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上宮則幸
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▼ 昔ばなし 3
- ジャンル:日記/一般
自転車に乗り自宅を飛び出し坂をノーブレーキで下れば、開けた農道に出る。
下った勢いでペダルをこぐことなく、その野池にたどり着ける。
自転車で3分、そんな近い位置にある野池、実はここは子供だけでの立ち入りが禁止されていた。
池の入口にはためく赤旗が立ち入り禁止の証明だった。
おれは釣り好きだったばあちゃんに毎日のようにこの野池や、そこから流れ出す小川に釣りに連れて来られ、小学校2年になる頃からは幼なじみを連れて子供だけで野池に通うようになっていた。
他の赤旗が掲げられた危険地には絶対立ち入らなかったがこの野池だけは別、子供だけで釣りに行く事に何の躊躇いもなく後ろめたさも感じない。
池までの農道で挨拶を交わす大人達も全て御近所さん。
咎める者など誰もいない。
池に着くと日課があった。
取水口の確認だ。
取水口はコンクリートの構造物で、池の堤に沿って斜めになっていて、その斜面に開けられた幾つもの穴を、それにピッタリな直径の円筒状の木の栓で蓋をして、池の水量や、農業用水路としても機能していた小川の流量を調整していた。
5~9月の間はその水量調整の穴をよく亀が塞いだ。
斜面に設置された取水施設は亀達の格好の甲羅干しスポットとなっていて、コンクリートに上がる際に運悪くその取水口の穴に吸い込まれ、穴を塞いでしまうのだ。
農繁期にはこれが非常に困った事になる。
小川の水量が極端に減り、周辺の水田に水が行き渡らなくなるんだ。
おれは子供の時からばあちゃんがその取水口の廻りをボランティアで掃除をするのを見ていたから、子供だけで行くようになっても、毎回掃除をするようにしていた。
亀が填まって抜けなくなる穴だから直径は25cm程。
おれ達が吸い込まれるような穴ではなかったが、危ないのは良く理解していた。
当然池の水の番をする担当のおじちゃんはいたが、四六時中見に来れるわけでもなかったから、毎日朝晩魚釣りに来て取水口を綺麗に保っていたおれ達は有り難い存在だったのだろう。
顔を会わす度に礼を言われるだけではなく、親も感謝の言葉を度々かけられていたようだ。
また、池の堤にはススキが生い茂った。
毎年数回、そのススキを刈るおばちゃんがいた。
乾燥させて牛に食わす餌にするのだ。
おばちゃんはいつも、歩きやすいようにと、通路から先に刈ってくれた。
だからおれ達はいつも前日から斜面で乾燥させた草を、おばちゃんが刈払機で刈る間、軽トラックに積み込んで満杯にした。
おばちゃんはそれをいつも喜び、お菓子をくれたり、時にはお小遣いも握らされた。
そう言った話は学校の知る事となっていた。
進級する度に新しい担任に池に関係する大人達から、おれ達の善行は伝えられ、その野池に関してはおれ達が立ち入るのは例外的に認められていたのだ。
こんな事もあった。
小学5年の時に担任の提案で、社会見学と称して、その池を案内するようにと言われた。
おれは同級生の前で農業用水池の役割や取水の仕組み、危険ヵ所、住んでいる生き物の説明をした。
中学に上がっても、おれ達の行いは何も変わらなかった。
だが、周囲の状況は徐々に変化をしていった。
あの日、彼達を連れてきた事が発端となったのは明らかだった。
Android携帯からの投稿
下った勢いでペダルをこぐことなく、その野池にたどり着ける。
自転車で3分、そんな近い位置にある野池、実はここは子供だけでの立ち入りが禁止されていた。
池の入口にはためく赤旗が立ち入り禁止の証明だった。
おれは釣り好きだったばあちゃんに毎日のようにこの野池や、そこから流れ出す小川に釣りに連れて来られ、小学校2年になる頃からは幼なじみを連れて子供だけで野池に通うようになっていた。
他の赤旗が掲げられた危険地には絶対立ち入らなかったがこの野池だけは別、子供だけで釣りに行く事に何の躊躇いもなく後ろめたさも感じない。
池までの農道で挨拶を交わす大人達も全て御近所さん。
咎める者など誰もいない。
池に着くと日課があった。
取水口の確認だ。
取水口はコンクリートの構造物で、池の堤に沿って斜めになっていて、その斜面に開けられた幾つもの穴を、それにピッタリな直径の円筒状の木の栓で蓋をして、池の水量や、農業用水路としても機能していた小川の流量を調整していた。
5~9月の間はその水量調整の穴をよく亀が塞いだ。
斜面に設置された取水施設は亀達の格好の甲羅干しスポットとなっていて、コンクリートに上がる際に運悪くその取水口の穴に吸い込まれ、穴を塞いでしまうのだ。
農繁期にはこれが非常に困った事になる。
小川の水量が極端に減り、周辺の水田に水が行き渡らなくなるんだ。
おれは子供の時からばあちゃんがその取水口の廻りをボランティアで掃除をするのを見ていたから、子供だけで行くようになっても、毎回掃除をするようにしていた。
亀が填まって抜けなくなる穴だから直径は25cm程。
おれ達が吸い込まれるような穴ではなかったが、危ないのは良く理解していた。
当然池の水の番をする担当のおじちゃんはいたが、四六時中見に来れるわけでもなかったから、毎日朝晩魚釣りに来て取水口を綺麗に保っていたおれ達は有り難い存在だったのだろう。
顔を会わす度に礼を言われるだけではなく、親も感謝の言葉を度々かけられていたようだ。
また、池の堤にはススキが生い茂った。
毎年数回、そのススキを刈るおばちゃんがいた。
乾燥させて牛に食わす餌にするのだ。
おばちゃんはいつも、歩きやすいようにと、通路から先に刈ってくれた。
だからおれ達はいつも前日から斜面で乾燥させた草を、おばちゃんが刈払機で刈る間、軽トラックに積み込んで満杯にした。
おばちゃんはそれをいつも喜び、お菓子をくれたり、時にはお小遣いも握らされた。
そう言った話は学校の知る事となっていた。
進級する度に新しい担任に池に関係する大人達から、おれ達の善行は伝えられ、その野池に関してはおれ達が立ち入るのは例外的に認められていたのだ。
こんな事もあった。
小学5年の時に担任の提案で、社会見学と称して、その池を案内するようにと言われた。
おれは同級生の前で農業用水池の役割や取水の仕組み、危険ヵ所、住んでいる生き物の説明をした。
中学に上がっても、おれ達の行いは何も変わらなかった。
だが、周囲の状況は徐々に変化をしていった。
あの日、彼達を連れてきた事が発端となったのは明らかだった。
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- 2016年11月25日
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