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▼ 最果てに駆ける Fin del Mundo
- ジャンル:日記/一般
- (A piece of the great journey, 自転車旅, 最果てに駆ける)
僕の知る限り一人だけ、僕以外に自転車釣旅という奇行をする人を知っている。笑
もちろんもっと範囲を広げて探せば居るのかもしれないけれど。
その人はこう言っていた。
自転車釣旅というのは先駆者の居ない分野だから、第一人者になれるチャンスがある、と。
バックパッカーでの怪魚釣りは既に有名人が居て、やっている人も増えているし、認知度も上昇している。
だからこの分野でならパイオニアになれると。
この手の、言ってしまえば承認や名誉の欲求といったものは、人に在って然るべきだと思う。
多くの成功者がそれを原動力にしているし、マズローのピラミッドの4段目にだって位置している。
もちろん僕だってそんな時期があった。
5年前の日本縦断自転車釣旅なんて、もろにそうだった。笑
今はどうかというと、これがさっぱりない。
正直言って、有名になるために走るという理由は自転車の辛さと吊り合わないのだ(つまり自転車が辛すぎて 笑
では何故、毎度毎度こんな長い旅の記事を書いているのだろう。
一時期は自分が後で読み返し思い出すためと思っていたが、今では違う。
きっとその理由は、旅を物語に収束させるためなのだ。
ここに書くのは正確な旅の記録ではない。
旅の中で印象に残ったことや考えたことを抜き出し、物語としてまとめたものである。
では何故物語かというと、最終的に僕の中で物語がいくつかの概念に収束していくからなのだ。
人が1つの経験から結論を見いだすには時間がかかることもある。
本を読んだり、全く別の経験をしたり、新しい人に出会ったり。
そんな時にふと記憶の海から言葉が意味をもって立ち上がってくることがあるのだ。
その時のため、僕はより記憶の海から出てきやすいように経験を物語へと収束させておく。
まあそれを公開するってことは誰かに読んで欲しいと思っていることなのかもしれないが。
理由なんてきっと、後付けというか、後になってから獲得していくものも多いし、そちらの方が重要になることだってあるんだろう。
そして後付けながら、誰かにとってこの物語が何かの助けになってくれますように。
閑話休題。
フェリー乗り場近くのキャンプ場を後にし、最寄りの街であるエルチャルテンへ向かう。
わずか37キロなのだけれど、アウストラル街道を凌ぐほどの悪路だった。。。
そしてようやく街の中に入ると舗装路が!

快適で快適でたまらない。
ここで一泊するつもりだったのが何処までも走りたくなる気分だ。
。。。嘘です、1㎜たりとも自転車に跨がりたくないです。爆

翌日と翌々日はエルチャルテンを後にしてエルカラファテを目指す。

チリで見てきた山の世界とはまるで違うパンパの世界。
景色はただ荒涼としている。
背後を振り返れば、一昨日に越えてきた国境の山々が見えた。

ここまで遮蔽物のない大地での風は凄まじい。
追い風ともなれば40キロもスピードがでているのに風切り音がなく、ホイールのラチェット音が静かに響くだけだ。
が、横風や向かい風では轟音と化し、自転車は煽られに煽られる。
2日かかって到着したエルカラファテは、とてもとても綺麗な観光地といった感じ。


多くの人はこの先にあるペリトモレノ氷河へ行くらしいのだが、日程と金銭面で却下。笑
氷河が有名な街で氷河に行かないってどうなんだと言われそうだが、だって行ったところでただの氷の塊だぞ?爆
そんなことを思った時、ふと思い出した。
オイギンズでのことだった。
RYU「アウストラル街道終点の看板って写真撮ってきました?」
Rさん「行ってないんだよなぁ」
Tさん「だってほら、たぶんGoogleマップのストリートビューに写真あるでしょ。笑」
RYU「いやそうですけど。笑」
そんなやりとりがあった。
皆さんはどう思うだろうか。
僕は「確かに」と思った。
何故簡単に手に入る写真ではなく、自分で撮らなければならないのか。
そんな理由は何処にも無いのである。
技術の移り変わりは、いつの時代も僕らに倫理の在り方を問う。
例えば、絵と写真。
正直絵画に関しては少し本でかじっただけなのだが、その内容によると絵画は写真の登場を機にその在り方が変わったらしい。
写真の登場以前、絵画は伝達手段、すなわちメディアとしての役割が主だったらしい。
だからよりリアルな方向へと進化していったそうな。
だが写真の登場は絵画の存在意義を根本から揺るがした。
写真のリアルさにはどうしたって敵わないのだ。
そして絵画は印象派、つまり写実ではなく絵画だからこその世界を拓いたという。
ネットの世界の発展も同じ宿命をもたらしただけだ。
僕たちは次に、何故自分の手で写真を撮るのかを見出だす必要がある。
そして次に来るのは現実と仮想の区別だろう。
あるアニメの話だが、こんな台詞がある。
「リアルとバーチャルの違いは情報量の多寡でしかない」
そして情報量は技術進歩で確実に縮まっていく、と。
昨年あたりから始まったVRの本格的なトレンドはこの言葉の意味を僕たちに突きつけるだろう。
もし五感全てから得る情報がバーチャルにおいてリアルと
同質となったらならば、その違いとは何なのだろう。
おっと、話が逸れた。
今は写真の話だった。
そうそう、僕の答えはというと、写真を撮るのは目で見た景色と一緒に時間や思いを切り取って封じ込めるためだ。
だから「写真を取りに行く」という行為を僕は行わない。
記憶だけではなく記録にも残したい風景に出会った時に、その時の思いも一緒に収束させるためにシャッターを切る。
これはある種の思考実験に近いんだが、例えば昔に旅行した場所の景色を思い浮かべてほしい。
特に写真を撮った場所だ。
すると、思い出されてくる脳内の景色は写真と同じものだったりしないだろうか?
そう、記憶が記録に収束するのだ。
逆に写真を撮らずにおいた大切な景色は、その広がりを含めて残っている場合が多い。
アラスカで見た、氷河を湛えた山々に囲まれた海で、消え入りそうなほど小さな鯨の尾が海中に消えていった瞬間は、その広がりを含めて未だ僕の中にある。
これでさえも、言葉に収束してしまった以上のモノにはもう成り得ないということなんだけれども。
。。。ちょっと話が飛んでしまったが、要約すると、面倒だから氷河には行かなかった。爆
1日だけ休憩しエルカラファテを後にする。
が、想定外の向かい風。
通常であれば風はアンデスからの吹き下ろし、すなわち東北東から東からの風なので、この日はほぼほぼ追い風だと読んでいたのに。。。
1時間で切り抜けられると計画していた区間に3時間もかかり、ちょっと焦りながら進む。
途中、50キロほど進んだところから長い峠が始まった。
しかも吸血するっぽい虫がワラワラ出てきて、ちょっと発狂気味で上っていく。
そして1時間ほど進み、頂上が1キロほど先に見えてきた、その時だった。
プンッ!プシュゥゥゥ。。。
うわ、パンクした上にスポークが折れやがった!

