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平松 慶
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▼ 1992年12月1日
- ジャンル:日記/一般
夢を持って、京都の大学へスポーツ特待として進学した18歳。
寮生活の毎日に何か面白い事は無いかなっと、子供の頃から好きだった釣りを再開。
OFFの日は、近くの野池で釣りに没頭していました。
朝練〜講義〜練習〜寮の登板。一回生が1人になれる時間は、夜中の12時から。
先輩が寝るのを見計らって、タックルを持ち、夜釣り。
でも、一回生の終りに人生の岐路に向かい合う大病を患い、一年間の寝たきり生活。
二度とスポーツの出来ない身体になり、夢は断ち切られてしまった…
(今は、また健康の為に始めていますが…)
入院中、あらゆる本や雑誌を読みあさり、自分自身と見つめあってみると、そこには「釣り」がありました。
「釣りで、食えるのかな?」
当時、バスのトーナメントブーム。1988年だったかな。
バスプロ、と言う肩書きが飛び込んで来て、その方々の環境に憧れたのがきっかけ。
一年の入院生活からリハビリを乗り越え、まともな生活が送れる様になった後に、釣具店でバイトを始めた。
レジ、値付け、陳列、掃除、接客。
釣具に毎日囲まれる生活がたまらなく生き甲斐に感じ、釣りへの想いはどんどん膨らんでいった。
その頃は、ブラックバスとライギョばかりに熱くなっていた頃でした。
その時に京都の由良川で、メーターオーバーのシーバスが釣れる!とわかり、見よう見まねでフィールドに向かった。
まだ当時、シーバスを真剣に取り組んでいる方は30過ぎの方ばかり。
僕の様な若造がロッドを持ってウロウロしていても、邪魔もの扱い。
屈辱でした。
河口部で落鮎につくシーバス、というのが当時の狙うパターンでしたから、その一郭にどうしても入りたかった。でも、絶対に入れてくれなかった…。
「河口部でシーバスが釣れるのなら、入れてくれないこのポイントよりも先にシーバスを釣ってやる!」
…と、まだ誰もやっていないサーフでのシーバス狙いを研究。
サーフでのシーバスは、僕ひとり。
みんな、河川部に入っている…。
今じゃ、たくさんのデータや釣り方、ルアーなどの情報があるが、当時は全く何もない。
手探りでのスタート。
悔しかったから、毎日一時間半かけてフィールドに通い、とにかく誰よりも多く由良川のサーフに通い続けた。毎日。
最初にキャッチ出来たのは、96センチ。
みんな、マグレや!と認めてくれなかった。
僕も、マグレかな?と正直、思った…。
そして、誰もサーフには来なかった。
マグレを現実な物にしたくて、更にしつこく通い続けた。
86.88.90.92.90センチ…。
このサイズを1人で一ヶ月半かけて釣り、やっと何人かのおじさんアングラーから声をかけてもらえる様になった。
98センチ、8.2kg。12月の寒い日に、ひとり涙した魚。
夢を追って生活する事へのきっかけになった、一尾。
この魚を手にした時、釣りで食ってみたいな!って始めて感じた。
釣る表現、様子、などをどう伝えるか。
「バスプロだけが、釣りのプロじゃない」
グレや鮎など、当時からトーナメントなどは行われていましたが、ソルトの世界では、まだ未知数…。
「面白い!頑張れる!続けたい!」
その気持ちだけで、今も海に向かっています。
釣りってさっ!。競い合うスタイル、心を安らげるスタイル、食べて喜ぶスタイル…など、その人にあった表現で楽しむ事が出来るレジャー。
色々あって、いいじゃん。
明日から、インドネシアへ釣行してきます。
なんとなく。
なんとなく、初心に戻りたく、そして、当時の釣りへの気持ちを確認したかったから、こんな日記を書いてしまいました。
「夢を食べて、生きている!」
なんとなく、書きたくなった。
明日からのインドネシア、楽しんで来ます!!
