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あの日には分からなかったこと

  • ジャンル:日記/一般
先週の土曜日、丁度4年ぶりに南三陸町・志津川を訪れた。

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今回はカレイ釣り。

全く違う風景の同じ場所で、4年前と同じ釣りをする。

とっても不思議な感じだった。

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海にはたくさん牡蛎棚が並べてあって、ああ、少しずつ戻りつつあるんだなと、そう思った。

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4年前に震災が起こった際、僕は何も理解していなかったんだろう。

何人が行方不明で、亡くなって、

家が何件壊れて、損害がいくら出て。

ニュースでアナウンサーが読み上げる声と流れる文字はただただ数字として頭に入って来るだけでまるで現実感が無かった。

正直に言ってしまえばそれは翌年の日本縦断釣行中に石巻を訪れた時も同じで、暗闇の中に見た虚無の意味も今一つ理解できなかった。

ただ、やたらとそれらしいコトを騒ぐ大学の教授とそれに感化された同級生が言っている事には、何となく違和感があったような気がした。





4年とは長いなぁ。

あの時持っていた夢は既に終わっていて、そしてその最後の続きを辿る道でいろんなモノを見てきた。

「旅は鏡である」

日本を離れて見てきたコトは関係無いように見えて実は本質は同じで、タイの旅記録の最後に書いた言葉はやはり真実だった。



もう、今なら分かる気がするんだ。

未だに工事の為に積まれた砂の山がそれ以上の意味を成さず、夜の闇の中に僅かしか生活の光が灯らず、それでもそこに帰ろうとする人々の意志。

放射能が撒き散らされた大地で、汚染の悪夢があろうと、自らの故郷への帰還を願うこと。


もしかするとそれは異常に見えるのかもしれない。

今日、大学で外国人の先生たちと話してみたが、誰もがそんな所に帰るのは「ありえない」と言った。

実際僕もあの時はそう思ったし、全面的に否定もできないだろう。

ただ、もし僕があそこで生まれていたならば、きっとそう思ったのだろうなと。

今になって、ふと、そんなことを考えた。















おっと、いつも通りに感傷が長すぎました(笑

とりあえずね、何が言いたいかというとね、カレイが美味しかったんです!w

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ちなみに最近の釣りは埼玉河川での短時間遊びと干潟浸かり&カヤックがメイン。

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アフリカから帰ってきてモチベーションが無くなってしまい、自堕落気味というか自堕落そのものな生活をしておりますが、なにぶん旅の後はいつもこうなのでwエネルギー充填されるまでノンビリしております。

ま、年明けたら本気出します。

そろそろ来年にやりたいことも固まってきましたので。

さてさて、それでは、このへんで。


see ya.

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