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サッカー日本代表が僕らを不安にさせる

(読むのに10~15分位かかる記事です)


W杯決勝ラウンド、トーナメントの1回戦が始まった。

そこにはグループリーグ・ラウンドとは一線を画す熱狂がある。


だけど残念ながら、僕らは蚊帳の外から、その喜怒哀楽を眺めるしかない。




ディティール的な話


サッカー日本代表というプロジェクトにおけるスポーツ的目標は他の何でもなくW杯に集約される。




最終的な結果として1分2敗に終わった3ゲームを振り返ると、



コンディション調整と戦力分析など準備不足が目につき、完全に空転したコートジボワール戦、

判定に恵まれた結果、ボールを簡単に支配出来たにも関わらず、自分たちのショートパスで崩すサッカーがまるで発揮できなかったギリシャ戦、

おそらく今大会で一番強度が低かった控えチーム相手に、打ち合いで互角、作戦で完敗したコロンビア戦、



はっきり言って良いところ、と言うのはほぼ無かった。



更に、こうしてみると”まともな相手”と試合をしたのは初戦のみだったが、結果としてコートジボワールは日本に勝っただけ、

なのを見ると、チーム力として4位、つまりは最下位だったのを痛感する。




そこで細部の話として先ず思いつくのが、北海道から台湾に移動するようなキャンプ地イトゥを選択したのが大きな失策だったと思う。


何しろイトゥから初戦の試合会場までは 日本を余裕で縦断できる2300kmの距離 があるだけでなく、赤道にそれだけ近づく事で気温も10度以上違う。



日本サッカーは暑さ対策と言えば十八番で、これまで中東や東南アジアで試合をしてきたノウハウ、何より世界でもキツイ日本の真夏にプロリーグを開催している利があった筈だった。

1年前にプレW杯として同じ時期に現地で3試合するチャンスもあったがまるで活かすことは出来なかった。



コンディションが最重要といえる短期決戦のW杯ではこれは致命的な失敗であり、初戦の重要さを考えれば、余りに環境差が酷すぎるので、もっと適した場所があったのではと考える。




ディティールの話②


次にもっと出来ただろうと思うのが、やはり交代策を含めた選手起用で、何故と?マークが湧き上がるほど、意図を理解できなかった。

この為、全ては主観における決め付けとなるが、コンディションやゲーム状況にマッチしない定番化した選手起用と交代は実績主義と呼ばれたジーコと類似する。


1年を戦うリーグ戦なら良いが短期決戦のW杯では合わないやり方であり、短期大会で結果が求められる代表監督としての経験の無さが響いた。



更に、監督のタイプとして試合中に状況を判断する、いわゆる観るのが上手い監督では無かったと思う。

この点は名将とされるベンゲルもこのタイプであり、仕事は試合前にすべて終わらせるやり方をする監督は少なくない。


ただ、今回はコンディション調整という”自分たち”ですら上手くいっていないのだから、相手の対策と言うのも不十分であったように思え、

(少なくとも何もそれらしいことは感じることが出来ず)

