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震災の日のこと

  • ジャンル:日記/一般
月日が早い
歳を重ねたせいか
楽しい事が多いからか
辛い事があるからか
悩みながら生きているからか・・・
忘れてことがあるからか・・・

友が居る
出会うことも話すことも無くなった友もいる。。。
でも歳を数えていける幸せ
また出会えるだろう!

震災の日を前に
二年ブリの友に会った。
「太ったな」
「俺は痩せて太った」
何も変わらず酒を呑み
何も変わらず笑い声に包まれた。
歳を数える事ができている幸せ。
リスペクトしている人が言った言葉がある
「月日が経ったら忘れなアカン事があるんや」

人生には忘れたらアカン事と
忘れなアカン事がある。


震災は風化させてはいけない
忘れてはいけない
悲しみからは癒される必要があるが
子孫のためにもぜったいに忘れてはいけない。
必ず起こると言われている地震もあるんだ。
忘れないことが必ず起こる次なる災害から
一人でも多くの命を救うことにつながる。

そして東日本大震災から三年たった今も
「いまだに27万人の方々が避難生活をされている。」

直接的に被災していない俺が「今」できることの「一つ」は
当時のことを忘れないこと
そして
経験を語りあうこと。


あの日 俺は和歌山県 南紀の某磯で
ヒラスズキを釣るべく竿を振っていた。
平たい磯である。
ほぼ海面に近い高さの平たい磯にいた。

その瞬間・・・

「揺れた事も何の変化も感じなかった。」



その瞬間・・・
俺は次に入る波を見ていた。
俺はそのタイミングに集中していた。
和歌山も揺れたのに。。。
磯ヒラスズキをする人には
理解していただける人もいると思う。
俺は全く地震に気がつかなかった。

嫁様からの電話

嫁 「パパ?どこ?」
俺        「磯」
嫁     「地震よ」
俺        「え?」
嫁 「テレビの横に日本地図が有って日本中が・・・」
俺            「うそ?」(本当に信じなかった)

※我が嫁様はほんの少し天然というか普段から上を下と言うたりするから
だいたいテレビの横とか言うてるし



そして嫁様からテレビ画面の写メが来た。
その写メを見るまで
あの大震災を自分で気づくこともなく
嫁様の電話も信じることなく
磯に立っていた。

その写メをみて慌て

そこから猛ダッシュで車まで走った。
本当に猛ダッシュだった。
車に戻るとテレビをつけた。
そこからは、少しずつ情況が見えてくる
BBさんから電話が入った。
「釣りしているだろう」と
心配していただいた。
俺が大津に着くまで
交通状況などの情報をくれるという
力強い!



その後電話がつながりにくくなり
メールも遅れて届くようになったが


fimoのメッセージ機能は抜群に生きていた。

これはfimoをほめているだけではなく
「自分のチャンネルを持っていて良かった。」
という事だ。

心配してくれる人の為に
車の中から「俺は大丈夫」てきなfimoログをUPした。


電話、メールがダメでも
俺のチャンネルであるfimoの俺のログを見た人は
「海からは上がったんだな」
と安心していただいたと思う。


田辺までの42号線は物凄く恐怖を感じながら走った。
いくつかの漁港では船へ走る人が国道を横切る。
ゆうに時速100㌔以上のスピードの車が
公道レースのように抜いていく
そうかと思うと普段どうりゆっくり走る車もあった。
普段どうりの車が
急ぐ人の邪魔をしているように見える。

これは
情報の温度差だ!


田辺の街でコンビニに入り
大きいペットボトルを5本
パン5個くらい
ポテチなど数袋
チョコレート数個
を購入し
ショッピングバック(ビニール袋)余分にちょうだいし
高速の入り口を目指そうとしたとき
「高速が通行止めになるかも」
とのことを聞いた。
※いろんな事が交錯し情報が取れない中だ

「みなべから高速にあがろう!」
みなべまでの道はあちこちからサイレンが聞こえた。
街からも各漁港からもサイレンが聞こえた。
組合なのか有線なのか放送も聞こえてきていた。

42号線は大阪方面車線も串本方面車線も
スムーズに流れていた。

大量に買い込んだ食料は停滞した時ため
ビニール袋は排泄物のため

高速に上がればかなりのスピードの流れ
に乗って走ることとなった。

42号線のそれとは違い
多くの車が平均速度をあげて走っていた。

未確認の為に書かないが
「なるほどこうなるんだな」
と言うこともあった。

大阪が近づくにつれて車の量が増えた。
俺が走っている「ところ」が運のいいことか
一個団体綺麗に束で走っている感じだ。。。と思う。
名神高速道路に合流する頃から渋滞。


なんとかなんとか
家族の待つ大津に無事に帰ることができた。

もちろん書ききれない出来事すので
書ききれてはいません。
混乱を招くといけないので書かないこともあります。
重要な事と思えることは
後に警察や公団などに電話を入れて
「こうなっていたよ」
と伝えたこともありました。



途中から電話は上手く使えなくなった。
docomoが一番初めに復旧したらしいが
やはり家族との連絡や待ち合わせ場所などは
普段の家族の会話から「うちあわせ」ておくべきである。
我々釣り人は特に
であります。



さてさて

一歩ずつ前に前に
進んでこられている方々を見る。
支援を必要とされる方も
一歩一歩前に進んでおられます。


我々も一歩一歩
進むことで体力を付け

そして
次の一歩に何が必要かを知り
俺は微力ゆえ出来ることだけしかできませんが
また何ができるかを探し続けます。

そう!
止まることがアカン事でした。
これはぜったいにアカン事でした。
止まったらアカン。
経済が止まったら支援どころじゃなくなるのでしたね。






和歌山串本港で1.9メートルの津波が到達し
いくつも船や岸壁にも被害があった。
もし俺が磯に立ち続けていたらどうなっていただろう?
「少しの経験ですが」
生きているから伝える事ができるのです。
命に感謝です。


家族のためにも
今は地震のメールサービスに登録したりしています。
すぐに逃げましょう。
普段の釣りから備えましょう。


大震災から三年




あの日連絡をくれた全てのみなさま
ありがとうございました。
あの日心配していただいた全てのみなさま
ありがとうございました。



今日は3月11日
311の震災、過去の全ての災害で亡くなられた方々に
追悼の気持ちを捧げます。
合掌

そして

南海トラフをはじめ「必ず起こる」と言われている災害がある。

東日本大震災で経験したことがあったから
生きねけた。
東日本大震災の経験の話を聞いたから
生きぬけた。

そういう人を一人でも多く!

私はこれといって何も出来ませんでしたが
チャリティーをはじめ
いろんな支援活動をされた方も多くおられました。
その人たちを「偽善」と言う人もいたも知っています。
なにもしない人がする人を・・・


俺の知る主催者、スタッフさんは
本当に頑張ってくれた人ばかりです。


いくつもチャリティーに協力させていただきました。
チャリティーイベントにも行かせていただきました。
ワッペンも購入しライジャケに貼りステッカーも貼り
釣り関係以外も出来ることには協力してきました。
それは関わる「人」の優しさやパワーに魅力を感じたからです。

俺が協力させていただいた事には
「偽善」などは一つもなかったです。
「なんとかせなあかん!」
「いてもたってもいられん!」

って気持ちが有ったのは知っています。



いろいろな支援をされた方がいるから
今の復興への歩みがあるとおもいます。
ありがとうございます!



さらに自分に出来ることを探しながら
一日も早い復興を願います。






 

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