iPhoneからの投稿
寮生活の毎日に何か面白い事は無いかなっと、子供の頃から好きだった釣りを再開。
OFFの日は、近くの野池で釣りに没頭していました。
朝練〜講義〜練習〜寮の登板。一回生が1人になれる時間は、夜中の12時から。
先輩が寝るのを見計らって、タックルを持ち、夜釣り。
でも、一回生の終りに人生の岐路に向かい合う大病を患い、一年間の寝たきり生活。
二度とスポーツの出来ない身体になり、夢は断ち切られてしまった…
(今は、また健康の為に始めていますが…)
入院中、あらゆる本や雑誌を読みあさり、自分自身と見つめあってみると、そこには「釣り」がありました。
「釣りで、食えるのかな?」
当時、バスのトーナメントブーム。1988年だったかな。
バスプロ、と言う肩書きが飛び込んで来て、その方々の環境に憧れたのがきっかけ。
一年の入院生活からリハビリを乗り越え、まともな生活が送れる様になった後に、釣具店でバイトを始めた。
レジ、値付け、陳列、掃除、接客。
釣具に毎日囲まれる生活がたまらなく生き甲斐に感じ、釣りへの想いはどんどん膨らんでいった。
その頃は、ブラックバスとライギョばかりに熱くなっていた頃でした。
その時に京都の由良川で、メーターオーバーのシーバスが釣れる!とわかり、見よう見まねでフィールドに向かった。
まだ当時、シーバスを真剣に取り組んでいる方は30過ぎの方ばかり。
僕の様な若造がロッドを持ってウロウロしていても、邪魔もの扱い。
屈辱でした。
河口部で落鮎につくシーバス、というのが当時の狙うパターンでしたから、その一郭にどうしても入りたかった。でも、絶対に入れてくれなかった…。
「河口部でシーバスが釣れるのなら、入れてくれないこのポイントよりも先にシーバスを釣ってやる!」
…と、まだ誰もやっていないサーフでのシーバス狙いを研究。
サーフでのシーバスは、僕ひとり。
みんな、河川部に入っている…。
今じゃ、たくさんのデータや釣り方、ルアーなどの情報があるが、当時は全く何もない。
手探りでのスタート。
悔しかったから、毎日一時間半かけてフィールドに通い、とにかく誰よりも多く由良川のサーフに通い続けた。毎日。
最初にキャッチ出来たのは、96センチ。
みんな、マグレや!と認めてくれなかった。
僕も、マグレかな?と正直、思った…。
そして、誰もサーフには来なかった。
マグレを現実な物にしたくて、更にしつこく通い続けた。
86.88.90.92.90センチ…。
このサイズを1人で一ヶ月半かけて釣り、やっと何人かのおじさんアングラーから声をかけてもらえる様になった。
98センチ、8.2kg。12月の寒い日に、ひとり涙した魚。
夢を追って生活する事へのきっかけになった、一尾。
この魚を手にした時、釣りで食ってみたいな!って始めて感じた。
釣る表現、様子、などをどう伝えるか。
「バスプロだけが、釣りのプロじゃない」
グレや鮎など、当時からトーナメントなどは行われていましたが、ソルトの世界では、まだ未知数…。
「面白い!頑張れる!続けたい!」
その気持ちだけで、今も海に向かっています。
釣りってさっ!。競い合うスタイル、心を安らげるスタイル、食べて喜ぶスタイル…など、その人にあった表現で楽しむ事が出来るレジャー。
色々あって、いいじゃん。
明日から、インドネシアへ釣行してきます。
なんとなく。
なんとなく、初心に戻りたく、そして、当時の釣りへの気持ちを確認したかったから、こんな日記を書いてしまいました。
「夢を食べて、生きている!」
なんとなく、書きたくなった。
明日からのインドネシア、楽しんで来ます!!
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- 2013年2月17日
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