【水曜スペシャル】なかから光る木

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鱸の生態や環境にかかる記述があるかもしれませんが、
あくまでワタクシ個人の解釈で、学術的根拠があるわけではない事を
どうかご理解いただけますよう予めお伝え申し上げます。




草原に雄々しく立つ木を見つめ、

アニー・ディラードは「なかから光る木」と称した。

静寂の佇まいの中で激しく躍動する命。

容赦ない日差しに晒され、激しい雨に打たれ、強風に煽られてもなお

平然とそこに立ち、存分に自らが枝葉を伸ばしゆける事を疑わないその木は、

内側から光を放っている生命としてアニー・ディラードの目に映ったのだ。



生命は、自らの姿勢で生きる事を肯定する時、

その内部に宿した命という贈り物をエネルギーとして使う事によって、

体に光を纏うらしい。



実像はどうであるか知らないが、

「敬愛なるベートーヴェン」で描かれているベートーヴェンの姿は、

ワタクシにとって「なかから光る木」であった。

ある日の事、写譜師不在で困っていた「野獣」ベートーヴェンの元へ、

依頼された仕事をこなす為、若い女性が選ばれ派遣される。

音楽学校首席というプライドを胸に、

我こそはと写譜師の仕事へ臨もうとするが、

使える男をよこせと彼に軽くあしらわれる。

作曲家への夢を叶える為に引く事が出来ず、

機知と気転、そして器量で彼女はベートーヴェンの写譜師の座を射止める。

仕事にあたっていた自他ともに優秀だと認める女性写譜師、アンナ・ホルツは、

ベートーヴェンへ問うようにつぶやく。

「私にも音楽が作れそうな気がする」

彼は彼女に語りかける。

音楽は神の言葉。音楽家は神に一番近い存在だ。

神の声を音楽家は音楽へと変換し、人々が知る事の出来る物にするのだ。



そしてこのベートーヴェンの精神がもっとも現れるシーンが訪れる。



アンナ・ホルツの恋人は建築家の玉子。

彼女は彼を「芸術家」と形容する。

誇り高く、誰よりも自分こそが真の芸術家だと自負する野獣、ベートーヴェンの前でさえ。

デザインコンペの会場でアンナ・ホルツの彼、マルティンの制作した橋の模型を前に

顔色を変えるベートーヴェン。

そして事もあろうか、マルティンが一所懸命に作り上げた橋の模型をステッキで叩き壊してしまう。



彼には許せないのだ。



「芸術」を語るエゴの表出が。

僕にはこんな物も作れます、あんな物も作れます、といったゲスな人間の排泄物など、

誰が好き好んで見たいと思うのだ!

「芸術家になりたい」者と「芸術家である」者とは大違いだ!

