週のように自転車で鈴鹿の池に繰り出していた頃、馳出町の清水釣具店の天井に貼ってあった四日市港の跳ね上げ橋でルアーで釣れたというスズキの魚拓に魅かれました。
四日市港の跳ね上げ橋は自宅から自転車で10分足らず。これは狙うしかないと勇んでシーバスデビューを果たしました。
小遣いを注ぎ込んで買ったスピードスティック4-26+バンタム200+トライリーンXTというバス・ライギョ用のベイトタックルに、ルアーはオリムピックのフレクトライトミノーやラパラCDJ-9をつけて運河に闇雲にキャストしていましたが、当然釣れる筈もなく、1回だけ奇跡的にヒットしたものの無情にもバレてしまい、結局その後は親の転勤や進学のため7年ほどシーバスをほとんど狙うこともないままに過ごしました。
24年ほど前、社会人になり東京に就職すると、京浜運河で約7年ぶりにシーバスを狙うようになりました。
既にシーバスロッドが市場を築いていた時代ではありましたが、中坊時代から愛用していた時代遅れのベイトタックルがまだ現役で、京浜大橋の下でラパラCD-9のパールホワイトで約7年越しの初シーバス(セイゴでしたがw)をゲットすることができました。
その後、多摩川の堰下でラパラCD-9の黒金で初のフッコサイズをキャッチ。東急の橋脚際でヘドンのヘッドハンターミノー(スミスの反射板入りのやつ)で初のスズキサイズをキャッチしました。
次第に古いベイトタックルに不自由を感じ、バスメイトでロッドを物色。ケイロン、ブローショット、プラッギングスペシャルら錚々たるブランドのシーバスロッドを差し置いて、謙三氏か弘志氏のどっちか(失礼w)の勧めで天龍のフェイテスレイクスピンLSP90を購入しました。
海釣りで使っていたダイワのスポーツラインGS-RDを装着して、主に多摩川の丸子橋近辺をホームにラパラCD-9のレッドヘッドやボーマーロングAの黒金の腹オレンジを使ってそこそこの釣果を上げていました。
当時は何も考えずに釣っていましたが、それでもそこそこ釣れる良い時代でした。最初は釣れるのが楽しくて連日のように通っていましたが、大した工夫もなく簡単に釣れすぎたせいか次第に飽きてしまい、シーバス狙いの釣行は年に数回程度にまで減ってしまいました。
今から14年ほど前に転勤で九州に転勤になり、営業で長崎を回るようになって常宿にしていた佐世保の旅館の裏の細い激流の瀬戸でシーバスが釣れると知り、再びシーバスに嵌りました。
コモモSF125やグース125Fをとんでもない勢いで流れる水路の流心に放り込んで流しながら巻くという無茶苦茶な釣り方でしたが、水柱を立てるシーバスのアタックが楽しくて、出番が少なくて腐っていたLSP90が購入10年目にして大活躍しました。
周囲のアングラーがカッコ良いシーバスロッドでピシュッ!と鋭い音を立ててキャストする姿を羨ましいと思うこともありましたが、LSP90の柔らかいキャスト音と軽さ、魚のファイトをロッド全体で支えるロッドアクションを捨てる選択など自分にはあり得ませんでした。
東京に戻って暫くは年に数回シーバスを狙うだけの生活に戻ってしまい、LSP90もジョイントにガタがきてしまい6年ほど前にメインロッドから引退させました。釣行回数はそんなに多くはありませんでしたが、LSP90は約18年間、自分の対シーバスのメインロッドとして頑張ってくれました。
自分が本格的に運河のシーバスにのめり込んだのは4年ほど前のことで、LSP90は既に引退していましたが、自分のシーバス歴の半分以上を一緒過ごしたこのロッドは、自分の釣りに対する価値観に大きな影響を与えたと思います。
地味なトラウトロッドではありますが、自分にとっては唯一無二の最高のロッドでした。
当時の貴方がいたから、今の私がいます。今は亡き愛竿に、ありがとう!