人生初のスポーク折れ。
実はアウストラルの終点、オイギンスでみんなから言われていたのだ。
「過酷なオフロードを走りきったと思ったら、舗装路になってしばらくして何故かスポークが折れるんだ」
いや絶対それはないだろうと思っていたのだけれど、マジだった。。。
パンク修理はそこまで時間がかかるものでもないんだが、スポーク調整がとにかく面倒。
予備のスポークが無いので他のスポークのテンションを変えてホイールの歪みを調整しなければならないんだが、難しい。。。
かなり時間をロスしてしまい、しかも大して歪みが軽減されていない状態で走り出す。
これはヤバイなあ。
次の町までは250キロほどあって、その途中区間が未舗装路なのだ。
なんとか耐えられればいいのだが。
というか何故物資が手に入りやすいエルカラファテを出た瞬間にこんな事態になるのか。。。
そんなつらーい現実を考えながら峠を越える。
そして越えた瞬間に台地のような平原が広がり、風が自転車を押すようになってきた。
よし、これなら遅れを取り戻せそうだ。
そして10キロほどすいすいと進んでいく。
更に途中で一台の車が路肩に止まり、こちらに手を振っている。
おっちゃん「これ持っていけよ!」
なんと水とパンとチーズを差し入れてくれた。

ああ、捨てる神あらば拾う神あり。
クラクションを鳴らして遠ざかるおっちゃんの車が遠くなるまで手を振り、そして再び足をペダルに乗せて踏み込んだ。
まさに、その、一漕ぎ目だった。
プシュゥゥゥ。。。
おいっっっ!!
捨てられて拾われてまた捨てられたぞ!!爆
物凄く複雑な気分で本日2度目のパンク修理を開始する。
が、事態は思っていたよりずっと深刻だった。
空気入れのパーツがない。。。
自転車のチューブのバルブは3タイプあって、僕の携帯空気入れはアダプターで今使っているチューブのバルブに合わせている。
その、アダプターが無いのである。
恐らくは先ほどパンク修理をした場所に置いてきてしまったのだろう。
となるともう僕のできることはない。
修理しても空気が入れられないのだから。
はあぁぁ、ヒッチハイクか。
荷物をまとめて反対側の車線に移り、エルカラファテへ行く車を願ってヒッチハイクを開始する。

ちなみに結構意外に思われるらしいのだが、僕はヒッチハイクなるものを人生で一度もしたことがない。
そんな話をTさんとオイギンスでしたことがあった。
RYU「ヒッチハイクって好きじゃないんですよ。僕からすると自転車を自分の足で行けるからって理由で選んでいるのだから、ヒッチハイクは性に合わないのです。」
Tさん「確かに不確定要素が多すぎるからな。自分の意思が反映されず、相手次第なところが大きい。」
RYU「それってなんか実社会みたいじゃないですか。旅の中くらいは自分の思うようにしたいというか、なんと言うか。」
Tさん「おいそれただの現実逃避じゃねーか。笑」
RYU「然り。笑」
RYU「あと、僕、見知らぬ人とコミュニケーションとるの苦手なんですよ。そんなことするくらいなら自分で走った方がましです。」
Tさん「思いっきり現実逃避じゃねーか!!爆」
どちらが本音かといえば、言うまでもない。
後者だ。笑
そんなわけでぎこちなく右手でサインを作り、車が止まってくれることを祈るのだが、、、だめ。
1時間ほどして夕闇が近づき、交通量も減ってきたところで諦めた。
道端にテントを張り、夕飯を食べながら考える。
なんというか、自転車も含めこんなにたくさんの荷物を持っていると乗せてくれる可能性があるのはピックアップトラックくらいなもんだ、物理的に。
そしてピックアップに乗っている人たちが荷台に何も乗せておらず、エルカラファテに向かっており、気まぐれに僕を拾おうと思う確率は。。。
しかも街からは70キロ弱離れた峠の上の荒野である。
そう考えると一気に弱気になってくる。
そして無茶苦茶な思考が段々と現実味を帯びてきた。
「アダプター、取りに行くか?」
どう考えても無茶な話である。
往復20キロの街灯もない峠道を歩き、既に暗くなった路肩の地面をヘッドライトで照らして2センチほどの物を探す。
正気の沙汰じゃない。
が、どうもヒッチハイクが成功する気がしなかったこの時の僕は、僅かな可能性にかけて歩き出してしまった。
本当は止まってくれたらラッキー程度に思ってやるべきなんだろうが、状況からかなり焦っていた僕は止まらない車を見送る度に何か全否定された気分に陥っていたのだった。笑
しばらく歩いていると、1台のトラックが横に止まった。
僕はスペイン語がダメなので何を言っているのか詳細には分からなかったが、明らかに何故こんなところを人間が歩いているのか気にしているようだった。
そして何とか事情を説明すると、途中まで乗せていってやるよと、助手席を空けてくれた。
あれ、ヒッチハイク成功してない?笑
そして覚えていた目印を頼りに砂利の路面を30分ほど探すが、、、見当たらない。
というか既に暗くなった砂利の表面から小さなアダプターを探すなど、出来なくて当然なのだ。
やがて風と共に雨も降り始め、本格的にヤバイなと思いテントへと歩き出す。
気温も高地だけに一気に冷え込み、どうにもこの狂った行動を後悔しながらトボトボ歩く。
そして気づく。
この暗さ、テント見つけられないんじゃ。。。
車から見え辛いように道から小さい丘陵を越えたところに張ったのだが、その地理的特徴なんて見えたもんじゃない。
次第に恐怖感が増してくる。
どうしよう、どうしよう。。。
5キロほど進んだところで一台の車が止まった。
おいお前、こんな所で何をやってるんだ⁉
そんな感じの言葉をかけてくるおっちゃんに何とかテントがこの先にあることを説明し、近くまで送ってもらう。
。。。あれ?ヒッチハイク成功してない?笑
暗闇の中なんとかそれらしき形の丘陵を見つけ出し、テントを見つけた時には全身から力が抜けた。
無事で良かった。。。
翌朝。
昨晩の行為は本当に正気の沙汰じゃなかったと反省し、一日ヒッチハイクを頑張ると決めた。
テントをたたみ、大荷物を3回に分けて道路脇に移していく。
。。。その2回目だった。
荷物のそばに一台のピックアップトラック、それも荷台に荷物なし、が止まっているではないか。
おっちゃん「乗っていくかい?」
RYU「乗ります!!!」
。。。あれ?ヒッチハイク、成功してない?
つかこれ、ヒッチハイクじゃなくない?笑
こうして僕のファースト・ヒッチハイク(なのか?)は無事に幕を閉じ、エルカラファテまでドナドナ気分で戻ったのであった。

