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もう5年

  • ジャンル:日記/一般
あれから5年

あの日の事を鮮明に覚えてて、目覚めはとても体調が悪かった

仕事は転職前であり、茨城県日立市内の支店に勤務をしていた。

私は営業グループの稼ぎ頭として期待され、広範囲な営業エリアをカバーしていた。

体調の悪さから近くのクライアントの先で午前中はいろいろ面倒を見てもらっていた。(単純にサボり笑)
昼になり、そろそろ真面目にやるかとアポイントを取っていた、伊師浜海岸近くの顧客の元へ、その後更に北上、北茨城を目指していた時に、忘れられない日となる出来事が起こった…

初めは車がパンクしたかと思い、船の上にいるような感覚になった。
今起きてる事がただ事では無いと言うことに時間はかからなかった。
アスファルトが割れ、水が噴き出し、民家の屋根から雪解けの雪のように瓦がツルツルと落ち、石積みの塀はいとも簡単に崩れ、崖崩れが起き、信号が一斉に消えた。

すぐに想像を超える地震が起きているとわかり、会社に連絡を入れた。

繋がらない

親、家族、ありとあらゆる所に電話したが繋がらない。

渋滞の道を警察が交通整理を行い普段20分で支店に帰れる道を1時間半かけて戻ると同僚達は全員建物の外へ出ていた。
街は騒然

建物の中に残る人などいない、全ての人が外で安全を確保していた。

いろいろな情報社会のおかげなのか、この状況でコンビニ、スーパーはすぐに行列になる。

ガソリンスタンドに人が押し寄せる

生活を確保するためにみんなが生きるための行動に出る。

幸い職場での怪我人はいなかった。

夜までこれからの対応について上席からの指示は得られなかった。
あの状況で完璧な指示が出来る人間なんている訳無い。

夜に会社の車で、職場の女性を一件一件周り家に帰らせた。

自分はその時、マンションに住んでいたこともあり、自分のことを考えるのに精一杯だった。

家族の安否が確認できない。

どのくらいかかっただろう、夜中にマンションに辿り着いた時、まだ妻が戻らない事に嫌な予感を感じた。

公衆電話が回線が違うと知っており、公衆電話から妻の携帯に電話をかけた。
無事つながり、外での待ち合わせ場所をきめ、2時間待つと妻が歩いて到着。

その時の安心感が今も忘れられない。

子供は保育園で先生の車の中で暖を取っていたようで、妻の両親が迎えに行っていると妻から聞かされ、妻の実家に向かった。

子供はすっかり寝ていたが、洋服は見た事の無いものを着ていた、他の子の服を着ていた。
親から聞いたのは子供達はお風呂に入っていたらしい。
その時に大きな揺れがあり、ある服を手に取り車の中で体を冷やさ無いように服を着せてもらっていたらしい。

その姿を見て、安心とこんな小さな子がこんな思いをするなんてと言う悲しみから涙が止まらなかった。

それからの生活はもっと過酷だった。

2リットルの水を貰うために2.3時間は並ばないといけない

食事はいつスーパーに入るかわからない

家にあるインスタントを食べて暮らす毎日

車のガソリンはどこのスタンドも開いてなく
開いてても満タンにしてくれない、

流通が悪く油が来ないという

水はない、電気が通らないため光はない、動く手段がない、食べるものが限られる、食べると先が不安

何よりも優先したのは子供のミルク

消毒用に煮沸をするにも水が必要だった。

綺麗なものを与えたい
それだけを考えていた

原発の爆発、その後に雨が降り北風が吹き、黒い雨を思い出した。

電気が通り、東北で起こった事がようやくわかった…

津波という恐怖、映画のような映像、1万何千の命が失われた。

俺は生きていた、この事も奇跡でその時から命の重み、人生の有り難み

何もかもが変わった。

人間、自らが招いた出来事ではない。

自然と共存する故の出来事。

自然とは恩恵も悲劇も与えてくれる存在なのである。

あれから5年

3.11の14:46に必ず黙祷をしている。

自然と生きる事の意味

大切な物を守りたければ、日々最善を尽くす事。

その事を胸に秘め今日も黙祷をし、生きる事に感謝をするのです。


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