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  • ジャンル:釣行記
オフネタとして昔のAnglers Lifeで発表済みのログを一部修正加筆してあらたに公開することにしました。

暇つぶしに読んでやってください。 

釣りログだけどなかなか釣りをいたしませんが・・・w  


「ラスベガス見聞録」・・・その1




その昔、TVではアメリカのTVドラマを結構やっていたものであった。

モノクロ時代の「奥様は魔女」、「コンバット」や「逃亡者」など数々の名作もあった。

物心ついてからは「白バイ野郎ジョン&パンチ」や「刑事スタスキー&ハッチ」はたまた「チャーリーズエンジェル」などのアクションものに熱中した。(あと「バイオニックジェミー」とか「SWAT」とかね)

そこに垣間見る風俗、文化やそのスピリットにまで没頭をし「アメリカ」という遠い異国に強い印象と憧れを心に抱き、思いを馳せたものであった。

今思えばルアーフィッシングと言う西洋の釣りを、直接的な手ほどきを誰からも受けることなく、嗜好し熱狂したことも底辺にはこのことがあったからに違いない。

中学生で鱒釣りに始まった私のルアーフィッシング歴が免許を取ってからはシーバスフィッシングに代表される海のルアーフィッシングへと進み、さらにより大物指向へと歩みを始めた頃になぜかまた引き戻される様(あるきっかけがあったのは確かだが)に淡水のバスフィッシングに狂奔してしまったのもこの釣りが「アメリカ」の匂い、というより「アメリカ」そのものを強く感じさせてくれたからであった。

 しかし今日にいたるまでそれはあくまで漠然としたイメージであり憧憬であり、たとえば自分が「そこ」に行こうなどとは現実的に考えたことはなかった。

いや、考えれなかったというのが正しいだろう。
気持ちでは近づきたがったが精神の奥底では実は気後れしていたのかもしれなかった。

それが晴天の霹靂のごとく今、「アメリカに行く」ということが現実のものとなろうとしていた。



今回の渡米は実は雑誌の取材絡みで目的は「レイクミードのバスを釣る」ということであった。

計画が予定として実際の形となったのは出発の1ヶ月半ぐらいまえであった。

そこから準備を始めるのだからのんびりもしていられない。

チケットなどの心配はしなくてもよかったから実際自分が用意すべきものはタックルのみである。

まずロッド。雑誌などから知り得た情報によると国際便は相当に手荷物が手荒に扱われるらしく、特に長尺ものはかなり危険度が高く折損被害はかなり起こっているという話である。

ワンピースのロッドが着いてみたらツーピースになっていたなどと言う笑えない話は想像するだけでぞっとする。

そこでカタログ首っ引きで検討した結果、仕舞寸法のコンパクトさからフェンウイックのマルチピースをセレクトしベイト、スピニングを1本づつ注文した。
持っていくルアーも限られたスペースのトランクケースの中に忍ばせる都合上、厳選する必要があった。

いつもそうなのだが遠征するおりには本当に基本的な部分を除き、あえてまったくといって現地の情報を仕入れることをしない。

それは釣りのための遠征というなかにも、旅としての偶然性を無意識のうちに期待しているのかもしれないのだが、過去国内の遠征を振り返って見る時、釣果自体は特筆すべきほどの目覚ましいものはなく、むしろ思っていたほど釣れなかった、などと言う決して自慢できない記憶のほうが多い。

しかし初めてのフィールドに立つ時、いつしか釣果についてはまったくこだわらなくなっている自分に気付く。

あらゆる状況を想定し、準備万端戦略を考え、用意周到にしてもいつも裏切られる。

そんな状況すら楽しいと思えてしまうようになってしまった。

しかしそのことが果たしていいのか悪いのかは特に費用のかさむ遠征において、人によっては納得できないかもしれない。

特に今回のように海外ということならなお更である。単純に無計画ということではないのだが、情報をもっていると有利なこともあるかもしれないが、時として先入観が邪魔をすることもある。

結局、ルアーについてはもっとも得意とするスピナーベイトとミノー、それにクランクベイトなどの使いまわしの効くハードベイトを主体に少しばかりのソフトベイトをひとつのボックスにしまいこみ、トランクケースに放り込んだ。

 

