はじめまして

  • ジャンル:日記/一般
最近仲良くしてくれる釣り仲間に進められてフィーモをはじめてみた。


私は非常に筆不精でいままでツィッターとかブログとかそのような物は今まで一度もやった事がなくこのようなブログなどと言うものは初めての経験である。


登録してしばらくは皆さんのブログの閲覧だけで、時間がかかったがやっとプロフィールの登録やなんやかんやがおわったのでためしに私の釣り遍歴から書いてみようと思う。


私の釣りは小学校のころ幼馴染と釣堀でコイのギャング釣り(餌をつけないで引っ掛けて釣るつり方を当時そう呼んでいた)をして釣りと言うよりは子供のいたずらみたいなものから始まる。


家の近所の釣堀はいつもお客はいなくてわれわれの貸しきり状態だったがザバザバ竿を水面につけさびく様はいま思えば非常に迷惑(店主にとっても魚にとっても)な来客だったであろうことは想像に難くない。


いまはもう釣堀はなく閉鎖後は建売住宅が立ち並ぶ一角なのだが、あんな釣堀があった後に家を建てて湧き水等は大丈夫なのだろうか?

あそこにいた大きなコイたちは釣堀の閉鎖とともに建売住宅の人柱(魚柱)として一緒に埋め立てられてしまったのか?

などと言う私の些細な疑問をのこしたままそこに住んでいるであろう家族の子供たちが元気にはしゃぎまわっている。


中学生になり移動距離が大きくなると当時はやっていたバス釣りに手を出した。


しかしながら中学生の小遣いやバイト代(近くの中華料理屋で皿洗いのバイトをさせていただいた)では満足のいく道具をそろえたり良い場所への釣行(近くに野池等ないため)にいけるはずもなく、友達の兄貴のお古等でがんばってみたりしたものの当然釣果は乏しくつり熱は冷めていった。

思春期に入り女の子にもてたい心が大きくなりバンド活動を始める、中学-高校の間は釣りの事などはすっかり忘れていかにしてお気に入りの女の子のお○ぱいを触るかしか頭になかったと思う。

これはじじいになったいまも同じような事がいえる『人の本質は簡単には変わらないのである』。

だからといって仕事の付き合いでキャバクラに行きお○ぱいがこぼれ落ちそうな破廉恥な格好の嬢がよこについても紳士な私は 『それこぼれおちそうだよ、大丈夫?』 なんていっておさわりするような事はせずきっちり1セットで退却するのだった。

それはひとえにママを愛しているからであって、よそのお○ぱいなどにはチョビットたりとも浮気などしないのである。
けっして予算がないので延長してアフターに行ってチョメチョメなど出来ないなどと言うようなけしからん理由ではないのだ。

高校卒業後は(若干経歴を省略)スノーボード、マウンテンバイクにはまり山にこもった(スキー場のアルバイトなど)

負けず嫌いなのも有りかなりがんばったおかげで当時プロでも少なかったフロントフリップやバックフリップ等もできるようになり私は得意満々であった。
(これはかなりの効果があり大き目のテーブルトップでフロントフリップ等やるとゲレンデみんなの注目を集めかなりの確立でお○ぱいがいっぱいだった)が調子に乗りすぎて結構な怪我をしてそれどころではなくなるのである。

東京に戻り仕事を探していると(怪我が治ったらNZへ行こうなどと考えていた)
ハーレー屋(カスタムパーツメーカーさん)のSHOPのレストランで募集があったので腰掛程度とためしに面接に行くが面接の際に 『社員になるとハーレーが社割りで買えるよ』 と言われ心が崩壊する。

意志の弱い私はNZ行きなどとはどこへやらSHOPでみたカスタムハーレーのかっこよさに心奪われ家にかえってすぐに 『やはり社員でお願いします』 と店長へ電話をかけた。


その会社で出会った先輩がいまも仲良く釣りを楽しむお仲間である。


先輩との出会いで久しぶりにバス釣りを再会するがしばらくして先輩は地元神戸へ帰ってしまいつり仲間がいなくなったのと結婚、出産等でまたしばらく釣りから遠のく事になる。


その後しばらくサラリーマンとして多忙な毎日をすごしていたが長男長女が小学校高学年のときに夏休みの旅行ついでに海釣り(サビキでの小物釣り)を始めた。

堤防でふかせや団子のじじいが黒鯛をあげるのを見て子供達がキラキラと目を輝かせ羨望のまなざしを向けるのを見て 『じじいにまけてられるか』 と持ち前の負けず嫌いに火がつき大物を求めふかせでの磯釣りにはまる事になる。

2年ほど餌釣りを楽しんだが明け方の磯にいるとルアーマンが結構なサイズの魚を持っていくのをよく見かけるので子供達にビックリサイズの大きな魚を見せて 『パパすご-い』 などといわせたいが為にあっさりとルアーマンへ転向した。

最近は大分こなれてきて、凪ならサーフへ荒れれば磯へと週末の天候に合わせて釣りに勤しんでいる次第である。
 

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