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▼ しばらく野球ログ(92歳のバッテリー)
- ジャンル:日記/一般
今日はデュッセルドルフ野球部の紅白戦
朝の気温マイナス2℃、昼になっても1℃ 寒すぎっ!!
1番 キャッチャーで出場し、4打席 3打数2安打 1フォアボール 4盗塁
ピッチャーとの合計年齢 92歳のバッテリー 相変わらず元気なオッサンです。

4盗塁の後はユニフォームどろどろ

さー、大変 これは洗濯機では落ちないのです
道具もユニフォームも野球人の鑑(かがみ)だと、少年野球の頃 小池監督(故人)に厳しく指導されました。
汚れたグローブ、ユニフォームのままで練習に行くと、野球をなめていると、いつも殴られた苦い思い出があります。
お母さんが洗ってくれないなら、自分で洗えと。
なぜ そんなに厳しかったというと、第二次世界大戦でアメリカに大敗した日本は、食べるものも着るものもなく、戦火で焼け野原となった原っぱで野球をしてたが、グローブといっても布を手に巻きつけただけ、ボールも石ころにタコ糸を巻いただけ、バットは棒切れ、そのぐらい敗戦後は物資がなかったんだと。
親にグローブもボールもユニフォームも買ってもらって、手入れもせずに汚れたままでグラウンドに現れる子供たちには、感謝の気持ちが感じられず、戦争の無いこの時が、どれだけ幸せなことなのか身を持って痛みで分って欲しかったとのことでした。
今なら暴力と訴えられるかも知れませんが、天国にいる小池監督には大変感謝しています。
高校時代は部員120名の強豪校でしたが、2年連続甲子園出場も毎回アルプススタンドで応援でした。
来る日も来る日もレギュラー組みのバッティングピッチャーとキャッチャー。それにダブルプレーや挟殺(きょうさつ)プレーを練習するためのランナー。
どんなに人より早く球場に行ってタイヤを引いても、どんなに毎日ウエイトレーニングを重ねて筋肉つけても、カールルイスよりは早く走れません。野茂英雄より凄い剛球は投げられません。センスあるものが人一倍努力したとき、結実するのです。
3年間でベンチに入ったのは1回だけ。
後にプロに行ってジャイアンツと中日で活躍した二人の後輩が1年生で入ってきたら、その後はずーっと球拾いでした。その時、初めてセンスの違いということを強烈に理解しました。自分がコツコツ 3年間 正月もなく積み上げてきて、ようやくライト前ヒットを打っても、彼らは1年で来て、いきなり初打席の一振りで場外ホームラン。。。
でも、この少年時代の小池監督の厳しさと優しさがあったからこそ、例え球拾いでも、狭殺プレーのランナーでも、バッティングキャッチャーで泥だらけになろうとも、バッティングピッチャーで肩が千切れようとも。 野球が出来ることを感謝しろと! 監督の教えがどこからか聞こえてくるたびに歯を食いしばって頑張りました。毎日心身ボロボロになりながらも、チームのために先輩・後輩のためにと、3年間 腐らず高校野球を続けることが出来ました。
戦中戦後の方々の生きるか死ぬかの苦労から比べれば、幸せという器の中での、小さな出来事なのです。
なんか 知らず知らずのうちに、思わず涙があふれてきました。
そんなことを想いうかべながら、34分16秒 !!
腕がパンパンになるまでゴシゴシと手洗いを続け

こんなに綺麗になりました。
あー、幸せだな!
いつも小さなことでクヨクヨしてる自分が馬鹿らしい

仕事があり、野球が出来て、釣りが出来て、おまんまが食べられて。
戦争がなく、健康に過ごせるこの時に感謝!
そして 乾杯!!!
- 2013年3月25日
- コメント(9)
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