粉々になった模型にまとわりついた芸術家の余煙は、

そんな怒りに満ちながら立ち昇っていた。

並々ならぬ努力と執念で自らを神の声が届く高みへと押し上げ、

苦悩しながらもその声を音楽へと変えて世に聞かせるベートーヴェン。

彼こそ神の声というイデア―の、人智不能の絶望の壁へ単身挑みかかる音楽界のドン・キホーテだ。

この映画の彼は、輝く闘士だった。


ワタクシは2006年にも「なかから光る木」を見た。

舞台はトリノオリンピック。

採点方法がガラリと変更されたフィギアスケートは、選手たちに技の選別を迫った。

演技全体が採点されるような採点方法から、技が個別に点数付けされるようになったのだ。

誰しもがメダルを欲しがっている。あたりまえのことだ。

メダルを獲得するには高い得点が必要となる。

ほとんどの選手たちがより「点数」をとれるよう、披露する技を吟味した。

点数のとれない技は、おのずと演技から外されていたが彼女は違った。

長く伸びた手足を優雅に操り、大きくそらせた体で作ったアーチは金への架け橋。

荒川静香は演技でイナバウアーを披露し、金メダルを取った。

イナバウアーがそれほど高得点の技だったのか。

いや、逆だ。

イナバウアーに点数はない。

「美しい演技」が競われなければならないフィギアスケートにおいて、

そもそもから人間たちの用意した採点枠の中でしか演技をしていない者と、

それを演じるに足る根拠を備えた美の演技とでは、比べられるわけがないのだ。

ぶっちゃけて言えば、複雑なコンビジャンプや挑む事自体が困難な

大ジャンプなどなどがある現代においてイナバウアーなど大した技ではない。

しかしながらそれを演技に組み入れる決断をした、

美を譲らないその精神こそが崇高なのだ。金に値したのだ。

イナバウアーを決断した時、既に金メダルが決まっていたのだとワタクシは思う。

彼女はあの時、間違いなくなかから光った。



清流域に鱸などいない、誰もがそう思っていた。



1985年4月に完成した河口堰は、

それまで川と海とを自由に行き来していた海の魚の往来を容赦なく遮断した。

水面から巨大な神殿のようにそびえ立つそのコンクリートの塊は、

上流を目指そうとしていた海の魚にとって絶望の象徴となった。

この巨大な建造物を越えて行ける魚などいようはずはない。

それが常識となり答えとなった。



しかし、ここに一人だけ心の内で異を唱える男がいた。

その男だけは「鱸なら越える」そう信じていた。

そして彼は、その絶望の清流域で鱸を釣る決意を固める。

そのドン・キホーテの名は、関根崇暁 。

時間が許す限り清流に立ち、彼は鱸を探した。

カスる事さえないままに多くの日々が費やされたが、

折れず投げず、自らの信念と誇りを武器に川辺へ立ち続けた。

常識という巨大な敵に、孤高の戦いをつづけた。

そして5年の月日が流れた時、それは訪れた。

彼はその手に清流鱸を抱いた。

いよいよだ。

清流鱸の存在が孤高のドン・キホーテ 関根崇暁の手によって白日の下、明らかになった。

清流鱸は、本当にいたのだ。

この鱸はあの絶望の神殿を越えたのだ!

とてつもない水圧をものともせず、

銀鱗の下に蓄えた隆々たる筋肉を泳力に変え、

この絶望の河口堰を突破していく鱸が、本当にいたのだ。

ここで2つのなかから光る木は出会った。



釣り師の端くれであるこのワタクシには、

血湧き肉躍る、熱いシーンであった。



思慕の念を抱いた所で、ベートーヴェンはもちろん荒川静香でさえも

謁見できる機会など有るはずはないが、なかから光る木を間近で見たかった。



6月11日。



その日に用意できるだけの時間を作り、釣竿を手に一人清流へ臨んだ。


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何事も起こらないまま許されていた時間を浪費し、

友との約束に間に合わなくなるため竿をたたむ事を決めたその時、

水流がルアーに与える重さ以上のものを、手にした竿が伝えてきた。



人間が用意した枠の中で命を費やし切ることを確固たる意志を持って断固拒否し、

自らの意思で絶望の神殿を踏み越えてこの清流に君臨する憧れの王者に、



ワタクシは出会えた。



美しい体から目をそらす事ができなかった。



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この生命の輝きがワタクシに招いた「見とれる」という魂の純粋持続は、

時計の長い針が2周するまで我に返る事を忘れさせていた。

銀鱗全てが白くなかから輝く、本当に美しい魚だった。



静かに、優雅に、ゆっくりと泳ぎ消えてゆくその美しい魚の姿を、

ワタクシは別れを惜しみながらしっかりとまぶたに焼き付けた。



その後にいただいた関根氏の祝福の電話は胸が熱くなった。

氏がワタクシにこのような素晴らしい出会いを手向けてくれた事に、

心より深く感謝申し上げたい。

(ひっそりと清流鱸を楽しんでおられる方々を尊重し、

詳細の記載は省かせていただきました)



そして、

この地球が生み出す真の芸術の一部にこの手が触れた事を、

人智を越えたイデア―の片鱗を垣間見た事を、

なかから光る木を見つけた事を、

きっと友も喜んでくれるだろう。

きっときっと、全知全能の神もワタクシが真摯につづった2時間という大遅刻の

イイワケ・・・もとい、釣行記で、

犯した罪も無罪放免にしてくれる事だろう。



友よ、お願いがある。

















電話に出てくれーーo(゜ロ゜)o!!!




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