混じり合わない風

  • ジャンル:日記/一般

 今夜は、街のアスファルトの上を通った熱風と、山から吹き降ろした冷たい風が、混じり合うことなくそれぞれ交互に私の頬を撫でていた。
 普段は、個もなくただ風としてしか認識していないが、混じり合わずに温度や匂いを主張するときは、風にもアイデンティティーを強く感じる。

 人も、ふと他人に混じり合えないと思うときがあるが、これも風と同じで主張すべき何かがあるからなのだろう。熱風と一体化し存在なき存在になることを拒み、芽吹いたばかりの新しい自我を守っているのだ。

 今は、まだその自我が、如何なるものなのかは判らない。産みは楽しみでもあり、また苦しみでもある。期待する一方で恐怖も伴う。
 だからこそ、熱風に与してただの風になるか。今日の山風のように混じりあわずに自我を主張するか。その選択は自身でするしかない。自我の産みを、邪魔するものは自身であり、また育むのも自身である。

 1994年秋、やはりこんな風が吹いていた夜、生涯最高とも言える釣りをした。それは、今尚、興奮と共に記憶を鮮明にしている。
 だから今夜、腰に違和感があったとしても、どんなに潮が動いていなくても、またベイトの影さえなくとも、私はひたすら投げた。古い感覚が呼び覚まされたかのように。


 だけど、ぜんぜん釣れん。アタリすらないΣ( ̄ロ ̄lll)

 ジンクスが一つ消えた。

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