ならばせめて懐かしいタックルの思い出にでも浸ってみたいと思います。
以前にどこかで書きましたが、自分がシーバスを狙い始めたのは今から31年ほど前の中坊時代。
当時住んでいたのは三重県の四日市市。当時のバスブームに乗ってルアーを始め、バスやライギョを狙って毎週のように自転車で鈴鹿の池に繰り出していた頃、馳出町の清水釣具店の天井に貼ってあった四日市港の跳ね上げ橋でルアーで釣れたというスズキの魚拓に魅かれました。
四日市港の跳ね上げ橋は自宅から自転車で10分足らず。これは狙うしかないと勇んでシーバスデビューを果たしました。
小遣いを注ぎ込んで買ったスピードスティック4-26+バンタム200+トライリーンXTというバス・ライギョ用のベイトタックルに、ルアーはオリムピックのフレクトライトミノーやラパラCDJ-9をつけて運河に闇雲にキャストしていましたが、当然釣れる筈もなく、1回だけ奇跡的にヒットしたものの無情にもバレてしまい、結局その後は親の転勤や進学のため7年ほどシーバスをほとんど狙うこともないままに過ごしました。
24年ほど前、社会人になり東京に就職すると、京浜運河で約7年ぶりにシーバスを狙うようになりました。
既にシーバスロッドが市場を築いていた時代ではありましたが、中坊時代から愛用していた時代遅れのベイトタックルがまだ現役で、京浜大橋の下でラパラCD-9のパールホワイトで約7年越しの初シーバス(セイゴでしたがw)をゲットすることができました。
その後、多摩川の堰下でラパラCD-9の黒金で初のフッコサイズをキャッチ。東急の橋脚際でヘドンのヘッドハンターミノー(スミスの反射板入りのやつ)で初のスズキサイズをキャッチしました。
次第に古いベイトタックルに不自由を感じ、バスメイトでロッドを物色。ケイロン、ブローショット、プラッギングスペシャルら錚々たるブランドのシーバスロッドを差し置いて、謙三氏か弘志氏のどっちか(失礼w)の勧めで天龍のフェイテスレイクスピンLSP90を購入しました。
海釣りで使っていたダイワのスポーツラインGS-RDを装着して、主に多摩川の丸子橋近辺をホームにラパラCD-9のレッドヘッドやボーマーロングAの黒金の腹オレンジを使ってそこそこの釣果を上げていました。
当時は何も考えずに釣っていましたが、それでもそこそこ釣れる良い時代でした。最初は釣れるのが楽しくて連日のように通っていましたが、大した工夫もなく簡単に釣れすぎたせいか次第に飽きてしまい、シーバス狙いの釣行は年に数回程度にまで減ってしまいました。
今から14年ほど前に転勤で九州に転勤になり、営業で長崎を回るようになって常宿にしていた佐世保の旅館の裏の細い激流の瀬戸でシーバスが釣れると知り、再びシーバスに嵌りました。
コモモSF125やグース125Fをとんでもない勢いで流れる水路の流心に放り込んで流しながら巻くという無茶苦茶な釣り方でしたが、水柱を立てるシーバスのアタックが楽しくて、出番が少なくて腐っていたLSP90が購入10年目にして大活躍しました。
周囲のアングラーがカッコ良いシーバスロッドでピシュッ!と鋭い音を立ててキャストする姿を羨ましいと思うこともありましたが、LSP90の柔らかいキャスト音と軽さ、魚のファイトをロッド全体で支えるロッドアクションを捨てる選択など自分にはあり得ませんでした。
東京に戻って暫くは年に数回シーバスを狙うだけの生活に戻ってしまい、LSP90もジョイントにガタがきてしまい6年ほど前にメインロッドから引退させました。釣行回数はそんなに多くはありませんでしたが、LSP90は約18年間、自分の対シーバスのメインロッドとして頑張ってくれました。
自分が本格的に運河のシーバスにのめり込んだのは4年ほど前のことで、LSP90は既に引退していましたが、自分のシーバス歴の半分以上を一緒過ごしたこのロッドは、自分の釣りに対する価値観に大きな影響を与えたと思います。
地味なトラウトロッドではありますが、自分にとっては唯一無二の最高のロッドでした。
当時の貴方がいたから、今の私がいます。今は亡き愛竿に、ありがとう!


- 2014年11月20日
- コメント(4)
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