ちょっと萎え萎えになってしまったので、自転車をバスに載せてショートカットすることにした。
チリに2回目の入国を果たし、プエルトナタレスという街から3日ほどかけて南下していく。
途中に川もなければ良い景色があるわけでもなく、爆笑トラブルがあったわけでもなかったので、割愛。
あ、そういや前方の空が絶望的な色に変わった後、物凄い向かい風と雹が吹き付けてきたことがあったなぁ。
マジで痛かった。。。
そして到着した街、プンタアレーナスからフェリーで最後の舞台であるフエゴ島にフェリーで渡る。


さあ、正真正銘の最果てだ。
万感の想いを込めて走り出す、が、、、
またオフロードかよっ!

何でだか分からないんだが、フエゴ島へ行ったら舗装路だと勝手に思い込んでいたのだ。
そりゃそうだよな、こんな何も無いとこを舗装するほど行き届いた国じゃねえ。笑
だがマゼラン海峡を臨む荒涼とした景色は素晴らしかった。

この日は気合いで100キロほど進んだ交差点にある、無人の待合所で一泊。
実はもっと手前で全然泊まれたのだが、ちょっと寄っていきたいところがあったのだ。
翌朝。
寄り道ルートへ入り15キロほど。

ここは野生のペンギンのコロニーがあるのだ。
中に入ってみると、、、

居た!
ちょっと距離があるのでカメラだと分かりにくいのだが、肉眼では不思議な鳴き声をあげている一団がしっかり見えた。
たまにはこんな寄り道も良かろう。
(実はペンギンを見るだけなら旭山動物園行けばいいんじゃないかと思っていたのはここだけの話。笑)
しばらくして交差点へ引き返す。
ここから50キロほど走り、国境を超えて再びのアルゼンチンへ。


(チリ側のイミグレに冒険用品ステッカー貼ったの誰ですか?笑)

アルゼンチンへ入ったところから少し進み、この日は終了。
翌日は僕の誕生日だった。
朝起きると霧が出ていて周りがよく見えなかったのだが、準備しているうちに次第に明るくなってきて、大西洋が見えた。
23才、1枚目の写真。

この1年はどんな1年になるのだろう、していくのだろう。
問うてみて苦笑いしながら気づく。
これまでがそうであったように、そして今日がそうであるように。
ただただ、走っていくんだろう、これからも。
しばらく走って、道のすぐ側の小屋に自転車が立て掛けてあるのに気づく。
それも日本のブランドの自転車で、その隣に腰掛けているのもアジア人な顔だ。
そういえば同じ道を走る何人かから「この先に日本人がいるぞ」と聞いていた。
たぶん間違いあるまい。
RYU「日本人の方ですかー?」
アジア人フェイス「です!」
これがりょーちゃんとの出会いだった。
ちょうど休憩しようとしていたタイミングなので隣に失礼し、色々と話をする。
するとなんと就活終わりで同い年という(つまり大学5年生w)見事なバッティングだったのだ。
しかも道中で出会った人の話をすると、微妙に繋がっている人が居るわ居るわ。
実はチリの首都・サンティアゴを出発したりょーちゃんが僕の出発地点・コジャイケに着いたのが僕の1日前らしい。
どうやら釣竿担いだ日本のチャリダーが居ることも噂で知っていたんだと。笑
アルゼンチン入国後に彼は東ルートで、僕は西ルートで来たので別々だったのだが、ついにここで合流したみたいだった。
そんな話をしながら一緒に主発し、そのまま一緒に次の街、リオグランデへ。
向かい風がずっと吹いている区間だったのだが、不思議なもので他の人と喋りながら漕いでいるとあっという間である。
そして夜。
二人とも酒好き、かつ僕の誕生日ということで、とてつもない量の夕食を作り、アルコールで流し込んでいく、はずだった。。。

しかしあまりに買い出しが楽しくてご飯の時間が22時近くなってしまい、そこから二人で肉1キロと白米3合相当、特製スープ約2リットル、ビール4リットル、ワイン1リットル、フェルネット、ウィスキー...というとんでもない量に。笑
しかも宿のおばちゃんが本当にいい人で、それはそれは素敵な誕生日になったのであった。
翌日。
前日の夕飯の残りで再びお腹一杯になりながら朝食を終え、雨が止んだタイミングで出発。

