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▼ 追記:村岡昌憲さんの言われていた「釣り人は出会うべき」を深く納得
- ジャンル:日記/一般
- (日常)
昨日このfimo釣りログで書いた、『村岡昌憲さんの言われていた「釣り人は出会うべき」を深く納得』の追記です。
↑の記事の中ではあまり触れなかった事がありました。
それは、人と繋がらない世界の事。そして、人と繋がらない世界だと、人はゴミを捨ててしまうなどと、こんな事しか書きませんでした。
いや、そんな事はありません。
人と繋がらなくても、素晴らしい世界をあると思います。
それを具体的なもので例えるなら、「無人島」です。
人の干渉がない無人島なら誰にも気を使う事も無く、いわゆる「自由」です。ただ、何もしていいわけではないのはこの「自由」という言葉の通りです。「自由」とは「自分に由るもの」です。自分の行いがそのまま自分に帰ってきます。
もし、その無人島に綺麗な湖があり、魚が生息していたとします。
その魚を食料にしなければ生きていけないとしたら、その湖、汚しますか?
ですから、ここでの「自由」とは生きる事と直結しているのです。
ただ、その「自由」を手に入れられたとしたら、どんなに素晴らしい事でしょう。そんな「自由」を手に入れる術を持っていたとしたら、ものすごくたくましく、毎日生きている実感があるんじゃないかと予感してしまいます。でもものすごく大変な道ですよね。
人と繋がらない世界、でも人とは繋がらなくてもこの地球とは直結しているのですよね。
でも、この「無人島」では釣った魚の事を誰にも話せません。
その窮屈に耐えられるでしょうか。
でも
現代はほんとに混沌としています。
人と繋がろうとしている「世間」に、人と繋がりたくない世界の中の悪い意味での「無人島」が存在してしまう事も多いのです。
いや、「本当の無人島」を知らない人が存在してしまうとも言えますね。
ゴミの問題がそのひとつですね。
そして、現代はその「無人島」と「世間」を行ったり来たりする事が容易なのです。「無人島」ではゴミを捨て、「世間」ではキレイな行いを、と行ったり来たりしてしまう人は、その「無人島」はその人の「世間」では無いとも言えるのかもしれません。
このこのゴミの問題にはたくさんの人が取り組んでいます。
僕は「お金」があるからじゃないかな、と思うところもあるのですが。考えは尽きる事がなさそうです。
でもこの「無人島」は無くなっていくんじゃないかとも感じています。それが、村岡昌憲さんの言われている「釣り人は出会うべき」。
これは現在も徐々に進んでいる事を感じています。
僕は村岡さんとは何のコンタクトもとった事がないですが、僕は釣りを通して、少しずつでも繋がりは広がっています。
現代は、人と人が繋がる時代だとも聞いています。
いや、繋がざるをえない時代になってきているのではないかと思います。世間も無人島も、社会も、言ってしまえば会社も家族も全部がひとつの世間になりつつあるという事です。
一例を出せば、釣り場ではなくても、平気でゴミをポイ捨ててしまう様な人と、仕事の取引をしようと思いますでしょうか?
こんな状況の話しや思い、現代は珍しくないと思います。
人と繋がらない世界も窮屈、人と繋がる世界も窮屈。
どちらの世界も大変なのです。
でも、どちらの世界にも、窮屈を抜け出した先には、「自由」があると思います。
その「自由」とはたくさんの様々な責任を担う、という事なのではないでしょうか。
栗原 隆 プロフィール
ブログ「釣りを更に楽しくさせるもの」
http://tsurikichi.blog.jp
自主制作の釣りPV
Facebook
http://www.facebook.com/takashi.kurihara.315
Twitter
https://twitter.com/takashyman
↑の記事の中ではあまり触れなかった事がありました。
それは、人と繋がらない世界の事。そして、人と繋がらない世界だと、人はゴミを捨ててしまうなどと、こんな事しか書きませんでした。
いや、そんな事はありません。
人と繋がらなくても、素晴らしい世界をあると思います。
それを具体的なもので例えるなら、「無人島」です。
人の干渉がない無人島なら誰にも気を使う事も無く、いわゆる「自由」です。ただ、何もしていいわけではないのはこの「自由」という言葉の通りです。「自由」とは「自分に由るもの」です。自分の行いがそのまま自分に帰ってきます。
もし、その無人島に綺麗な湖があり、魚が生息していたとします。
その魚を食料にしなければ生きていけないとしたら、その湖、汚しますか?
ですから、ここでの「自由」とは生きる事と直結しているのです。
ただ、その「自由」を手に入れられたとしたら、どんなに素晴らしい事でしょう。そんな「自由」を手に入れる術を持っていたとしたら、ものすごくたくましく、毎日生きている実感があるんじゃないかと予感してしまいます。でもものすごく大変な道ですよね。
人と繋がらない世界、でも人とは繋がらなくてもこの地球とは直結しているのですよね。
でも、この「無人島」では釣った魚の事を誰にも話せません。
その窮屈に耐えられるでしょうか。
でも
現代はほんとに混沌としています。
人と繋がろうとしている「世間」に、人と繋がりたくない世界の中の悪い意味での「無人島」が存在してしまう事も多いのです。
いや、「本当の無人島」を知らない人が存在してしまうとも言えますね。
ゴミの問題がそのひとつですね。
そして、現代はその「無人島」と「世間」を行ったり来たりする事が容易なのです。「無人島」ではゴミを捨て、「世間」ではキレイな行いを、と行ったり来たりしてしまう人は、その「無人島」はその人の「世間」では無いとも言えるのかもしれません。
このこのゴミの問題にはたくさんの人が取り組んでいます。
僕は「お金」があるからじゃないかな、と思うところもあるのですが。考えは尽きる事がなさそうです。
でもこの「無人島」は無くなっていくんじゃないかとも感じています。それが、村岡昌憲さんの言われている「釣り人は出会うべき」。
これは現在も徐々に進んでいる事を感じています。
僕は村岡さんとは何のコンタクトもとった事がないですが、僕は釣りを通して、少しずつでも繋がりは広がっています。
現代は、人と人が繋がる時代だとも聞いています。
いや、繋がざるをえない時代になってきているのではないかと思います。世間も無人島も、社会も、言ってしまえば会社も家族も全部がひとつの世間になりつつあるという事です。
一例を出せば、釣り場ではなくても、平気でゴミをポイ捨ててしまう様な人と、仕事の取引をしようと思いますでしょうか?
こんな状況の話しや思い、現代は珍しくないと思います。
人と繋がらない世界も窮屈、人と繋がる世界も窮屈。
どちらの世界も大変なのです。
でも、どちらの世界にも、窮屈を抜け出した先には、「自由」があると思います。
その「自由」とはたくさんの様々な責任を担う、という事なのではないでしょうか。
栗原 隆 プロフィール
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- 2014年10月19日
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