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▼ 僕のヒーロー
- ジャンル:日記/一般
僕のヒーロー。
それは小学生時代。
仮面ライダーに始まり。
ウルトラセブン。
マジンガーZなど。
テレビの中の作られた偶像。
中学に上がりそんな物に興味が無くなった時に突然そのヒーローは現れた。
1976年。
F-1
第一回日本グランプリが開かれる年。
世はまだスーパーカーブーム。
私達、中学生はスーパーカーに夢中。
勿論、F-1なんかにも興味が湧いてくる。
私は生粋なフェラーリファン。
勿論、前年度の1975年チャンピオンになったフェラーリを応援。
その年もフェラーリは強く5勝をあげていた前チャンピオン。
ニキ、ラウダの独走。
2年連続のチャンピオンに向けて万全な展開でした。
所が。
ドイツグランプリでニキ、ラウダは大事故に見舞われる。
決勝のオープニングラップ。
路面は雨は上がったがウエット。
ラウダは。
遅い車をイライラしながらストレートで追い抜き200キロでスピン。
黒い森に突込み。
そのままコースに跳ね返り。
後続の車に突っ込まれ炎上。
このレースの前にラウダは。
このコースの安全に対して猛抗議していたみたいです。
長いストレート。
低いガードレール。
ジャンピングスポット。
どれもドライバーの安全なんて考えて無いコース設計。
主催者はレース後に改善するといってレースは開催されました。
この頃のF-1自体も安全装置なんて無い乗り物。
消化器さえ付いてなく。
オープニングラップ燃料満タンのニキの車はいとも簡単に800度で燃え。
その中にその身を置くしかなく。
肉体が焼けていく。
が、、レース途中に車を止め炎の中に入っ
た。
勇気ある4人のドライバー助けられた。
病院に担ぎ込まれたラウダを見て。
牧師を呼び妻や関係者が十字を切ったって話しは有名です。
顔の殆どが焼けて。
肺にまで炎に焼かれたラウダは。
全身の70%の血液を入れ替え。
4日、昏睡状態が続いた後に寝覚めたそうです。
勿論、選手生命なんて皆無いと思ってました。
ところが。
フェラーリの地元開催のイタリアGPにこの男は現れた。
観客ではなくレーサーとして。
真っ赤なレーシングスーツ。
頭にはガーゼがグルグル巻き。
記者は私の目など見ないで。
みんな焼け爛れた顔をみていた。
彼はそう言ったそうです。
事故から46日
鳥肌がたった。
そして感動した。
結果は4位
六週間後のこの放送で私のヒーローはニキ、ラウダになってしまってた。
その後入賞はするがレースには勝てず。
最終戦の富士。
日本GPは大雨。
ラウダは危険なんで中止を訴えるがレースは続行。
2周走った後にピットイン。
メカニックに走らないと宣言。
気を使ったメカニックが故障って上には伝えときます。
と、言ったがラウダは。
私の独断で走らないと伝えてくれと言ったそうです。
メカニックに配慮したんですね。
このレースでポイントをジェームスハントに抜かれ1ポイント差でチャンピオンになれ無かったラウダを。
エンツォは酷く罵ったそうです。
そして翌年。
1977。
それでもフェラーリに残ったラウダ。
その年2度目のチャンピオンにった。
この1976年の話が実写版で映画化
ラッシュ。
ラウダとハントの戦い友情が描かれています。
当時のF-1も再現されてて。
フェラーリ312T2や。
マクラーレンM23が暴れ回る(//∇//)
ムッキー。
見るっきゃ無いでしょ(T ^ T)
だって僕のヒーローが帰って来るんだもん(//∇//)
余談ですが。
その後1979年にラウダは引退。
でも。
物語はここで終わら無いのが私のヒーロー。
ニキ、ラウダ。
2年間の沈黙を経て1981年。
マクラーレンで復活。
翌年1982年にまたワールドチャンピオンになっちゃった(T ^ T)
その後。
セカンドドライバーだったアラン、プロストと世代は変わり。
皆さんご存知のセナ時代へと歴史は続いていきました。
今も僕のヒーローは。
ニキ、ラウダです(//∇//)
Android携帯からの投稿
それは小学生時代。