あっというまに出発の日は来た。

まず陸路で大阪へ向かって前夜より移動を開始。

早くに着いた空港でメジャーリーグ中継でイチローのホームランを見て、なんとなく「今から行くんだ」と言う気になる。


ツアーを利用する都合上、その後大阪から成田へと飛ぶ。ここで国際便にのりかえるのだが出発までかなり時間がある。

10時過ぎくらいに着いて出発までの間、ドルに両替したり空港内をうろうろしていると、おりから開催中のサッカーのワールドカップ関係で来日した元アルゼンチン代表のマラドーナの到着に遭遇。

しかし見えたのは頭だけであった。


延々待って疲労間すら感じ始めた頃、やっとのことで機内への案内が始まる、時計はすでに午後4時を回っていた。


機上の人となり、しばらくすると日が暮れ始め窓の外は群青色から漆黒の闇へと移っていった。

消灯に近くなった頃トイレに立つと順番待ちの列ができてていた。

ほとんどは女性でどうもメークを落とすための順番らしかったが、あまりに待たされるので大変だなと思う反面、「別にもういいだろ」という気もした。

この後、わずか数時間後には朝の身支度が行列が始まるのであった。


飛行機は日付変更線を越え順調に飛行を続けていた。

しかしこの数時間というものある事に悩まされ続けることになってしまっていた。

隣に座った一人の少年である。

中国人とおぼしきその少年は空港内で買ったと思われる一抱えもある浅草あたりのお土産のおかきの詰め合わせを機内に持ちこんでいた。

上部のラックから取り出し、何事かつぶやきながらガサガサと包みを開け始める。

「むっ?」

と思いながら見ていると案の定それを食べ始めた。

「お土産じゃないんかい!?」

 と思っていると、あれよあれよという間に全部平らげてしまった。

それもドリンクサービスを何杯もおかわりしながらである(そりゃ、口のなかの水分かなり持ってかれますわなw)


更に少年の激食欲は続く。

機内食をしっかり食っているにもかかわらず、消灯後もなにかスナックを食いながら、しばらくしては立ち上がり、またもサービスバーあたりに行ってはジュース、コーラなどを調達して帰ってくるの繰り返しであった。

これにはさしものCAさんも微妙な笑顔。

時折、シートについているテレビなんかのS/Wの使い方かなんかでこちらに話し掛けてくるも、まったくコトバが通じない。

それをいい事にこちらも笑顔で

「食い過ぎなんじゃおまえ」

と優しくコミニケーションをとっておく。



飛行時間が7時間を越えた頃、眼下に山並みが見え始めた。

ついに来た!ビバ!アメリカ!である。(なぜビバ!なのかw)


一体どこらあたりの上空を飛んでいるかは見当もつくわけもなかったが、なんとなく

「確かにここはアメリカに違いない、うん、確かにアメリカだ」

との感慨がこみ上げてくる。


眼下に荒涼とした風景が広がりるとはじめると、いよいよ飛行機は高度を下げ、JAL026はほぼ定刻にラスベガスのマッカラン国際空港に到着した。


イミグレーションも問題なく通過していよいよアメリカ上陸を果たす。

日差しのキツさが心なしか違う。ビバ!アメリカ!ビバ!ラスベガス!


ホテルのチェックインまでに少し時間があるので「THE STORIP」沿いにぶらついて見る。

気温はすでに約45℃を越えている、熱射病警報発令中だ。

「約」と言うのは街の至るところにある温度計が華氏表示なのでイチイチ摂氏に換算する必要があってのこと。

あまりの暑さでガイドブックに必ず出ている有名なホテル群の通りを少し歩いただけで参ってしまう。




道行く人が手に手にミネラルウォーターを持っているのもうなずける。


ということで少し早めにホテルにチェックインさせてもらう。

泊まったホテルは日本人が結構多い「BALLY’S 」ホテル

ラスベガスでも有数の巨大ホテルだけに人がメチャクチャ多い。

どこがチェックインカウンターなのかすら判らない。

手荷物もまとめてどっかに持っていかれてしまった。(あとで無事部屋に届けられていたので安心した。ホテルのそういうサービスなのだった(と思う))

部屋にはいりようやく一息つく。

熱射の室外と一転してホテルの中は激冷状態。

その上湿度が超低く、静電気バチバチであった。 

ものすごい温度ギャップ。これもアメリカなのか・・・


その2に続く・・・と思う。まだ釣りはしないけどw


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