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小川健太郎釣りペイジ


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チチモンダラオワリ病

※釣り歴の長い人以外は見ないで下さい。また、始めたばかりの人に見せないで下さい。釣りが好きではない、という話です。


チチモンダラ、オワリ。

皆さんはチチモンダラオワリ病という、重度の病をご存知でしょうか。

そう、だいたいこう、ウマいこといったら、ありますよね。
そういう雰囲気になることが。
で、ナニがアレして、お互い気分がアノ雰囲気になったとき、
男なら手がこう、なんてゆーか、動くじゃないですか。

モンダラ、です。

これがOKなのかNGなのか。
それでだいたい全ての行方が決まりますよね。

で、そのあと、です。

一緒でしょ?どうあろうが。

多少のバリエーションはあるものの、
ラストなんて、ホントもう、一緒なんですよ。
と、まあ、こうなるのがチチモンダラオワリ病です。

よほどのド変態じゃない限り、
ウマいこと行くか行かないかの境目ってのは、
チチモンダラ終わりなんです。

その先はいつもの快感があるだけ。

違いますか?
つまり、快感なんてもんはだいたいサルの時期が過ぎたら
終了なんです。終了。ハイハイよかったね、みたいな。

長い人生のどこかで、
鼻で笑ってしまうくらい、全然要らんもんだった、と気づくのです。


そこで釣りの話です。
ハッキリ言いましょう。

バイトがあったその先のファイトやらランディングやら、
全部一緒なんです。

もうね、そんな快感みたいなもんは
長い人生の中では、カスカスな快感なんですよ。
しょーもない。特に二尾目以降。

ワタクシが、「どうやら他人と違う気がする」と思ったのは
ここでした。
どうも、釣れても楽しくないのです。
そらあ、楽しい時期もありましたよ。

でも、どうやったらガブッといくか。
そのバイトという境目までがドキドキの絶好調。
まさに恋ですよ。
もしバイトだけで終了、だったら、
もちろんその先の快感なんてないですよ。

でも『バイトまで』これだけは面白い。
いつまで経っても面白い。

人間側の欲求がまず向く。
そこに違う生物である相手が向いてくれる。

この瞬間のために釣りはあるのではないでしょうか。

ないでしょうか、って説いても、
まあ、白神さんのような奇特な人以外、
普通「うん」とは言ってくれません。

これを恋愛に置き換えてみると、
相手とうまく行くのかどうかだけが知りたいだけで、
その先どうなん?どうでもよくない?ってことです。

だから、その病にかかっている人は別にそれを苦には思いません。
病どころか、単なる老化みたいなもんかもしれません。

こうして老化したと思われるワタクシが、
釣りなんかについて熱く暑苦しく語れるわけがないのです。

でも事故の前でも、釣りに行くことは好きでした。
魚がいるかもしれない、振り向くかもしれない、
っていうところまでは、楽しいもんなんです。

ファイトとランディング。
これが、この品のない欲望の矛先みたいな行為が、
仕事上、絶対やらなければならない部分

もちろん人間同士のナニとは違い、
相手は快感でもなんでもない、レイプなわけです
そしてニッコリ引きつった笑い。
自分で見てもアホです。誌面を見る度ブルーになります。
でも結果を見せなければ、誰も納得してくれないからです。
話すら聞いてくれません。

※なんのために話を聞いて欲しいのか、は次回。

一個前の日記で、ギジーの連載が一番思い入れがある、としたのは
結果を見せなくていい連載だったから、というのがあるんです。
別に綺麗な写真があるわけでもなく、
単純に積み重ねた回数が多い釣りが渓流のトラウトだっただけ。
ハチェット等のルアーを見せれば、読み手側も理解してくれる。
そういう、ジャズっぽい気軽さがあるわけです。
この気軽さというのは聴き手と演奏者側のスキルが互いになければ
成立すらしません。