仮面ライダーに始まり。
ウルトラセブン。
マジンガーZなど。
テレビの中の作られた偶像。
中学に上がりそんな物に興味が無くなった時に突然そのヒーローは現れた。
1976年。
F-1
第一回日本グランプリが開かれる年。
世はまだスーパーカーブーム。
私達、中学生はスーパーカーに夢中。
勿論、F-1なんかにも興味が湧いてくる。
私は生粋なフェラーリファン。
勿論、前年度の1975年チャンピオンになったフェラーリを応援。
その年もフェラーリは強く5勝をあげていた前チャンピオン。
ニキ、ラウダの独走。
2年連続のチャンピオンに向けて万全な展開でした。
所が。
ドイツグランプリでニキ、ラウダは大事故に見舞われる。
決勝のオープニングラップ。
路面は雨は上がったがウエット。
ラウダは。
遅い車をイライラしながらストレートで追い抜き200キロでスピン。
黒い森に突込み。
そのままコースに跳ね返り。
後続の車に突っ込まれ炎上。
このレースの前にラウダは。
このコースの安全に対して猛抗議していたみたいです。
長いストレート。
低いガードレール。
ジャンピングスポット。
どれもドライバーの安全なんて考えて無いコース設計。
主催者はレース後に改善するといってレースは開催されました。
この頃のF-1自体も安全装置なんて無い乗り物。
消化器さえ付いてなく。
オープニングラップ燃料満タンのニキの車はいとも簡単に800度で燃え。
その中にその身を置くしかなく。
肉体が焼けていく。
が、、レース途中に車を止め炎の中に入っ
た。
勇気ある4人のドライバー助けられた。
病院に担ぎ込まれたラウダを見て。
牧師を呼び妻や関係者が十字を切ったって話しは有名です。
顔の殆どが焼けて。
肺にまで炎に焼かれたラウダは。
全身の70%の血液を入れ替え。
4日、昏睡状態が続いた後に寝覚めたそうです。
勿論、選手生命なんて皆無いと思ってました。
ところが。
フェラーリの地元開催のイタリアGPにこの男は現れた。
観客ではなくレーサーとして。
真っ赤なレーシングスーツ。
頭にはガーゼがグルグル巻き。
記者は私の目など見ないで。
みんな焼け爛れた顔をみていた。
彼はそう言ったそうです。
事故から46日
鳥肌がたった。
そして感動した。
結果は4位
六週間後のこの放送で私のヒーローはニキ、ラウダになってしまってた。
その後入賞はするがレースには勝てず。
最終戦の富士。
日本GPは大雨。
ラウダは危険なんで中止を訴えるがレースは続行。
2周走った後にピットイン。
メカニックに走らないと宣言。
気を使ったメカニックが故障って上には伝えときます。
と、言ったがラウダは。
私の独断で走らないと伝えてくれと言ったそうです。
メカニックに配慮したんですね。
このレースでポイントをジェームスハントに抜かれ1ポイント差でチャンピオンになれ無かったラウダを。
エンツォは酷く罵ったそうです。
そして翌年。
1977。
それでもフェラーリに残ったラウダ。
その年2度目のチャンピオンにった。
この1976年の話が実写版で映画化
ラッシュ。
ラウダとハントの戦い友情が描かれています。
当時のF-1も再現されてて。
フェラーリ312T2や。
マクラーレンM23が暴れ回る(//∇//)
ムッキー。
見るっきゃ無いでしょ(T ^ T)
だって僕のヒーローが帰って来るんだもん(//∇//)
余談ですが。
その後1979年にラウダは引退。
でも。
物語はここで終わら無いのが私のヒーロー。
ニキ、ラウダ。
2年間の沈黙を経て1981年。
マクラーレンで復活。
翌年1982年にまたワールドチャンピオンになっちゃった(T ^ T)
その後。
セカンドドライバーだったアラン、プロストと世代は変わり。
皆さんご存知のセナ時代へと歴史は続いていきました。
今も僕のヒーローは。
ニキ、ラウダです(//∇//)
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- 2014年1月21日
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