ちなみに二人で持ってるのはフェルネットというイタリアのお酒。
イソジンの味がします。笑
消化系に良いらしいので、クスリで酔っぱらえて最高だぜ!
、、、ぅおぇ。。。
買い出しに行った後でりょーちゃんと別れ、釣具屋でライセンスを買って今回の釣りのメインと決めていた川へ行く。
先ずは下流のタイダルエリア。

上から流れてくる川の水はタンニンの効いたブラックウォーターで、そこに上げの逆流がぶつかって粒子の細かな泥を巻き上げて結構な濁り。
狙うはブラウントラウトの降海型、シートラウト。
中でも特大サイズがこの川には居るらしい。
シートラウト自体は釣ったことがないけれど、サーモン系ならカナダやアラスカで散々釣ってきたし、ブラウンに至っては留学先で毎日のように追いかけた魚である。
魚が遡上さえしていれば口を使わせられるだろうとは思っていた。
しかし下流は場所が悪い。
どうにもサーモン系が留まる場所には見えなかったので、上流域に行きたいところだが、、、
その時ちょうど漁業資源監理局の人たちが来た。
おにーさん「すまんね、ここの川ってスペシャルスタンプ必要なのさ」
あちゃー、マジか。
他のライセンス導入国でもある話なんだが、特に徹底して資源保護指定している水系では共通ライセンスの他に水系専用のスタンプを購入する必要がある。
急いで川から町に戻り、釣具屋でスタンプの話をした。
が、そこで絶望的な話を聞いた。
釣具屋のおっさん「スタンプがあっても一般の人が釣りできるのはお前がやってた下流域だけだぞ。支流を含めた全上流域はフィッシングロッジのプライベートエリアだ。ロッジで釣りを申し込まないとそもそも不可能なんだ。ちなみに、1週間で60万な。」
。。。
。。。
ダメじゃん。。。
実はチリもアルゼンチンもそうなんだが、かなり広大な土地を個人が所有しているケースが非常に多い。
もう常に道沿いに有刺鉄線が走っていて、川があろうものなら川の中にさえ張る始末。
そんなわけでテントを張れる場所がなかなかなかったり、釣りができる場所がほとんど無かったのだが。。。
ここまでそうとは思わなかった。
しょうがない、先へ進もう。
リオグランデを後にし急遽先へと進む。
これが発覚した時点ですでに夕方だったので、50キロほど進んだところのキャンプ場に泊まる。
翌日。
地図で見る限り一番大きな水系に入る。
そもそもこのフエゴ島という場所は川が極端に細い。
つーかチョロチョロの小川ばっかり。
その中でリオグランデは異色の存在だったのだが。。。
行ってみた川は、なんというか、やっぱり小さかった。
しかし下流の方で3つの川が合流するみたいなので、そこへ向けて道のない荒野を突き進む。
途中、良い流れがあったので投げてみると、やっぱりブラウン。

しかも何匹か釣ったのだが、全てがシルバー系の回遊個体だった。
ブラウンは居着きの魚は茶色が濃くなっていき、回遊する魚はシルバーっぽくなっていく。
そして同じ川においても両者の遺伝子は違うものらしい。
もしシルバー系が多いのなら海に降っている可能性も大きいのではないか?
そんな淡い期待で進んだ僕は、やっぱりというかなんというか、再びいやーな景色の前で立ち止まった。

有刺、鉄線。。。
わかったよ!アルゼンチンで思い通りに釣りするのは無理なんだな!!爆
もう、心、折れました。。。
諦めて次の街へ行く。
その翌日は走行最終日、世界最南端の都市・ウシュアイアへと向かった。
パンパが広がる大草原は既になく、森林が広がる山岳地帯。

もう初冠雪があったみたいで、山の上の方はうっすらと白かった。
100キロほど走って終着の地へ向かう。


「何故『タイトル』をそんなに大事にするんだい?」
オイギンズの宿で、とあるエクアドル人サイクリストが僕とRさんにそんな問いを投げかけた。
僕のこの旅での最終目的地・ウシュアイアは、世界最南端の街と呼ばれている。
が、実はそれは陸路で行ける限界の話であって、小さな海峡を1つ挟めばプエルト・ウィリアムズという小さな村がある。
「あそこには『世界の果て』という看板があるだけで、観光地だから物価も高いしあまり行く価値は無いと思う。みんな『世界の果て』に行ったというタイトルが欲しくて行くだけなのさ。」
ごもっとも、である。
だがその問いは、僕たちが自転車に乗る意味そのものを破壊することにもなる。
世界中、何処かに行く必要があるなら自転車を使う必要はない。
そもそも何処かに行くということ事態が必要のないことだ。
生きるためには何処へ旅に出る必要もないじゃないか。
それでも僕が自転車を選ぶのは、目的地ではなく走ることに価値を見出すからだ。
走ることが望む在り方の体現だからだ。
場所というのはただの舞台装置のようなものかもしれない。
最果てを前にして、僕の心は穏やかだった。

何処でもよかったのかもしれない。
そして10年目という区切りも、最果てに駆けるというタイトルも、ただ旅という鏡を鮮明にするためだから。
旅行は外に向かうもので、旅は内に向かうもの
ああ、仏教思想と似ているな。
誰かが言ったその言葉が今はとてもよく分かる。
だけど、例えこの終わりがただのタイトルだったとしても、僕はここまで来る必要があった。
『そこにたどり着くまでに学んだすべてのことが意味を持つために、おまえは宝物を見つけなければならないのだ。』
「アルケミスト」という小説の中で、宝物を探して旅をする主人公の少年が、宝物に出会うその全ての過程が宝物だと気づいて満足しようとした時、導き手の錬金術師が言った言葉。

Fin del Mundo.
世界の果て。
夢の果て。
10年間、走り続けた最果て。
物語は、ここに幕を閉じた。
、、、と思ってたら、夕方に偶然りょーちゃんと再会した。笑
りょーちゃん&RYU
「飲んで食うぞ!」爆