だいたいの雑誌では、10年未満くらいの、釣りをはじめたばかりの方を想定して書かなければなりませんが、

ギジーだけは違いました。

「ベテランの方が軽快に納得するものを。」
とあらかじめ問われたわけです。
だからサブタイトルにThink Of Oneと入れました。
わかる人にはわかっていただけたようで、
連載はかなりの人気連載になったそうです。

基本事項をすっ飛ばして、なんでも書いていいのです。

さすがにチチモンダラオワリ病についてはあまり書きませんでしたが、
それを突っ込んで書いても、皆さん納得していただけただろう、
と予測できます。


さて、釣りが好きではない、としたことの真意ですが、
釣り人の欲が好きではない、というのが本音です。

一緒に行って、一尾づつとか釣って、よかったね、というのが
ワタクシ理想なのですが、自然相手にそういうわけにはいきません。
だいたい偏りが起きます。

にもかかわらず、釣れた人は同じルアーを投げて同じ感覚で釣り続け、自分の満足を得ようとします。
ここがヤな部分。
もちろんワタクシにも多少ありますのでわかりますが、
誰かと行くとすれば、その相手も同じだけ釣れるようにするべき、
というのがワタクシの考え方というか、楽しめる部分です。

そういう落差を見たくない場合、一人で行きます。
渓流や海外なんて、大概一人でやる釣りですから、こうした意味でも
ギジー誌の読者には理解を得られたのかもしれません、


ですが、実際誰かと行くと
そこに関して、全く同意を得られない(笑)のです。
それでもワタクシだけ釣れない分には全く平気ですが
さらにもう一人居ると、絶対にブルーになります。
この人だけ釣れてない…となると胃がやられそうなストレス。
ワタクシが行かず、誰かと誰かが行ったとしたら、
もうその現象が起きることが心配で仕方ありません。

もし釣れた人間が竿を置き、
まだ釣れてない人と一緒に考えて釣れたとすれば
それは一生語り合える魚になるわけですから
魚の命的にも多少うかばれますし、幸せにつながった一尾と言えるでしょう。
ところが、それを求めるアングラーはあまりいません。

高知のぺこぺこさんたちくらいです。
皆で考えて、皆で観察し、釣るべき人が釣る。
その一尾を全員で喜ぶだけでなく、何度も語り合う。
必然的にそれ以外の釣りをすべて「練習」としか呼ばない。

これがなぜか他の地域ではあまり見られない。

一生思い出に残る魚を求めるための釣り以外、
ファイト〜キャッチという流れに関して言えば
本来はハッキリ言ってカスな快感です。

しかしながら、上達するためには数をこなす必要がありますので
(冒頭にあるように)
釣りをはじめたばっかりの人にとっては、この文章すら毒です。
数を釣って、感覚を身体に叩き込む必要があるのです。
でなければ一生の思い出の一尾に逢える確率が下がるわけです。

だから、釣り歴が15年くらいになるまでは、
こんな日記のクソな内容は気にしなくてもいいわけです。

キャリアの末、「なんのために釣りをするのか」
これに迷った人は、「幸せを得るために」というところを思い出して下さい。
もっとも記憶に残る魚は、キャリアを重ねるほどに
「釣った魚」ではなく「偶然釣れた魚」になるはずです。
もしくは「バラシた魚」。それも「狙って」掛けたのにバラした魚。
これらの分岐点はチチモンダラ、のところにすべて収束します。

だからこそ、キャリアのある人ほど、釣った魚が多い人ほど
釣りが好きなのではなく
釣りに行くのが好き、となるわけです。

だとすれば、釣行に結果なんか要らないことになりませんか?
でも結果を出さなければ誰も見てくれないわけです。
見てもらわなければならない何かがある人にとって、
この現象はものすごいジレンマですよね。

ベテランの方の中にはこうしたジレンマと戦いながら
もっと別の何かを伝えようとしてらっしゃる方がいるわけです。

次回、そんなワタクシがなぜ好きでもない釣りの話を書き続ける道を選んだのか、をば。

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