試合前の準備が重要なタイプの監督なのに、それが出来ていなかった。


思えば3試合とも、キックオフがピークでそこからは下降線を描くような内容だったと感じないだろうか。






間違えてる一歩目


そもそもの話をしたい。


日本サッカー協会は成功というものを評価しない傾向があり、これは失敗を分析できないよりも、致命的な結果をもたらしていると思う。


前回と02年、日本はベスト16に進出した。

世界的に見れば、日本というサッカー後進国にとってW杯のベスト16進出は大成功だ。

それを成し遂げた監督はトルシエさんや岡田さんになるのだが、総じて評価は低い、いや、低いどころか悪い部分ばかりを探している印象を受ける。

何を勘違いしてるのか、と思う。


勿論、負けて終わった以上は改善点や反省点もあるだろう。

ただそれ以上に、成功への糸口、光明というものがあるにも関わらず、その成功体験を放棄している。



マーケットにおいての評価はシビアであり、日本には20億で買われるような選手がいない。

香川もかつてはそうだったが、今や半値以下だと思う。


先発の内、7.8人がそれに該当するブラジルがあれだけ勝つ為だけに必死になっているのに、何故日本は展示会でもするつもりで、凄いことをやらないといけないのだろうか。

サッカー協会の古い日本人にありがちな、世界に褒めて欲しい、島国コンプレックスここにありである。





憧れに囚われる


ベスト16進出という成功を全く反映せずに目指す、自分達のサッカーとやらは本当に勝利という結果に対してベターな選択なのか。


日本のお手本といえばスペインだが、彼らはあのやり方を心底、勝利への最善手だと信じている。


それはバルセロナを代表するスペインのチームが、激闘の果てに欧州を制するという成功体験を通じて実感に至ったものだ。


日本にその世界を制するバックボーンはあるのか、いや当然無い。


日本にある成功体験はベスト16だけだ。

スペインは華麗だ、観るもの全てを魅了し、人に憧れを抱かせる。

だからと言って、それが羨ましいからと言って、形だけ真似した所で、絶対に同じ境地までは達しない。

日本サッカーは先の見えない暗闇の中、成功体験にすがり、とにかく一つでも勝つ事を真摯に模索する段階に過ぎない。




投げ捨てた成功


今大会のチームがピッチ上で表現したスペインのモノマネごっこは純粋に勝利を目指すチームが集う中において、慢心と驕りがにじみ出た行為に見え、

それはお話・物語を読みすぎて、自身が伝説の騎士になったつもりのドンキホーテが風車と戦った様に、滑稽な物だった。


2010年南アフリカ大会、それは初戦の一週間前に、幻想に囚われた4年間を放棄して現実路線に切り替えた戦いだった。

その困窮した戦いの中で、本田のFW起用という発見、急造ながら機能したロングカウンター、完全にハマった鉄壁のアンカー配置、という糸口を掴んだ。


更にそのチームは所詮、突貫工事の急造・乱造であり、選び直せない選手、一週間にすぎない戦術確認と、”ベスト16チーム”はまだまだバージョンアップする可能性がとてつもなくあった。


日本は初心者レベルで、心底、2匹目の魚が釣りたいだけなのに、何故、全く違う事をしてみるのか理解が出来ない。


次はランカーだ、メーターだと、DVDだけ見てモノマネをしてウェーディングに行って3歩目でハマって動けなくなりました。

そんな話。





サッカー日本代表の役割



日本において、サッカーは社会的な地位を獲得したように見える。

ただ、本当の意味で根付いたのか、と言えばまだまだ怪しい。

その点、日本代表チームの役割は90年代以降変わらないものであり、それは日本におけるサッカーの普及活動、プロモーションである。


テレビでJリーグの王者を決める試合をしても視聴率が5%に達しない中で、W杯は平日の通勤時間でも30%を越える。

サッカーを観たことがない人に、このスポーツの面白さを伝える最高の手法であり、それはW杯が抱える、真理でもある。



1994年、不毛の地と言われたアメリカでW杯が開催された。

紆余曲折ありながら、今やプロリーグは4大スポーツに迫る成長を見せ、その観客動員は世界8位、今大会のアメリカ戦は野球のワールドシリーズを大幅に上回る2300万人がテレビで観戦したそうだ。




冒頭に書いたが、グループリーグと決勝ラウンドはゲームのケタが違ってくる。

それはレベルというものではなく、僕らがよく知る甲子園に通じるアレである。

それをサッカーを知らない日本人に体験させる機会を作り、一人でも多くサッカーに対し関心、好感度を持ってもらう。

これこそが日本代表というプロジェクトのゴールであり、最終的な勝利であると考える。




この点、今回の大会は悪影響を心配するほどに大失敗だった。

日本のまだまだ脆弱なプロリーグに両足を突っ込んでる立場からすると、不安以外の何物でもないし、いい加減にしてくれと愚痴の一つも言いたくなる。


 

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