最果ての夜はこうして更けていった。。。
もちろんもっと範囲を広げて探せば居るのかもしれないけれど。
その人はこう言っていた。
自転車釣旅というのは先駆者の居ない分野だから、第一人者になれるチャンスがある、と。
バックパッカーでの怪魚釣りは既に有名人が居て、やっている人も増えているし、認知度も上昇している。
だからこの分野でならパイオニアになれると。
この手の、言ってしまえば承認や名誉の欲求といったものは、人に在って然るべきだと思う。
多くの成功者がそれを原動力にしているし、マズローのピラミッドの4段目にだって位置している。
もちろん僕だってそんな時期があった。
5年前の日本縦断自転車釣旅なんて、もろにそうだった。笑
今はどうかというと、これがさっぱりない。
正直言って、有名になるために走るという理由は自転車の辛さと吊り合わないのだ(つまり自転車が辛すぎて 笑
では何故、毎度毎度こんな長い旅の記事を書いているのだろう。
一時期は自分が後で読み返し思い出すためと思っていたが、今では違う。
きっとその理由は、旅を物語に収束させるためなのだ。
ここに書くのは正確な旅の記録ではない。
旅の中で印象に残ったことや考えたことを抜き出し、物語としてまとめたものである。
では何故物語かというと、最終的に僕の中で物語がいくつかの概念に収束していくからなのだ。
人が1つの経験から結論を見いだすには時間がかかることもある。
本を読んだり、全く別の経験をしたり、新しい人に出会ったり。
そんな時にふと記憶の海から言葉が意味をもって立ち上がってくることがあるのだ。
その時のため、僕はより記憶の海から出てきやすいように経験を物語へと収束させておく。
まあそれを公開するってことは誰かに読んで欲しいと思っていることなのかもしれないが。
理由なんてきっと、後付けというか、後になってから獲得していくものも多いし、そちらの方が重要になることだってあるんだろう。
そして後付けながら、誰かにとってこの物語が何かの助けになってくれますように。
閑話休題。
フェリー乗り場近くのキャンプ場を後にし、最寄りの街であるエルチャルテンへ向かう。
わずか37キロなのだけれど、アウストラル街道を凌ぐほどの悪路だった。。。
そしてようやく街の中に入ると舗装路が!

快適で快適でたまらない。
ここで一泊するつもりだったのが何処までも走りたくなる気分だ。
。。。嘘です、1㎜たりとも自転車に跨がりたくないです。爆

翌日と翌々日はエルチャルテンを後にしてエルカラファテを目指す。

チリで見てきた山の世界とはまるで違うパンパの世界。
景色はただ荒涼としている。
背後を振り返れば、一昨日に越えてきた国境の山々が見えた。

ここまで遮蔽物のない大地での風は凄まじい。
追い風ともなれば40キロもスピードがでているのに風切り音がなく、ホイールのラチェット音が静かに響くだけだ。
が、横風や向かい風では轟音と化し、自転車は煽られに煽られる。
2日かかって到着したエルカラファテは、とてもとても綺麗な観光地といった感じ。


多くの人はこの先にあるペリトモレノ氷河へ行くらしいのだが、日程と金銭面で却下。笑
氷河が有名な街で氷河に行かないってどうなんだと言われそうだが、だって行ったところでただの氷の塊だぞ?爆
そんなことを思った時、ふと思い出した。
オイギンズでのことだった。
RYU「アウストラル街道終点の看板って写真撮ってきました?」
Rさん「行ってないんだよなぁ」
Tさん「だってほら、たぶんGoogleマップのストリートビューに写真あるでしょ。笑」
RYU「いやそうですけど。笑」
そんなやりとりがあった。
皆さんはどう思うだろうか。
僕は「確かに」と思った。
何故簡単に手に入る写真ではなく、自分で撮らなければならないのか。
そんな理由は何処にも無いのである。
技術の移り変わりは、いつの時代も僕らに倫理の在り方を問う。
例えば、絵と写真。
正直絵画に関しては少し本でかじっただけなのだが、その内容によると絵画は写真の登場を機にその在り方が変わったらしい。
写真の登場以前、絵画は伝達手段、すなわちメディアとしての役割が主だったらしい。
だからよりリアルな方向へと進化していったそうな。
だが写真の登場は絵画の存在意義を根本から揺るがした。
写真のリアルさにはどうしたって敵わないのだ。
そして絵画は印象派、つまり写実ではなく絵画だからこその世界を拓いたという。
ネットの世界の発展も同じ宿命をもたらしただけだ。
僕たちは次に、何故自分の手で写真を撮るのかを見出だす必要がある。
そして次に来るのは現実と仮想の区別だろう。
あるアニメの話だが、こんな台詞がある。
「リアルとバーチャルの違いは情報量の多寡でしかない」
そして情報量は技術進歩で確実に縮まっていく、と。
昨年あたりから始まったVRの本格的なトレンドはこの言葉の意味を僕たちに突きつけるだろう。
もし五感全てから得る情報がバーチャルにおいてリアルと
同質となったらならば、その違いとは何なのだろう。
おっと、話が逸れた。
今は写真の話だった。
そうそう、僕の答えはというと、写真を撮るのは目で見た景色と一緒に時間や思いを切り取って封じ込めるためだ。
だから「写真を取りに行く」という行為を僕は行わない。
記憶だけではなく記録にも残したい風景に出会った時に、その時の思いも一緒に収束させるためにシャッターを切る。
これはある種の思考実験に近いんだが、例えば昔に旅行した場所の景色を思い浮かべてほしい。
特に写真を撮った場所だ。
すると、思い出されてくる脳内の景色は写真と同じものだったりしないだろうか?
そう、記憶が記録に収束するのだ。
逆に写真を撮らずにおいた大切な景色は、その広がりを含めて残っている場合が多い。
アラスカで見た、氷河を湛えた山々に囲まれた海で、消え入りそうなほど小さな鯨の尾が海中に消えていった瞬間は、その広がりを含めて未だ僕の中にある。
これでさえも、言葉に収束してしまった以上のモノにはもう成り得ないということなんだけれども。
。。。ちょっと話が飛んでしまったが、要約すると、面倒だから氷河には行かなかった。爆
1日だけ休憩しエルカラファテを後にする。
が、想定外の向かい風。
通常であれば風はアンデスからの吹き下ろし、すなわち東北東から東からの風なので、この日はほぼほぼ追い風だと読んでいたのに。。。
1時間で切り抜けられると計画していた区間に3時間もかかり、ちょっと焦りながら進む。
途中、50キロほど進んだところから長い峠が始まった。
しかも吸血するっぽい虫がワラワラ出てきて、ちょっと発狂気味で上っていく。
そして1時間ほど進み、頂上が1キロほど先に見えてきた、その時だった。
プンッ!プシュゥゥゥ。。。
うわ、パンクした上にスポークが折れやがった!

人生初のスポーク折れ。
実はアウストラルの終点、オイギンスでみんなから言われていたのだ。
「過酷なオフロードを走りきったと思ったら、舗装路になってしばらくして何故かスポークが折れるんだ」
いや絶対それはないだろうと思っていたのだけれど、マジだった。。。
パンク修理はそこまで時間がかかるものでもないんだが、スポーク調整がとにかく面倒。
予備のスポークが無いので他のスポークのテンションを変えてホイールの歪みを調整しなければならないんだが、難しい。。。
かなり時間をロスしてしまい、しかも大して歪みが軽減されていない状態で走り出す。
これはヤバイなあ。
次の町までは250キロほどあって、その途中区間が未舗装路なのだ。
なんとか耐えられればいいのだが。
というか何故物資が手に入りやすいエルカラファテを出た瞬間にこんな事態になるのか。。。
そんなつらーい現実を考えながら峠を越える。
そして越えた瞬間に台地のような平原が広がり、風が自転車を押すようになってきた。
よし、これなら遅れを取り戻せそうだ。
そして10キロほどすいすいと進んでいく。
更に途中で一台の車が路肩に止まり、こちらに手を振っている。
おっちゃん「これ持っていけよ!」
なんと水とパンとチーズを差し入れてくれた。

ああ、捨てる神あらば拾う神あり。
クラクションを鳴らして遠ざかるおっちゃんの車が遠くなるまで手を振り、そして再び足をペダルに乗せて踏み込んだ。
まさに、その、一漕ぎ目だった。
プシュゥゥゥ。。。
おいっっっ!!
捨てられて拾われてまた捨てられたぞ!!爆
物凄く複雑な気分で本日2度目のパンク修理を開始する。
が、事態は思っていたよりずっと深刻だった。
空気入れのパーツがない。。。
自転車のチューブのバルブは3タイプあって、僕の携帯空気入れはアダプターで今使っているチューブのバルブに合わせている。
その、アダプターが無いのである。
恐らくは先ほどパンク修理をした場所に置いてきてしまったのだろう。
となるともう僕のできることはない。
修理しても空気が入れられないのだから。
はあぁぁ、ヒッチハイクか。
荷物をまとめて反対側の車線に移り、エルカラファテへ行く車を願ってヒッチハイクを開始する。

ちなみに結構意外に思われるらしいのだが、僕はヒッチハイクなるものを人生で一度もしたことがない。
そんな話をTさんとオイギンスでしたことがあった。
RYU「ヒッチハイクって好きじゃないんですよ。僕からすると自転車を自分の足で行けるからって理由で選んでいるのだから、ヒッチハイクは性に合わないのです。」
Tさん「確かに不確定要素が多すぎるからな。自分の意思が反映されず、相手次第なところが大きい。」
RYU「それってなんか実社会みたいじゃないですか。旅の中くらいは自分の思うようにしたいというか、なんと言うか。」
Tさん「おいそれただの現実逃避じゃねーか。笑」
RYU「然り。笑」
RYU「あと、僕、見知らぬ人とコミュニケーションとるの苦手なんですよ。そんなことするくらいなら自分で走った方がましです。」
Tさん「思いっきり現実逃避じゃねーか!!爆」
どちらが本音かといえば、言うまでもない。
後者だ。笑
そんなわけでぎこちなく右手でサインを作り、車が止まってくれることを祈るのだが、、、だめ。
1時間ほどして夕闇が近づき、交通量も減ってきたところで諦めた。
道端にテントを張り、夕飯を食べながら考える。
なんというか、自転車も含めこんなにたくさんの荷物を持っていると乗せてくれる可能性があるのはピックアップトラックくらいなもんだ、物理的に。
そしてピックアップに乗っている人たちが荷台に何も乗せておらず、エルカラファテに向かっており、気まぐれに僕を拾おうと思う確率は。。。
しかも街からは70キロ弱離れた峠の上の荒野である。
そう考えると一気に弱気になってくる。
そして無茶苦茶な思考が段々と現実味を帯びてきた。
「アダプター、取りに行くか?」
どう考えても無茶な話である。
往復20キロの街灯もない峠道を歩き、既に暗くなった路肩の地面をヘッドライトで照らして2センチほどの物を探す。
正気の沙汰じゃない。
が、どうもヒッチハイクが成功する気がしなかったこの時の僕は、僅かな可能性にかけて歩き出してしまった。
本当は止まってくれたらラッキー程度に思ってやるべきなんだろうが、状況からかなり焦っていた僕は止まらない車を見送る度に何か全否定された気分に陥っていたのだった。笑
しばらく歩いていると、1台のトラックが横に止まった。
僕はスペイン語がダメなので何を言っているのか詳細には分からなかったが、明らかに何故こんなところを人間が歩いているのか気にしているようだった。
そして何とか事情を説明すると、途中まで乗せていってやるよと、助手席を空けてくれた。
あれ、ヒッチハイク成功してない?笑
そして覚えていた目印を頼りに砂利の路面を30分ほど探すが、、、見当たらない。
というか既に暗くなった砂利の表面から小さなアダプターを探すなど、出来なくて当然なのだ。
やがて風と共に雨も降り始め、本格的にヤバイなと思いテントへと歩き出す。
気温も高地だけに一気に冷え込み、どうにもこの狂った行動を後悔しながらトボトボ歩く。
そして気づく。
この暗さ、テント見つけられないんじゃ。。。
車から見え辛いように道から小さい丘陵を越えたところに張ったのだが、その地理的特徴なんて見えたもんじゃない。
次第に恐怖感が増してくる。
どうしよう、どうしよう。。。
5キロほど進んだところで一台の車が止まった。
おいお前、こんな所で何をやってるんだ⁉
そんな感じの言葉をかけてくるおっちゃんに何とかテントがこの先にあることを説明し、近くまで送ってもらう。
。。。あれ?ヒッチハイク成功してない?笑
暗闇の中なんとかそれらしき形の丘陵を見つけ出し、テントを見つけた時には全身から力が抜けた。
無事で良かった。。。
翌朝。
昨晩の行為は本当に正気の沙汰じゃなかったと反省し、一日ヒッチハイクを頑張ると決めた。
テントをたたみ、大荷物を3回に分けて道路脇に移していく。
。。。その2回目だった。
荷物のそばに一台のピックアップトラック、それも荷台に荷物なし、が止まっているではないか。
おっちゃん「乗っていくかい?」
RYU「乗ります!!!」
。。。あれ?ヒッチハイク、成功してない?
つかこれ、ヒッチハイクじゃなくない?笑
こうして僕のファースト・ヒッチハイク(なのか?)は無事に幕を閉じ、エルカラファテまでドナドナ気分で戻ったのであった。

ちょっと萎え萎えになってしまったので、自転車をバスに載せてショートカットすることにした。
チリに2回目の入国を果たし、プエルトナタレスという街から3日ほどかけて南下していく。
途中に川もなければ良い景色があるわけでもなく、爆笑トラブルがあったわけでもなかったので、割愛。
あ、そういや前方の空が絶望的な色に変わった後、物凄い向かい風と雹が吹き付けてきたことがあったなぁ。
マジで痛かった。。。
そして到着した街、プンタアレーナスからフェリーで最後の舞台であるフエゴ島にフェリーで渡る。


さあ、正真正銘の最果てだ。
万感の想いを込めて走り出す、が、、、
またオフロードかよっ!

何でだか分からないんだが、フエゴ島へ行ったら舗装路だと勝手に思い込んでいたのだ。
そりゃそうだよな、こんな何も無いとこを舗装するほど行き届いた国じゃねえ。笑
だがマゼラン海峡を臨む荒涼とした景色は素晴らしかった。

この日は気合いで100キロほど進んだ交差点にある、無人の待合所で一泊。
実はもっと手前で全然泊まれたのだが、ちょっと寄っていきたいところがあったのだ。
翌朝。
寄り道ルートへ入り15キロほど。

ここは野生のペンギンのコロニーがあるのだ。
中に入ってみると、、、

居た!
ちょっと距離があるのでカメラだと分かりにくいのだが、肉眼では不思議な鳴き声をあげている一団がしっかり見えた。
たまにはこんな寄り道も良かろう。
(実はペンギンを見るだけなら旭山動物園行けばいいんじゃないかと思っていたのはここだけの話。笑)
しばらくして交差点へ引き返す。
ここから50キロほど走り、国境を超えて再びのアルゼンチンへ。


(チリ側のイミグレに冒険用品ステッカー貼ったの誰ですか?笑)

アルゼンチンへ入ったところから少し進み、この日は終了。
翌日は僕の誕生日だった。
朝起きると霧が出ていて周りがよく見えなかったのだが、準備しているうちに次第に明るくなってきて、大西洋が見えた。
23才、1枚目の写真。

この1年はどんな1年になるのだろう、していくのだろう。
問うてみて苦笑いしながら気づく。
これまでがそうであったように、そして今日がそうであるように。
ただただ、走っていくんだろう、これからも。
しばらく走って、道のすぐ側の小屋に自転車が立て掛けてあるのに気づく。
それも日本のブランドの自転車で、その隣に腰掛けているのもアジア人な顔だ。
そういえば同じ道を走る何人かから「この先に日本人がいるぞ」と聞いていた。
たぶん間違いあるまい。
RYU「日本人の方ですかー?」
アジア人フェイス「です!」
これがりょーちゃんとの出会いだった。
ちょうど休憩しようとしていたタイミングなので隣に失礼し、色々と話をする。
するとなんと就活終わりで同い年という(つまり大学5年生w)見事なバッティングだったのだ。
しかも道中で出会った人の話をすると、微妙に繋がっている人が居るわ居るわ。
実はチリの首都・サンティアゴを出発したりょーちゃんが僕の出発地点・コジャイケに着いたのが僕の1日前らしい。
どうやら釣竿担いだ日本のチャリダーが居ることも噂で知っていたんだと。笑
アルゼンチン入国後に彼は東ルートで、僕は西ルートで来たので別々だったのだが、ついにここで合流したみたいだった。
そんな話をしながら一緒に主発し、そのまま一緒に次の街、リオグランデへ。
向かい風がずっと吹いている区間だったのだが、不思議なもので他の人と喋りながら漕いでいるとあっという間である。
そして夜。
二人とも酒好き、かつ僕の誕生日ということで、とてつもない量の夕食を作り、アルコールで流し込んでいく、はずだった。。。

しかしあまりに買い出しが楽しくてご飯の時間が22時近くなってしまい、そこから二人で肉1キロと白米3合相当、特製スープ約2リットル、ビール4リットル、ワイン1リットル、フェルネット、ウィスキー...というとんでもない量に。笑
しかも宿のおばちゃんが本当にいい人で、それはそれは素敵な誕生日になったのであった。
翌日。
前日の夕飯の残りで再びお腹一杯になりながら朝食を終え、雨が止んだタイミングで出発。

ちなみに二人で持ってるのはフェルネットというイタリアのお酒。
イソジンの味がします。笑
消化系に良いらしいので、クスリで酔っぱらえて最高だぜ!
、、、ぅおぇ。。。
買い出しに行った後でりょーちゃんと別れ、釣具屋でライセンスを買って今回の釣りのメインと決めていた川へ行く。
先ずは下流のタイダルエリア。

上から流れてくる川の水はタンニンの効いたブラックウォーターで、そこに上げの逆流がぶつかって粒子の細かな泥を巻き上げて結構な濁り。
狙うはブラウントラウトの降海型、シートラウト。
中でも特大サイズがこの川には居るらしい。
シートラウト自体は釣ったことがないけれど、サーモン系ならカナダやアラスカで散々釣ってきたし、ブラウンに至っては留学先で毎日のように追いかけた魚である。
魚が遡上さえしていれば口を使わせられるだろうとは思っていた。
しかし下流は場所が悪い。
どうにもサーモン系が留まる場所には見えなかったので、上流域に行きたいところだが、、、
その時ちょうど漁業資源監理局の人たちが来た。
おにーさん「すまんね、ここの川ってスペシャルスタンプ必要なのさ」
あちゃー、マジか。
他のライセンス導入国でもある話なんだが、特に徹底して資源保護指定している水系では共通ライセンスの他に水系専用のスタンプを購入する必要がある。
急いで川から町に戻り、釣具屋でスタンプの話をした。
が、そこで絶望的な話を聞いた。
釣具屋のおっさん「スタンプがあっても一般の人が釣りできるのはお前がやってた下流域だけだぞ。支流を含めた全上流域はフィッシングロッジのプライベートエリアだ。ロッジで釣りを申し込まないとそもそも不可能なんだ。ちなみに、1週間で60万な。」
。。。
。。。
ダメじゃん。。。
実はチリもアルゼンチンもそうなんだが、かなり広大な土地を個人が所有しているケースが非常に多い。
もう常に道沿いに有刺鉄線が走っていて、川があろうものなら川の中にさえ張る始末。
そんなわけでテントを張れる場所がなかなかなかったり、釣りができる場所がほとんど無かったのだが。。。
ここまでそうとは思わなかった。
しょうがない、先へ進もう。
リオグランデを後にし急遽先へと進む。
これが発覚した時点ですでに夕方だったので、50キロほど進んだところのキャンプ場に泊まる。
翌日。
地図で見る限り一番大きな水系に入る。
そもそもこのフエゴ島という場所は川が極端に細い。
つーかチョロチョロの小川ばっかり。
その中でリオグランデは異色の存在だったのだが。。。
行ってみた川は、なんというか、やっぱり小さかった。
しかし下流の方で3つの川が合流するみたいなので、そこへ向けて道のない荒野を突き進む。
途中、良い流れがあったので投げてみると、やっぱりブラウン。

しかも何匹か釣ったのだが、全てがシルバー系の回遊個体だった。
ブラウンは居着きの魚は茶色が濃くなっていき、回遊する魚はシルバーっぽくなっていく。
そして同じ川においても両者の遺伝子は違うものらしい。
もしシルバー系が多いのなら海に降っている可能性も大きいのではないか?
そんな淡い期待で進んだ僕は、やっぱりというかなんというか、再びいやーな景色の前で立ち止まった。

有刺、鉄線。。。
わかったよ!アルゼンチンで思い通りに釣りするのは無理なんだな!!爆
もう、心、折れました。。。
諦めて次の街へ行く。
その翌日は走行最終日、世界最南端の都市・ウシュアイアへと向かった。
パンパが広がる大草原は既になく、森林が広がる山岳地帯。

もう初冠雪があったみたいで、山の上の方はうっすらと白かった。
100キロほど走って終着の地へ向かう。


「何故『タイトル』をそんなに大事にするんだい?」
オイギンズの宿で、とあるエクアドル人サイクリストが僕とRさんにそんな問いを投げかけた。
僕のこの旅での最終目的地・ウシュアイアは、世界最南端の街と呼ばれている。
が、実はそれは陸路で行ける限界の話であって、小さな海峡を1つ挟めばプエルト・ウィリアムズという小さな村がある。
「あそこには『世界の果て』という看板があるだけで、観光地だから物価も高いしあまり行く価値は無いと思う。みんな『世界の果て』に行ったというタイトルが欲しくて行くだけなのさ。」
ごもっとも、である。
だがその問いは、僕たちが自転車に乗る意味そのものを破壊することにもなる。
世界中、何処かに行く必要があるなら自転車を使う必要はない。
そもそも何処かに行くということ事態が必要のないことだ。
生きるためには何処へ旅に出る必要もないじゃないか。
それでも僕が自転車を選ぶのは、目的地ではなく走ることに価値を見出すからだ。
走ることが望む在り方の体現だからだ。
場所というのはただの舞台装置のようなものかもしれない。
最果てを前にして、僕の心は穏やかだった。

何処でもよかったのかもしれない。
そして10年目という区切りも、最果てに駆けるというタイトルも、ただ旅という鏡を鮮明にするためだから。
旅行は外に向かうもので、旅は内に向かうもの
ああ、仏教思想と似ているな。
誰かが言ったその言葉が今はとてもよく分かる。
だけど、例えこの終わりがただのタイトルだったとしても、僕はここまで来る必要があった。
『そこにたどり着くまでに学んだすべてのことが意味を持つために、おまえは宝物を見つけなければならないのだ。』
「アルケミスト」という小説の中で、宝物を探して旅をする主人公の少年が、宝物に出会うその全ての過程が宝物だと気づいて満足しようとした時、導き手の錬金術師が言った言葉。

Fin del Mundo.
世界の果て。
夢の果て。
10年間、走り続けた最果て。
物語は、ここに幕を閉じた。
、、、と思ってたら、夕方に偶然りょーちゃんと再会した。笑
りょーちゃん&RYU
「飲んで食うぞ!」爆

最果ての夜はこうして更けていった。。。
- 2017年3月27日
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