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▼ 1匹の魚
- ジャンル:釣行記
最近は魚が釣れていなかった訳ではないのですが、どうも小型と戯れる機会が多かったです
秋イカを釣りに行ったり、この時期ならではのセイゴの数釣りを楽しんだりしましたが、色んな意味で思い出深かったのは、半月くらい前に釣った45センチ程のヒラスズキでした
このヒラは、この日の1投目に掛かってきました
ゴリ巻きしたため、すぐに寄ってきて難なく手にすることができました
いつもと同じように撮影を終えたら、この魚はリリースするつもりでした
私は基本的にはキャッチアンドリリースを心掛けているのですが、その理由は、魚を持ち帰ろうとする時に、水から上がった魚を見て
「この魚が水を纏うのは、これが最後なんだな」
とか
「すごく苦しいんだろうな」
という思いがよぎり、釣ったことさえ素直に喜べなくなるためです
釣った魚はどれも同じで、たとえそれが毒のある魚でも、美味しくなかったり綺麗じゃなかったりしても変わりません
しかし、魚に生きていけなくなる程の負傷を負わせてしまった場合は別です
その場合、罪悪感は残りますが、命を無駄にしないためにも、持ち帰り調理を施します
こうして持ち帰る魚は、3年に1匹いるかどうかで、私にとっては稀なことです
この時釣ったヒラスズキは、持ち帰って食べました
その理由は、魚の眼に回復困難と判断される負傷を負わせてしまったためです
魚をキャッチした時、中央のフックが眼球に入り込んでしまい、周りの骨に引っ掛かってしまったのです
そのフックは、しばらくして魚が暴れた際に外れましたが、やはり目は大きく損傷していました
それでも、持ち帰るか否かとても悩みました
魚には、目の他に側線などの感覚器官があり、生きる上で大きな役割を果たしています
ですから、目を負傷したとしても今後生き残れる可能性がないとはいえません
そのため、すぐに蘇生措置を試みました
しかし、そこは潮溜まりのような場所がなく、激しい波が押し寄せては引いていくだけの地形で、場所によっては水際によることで、命の危険すら感じる場所でした
ヒラスズキを狙うような荒磯で、潮溜まりのような場所がない場合、安定して水に浸けておくことは困難となります
それでも波がいくらか穏やかな場所を見つけ、時折くる波に魚を浸してやりますが、針を外すのに時間が掛かったためか大分弱っていました
寄せ波に魚を浸けても、腹を上に向け、力なく流されるだけ
このままリリースすれば死んでしまうことは明白でした
そのため、持ち帰って出来る限り美味しく食べようと決めたのです
自分が釣った魚を美味しく食べることは、本来とても楽しいことです
また、釣った魚を食べることは、釣りの本来の目的といえます
キャッチアンドイートがかわいそうだというなら、売り物の魚はどうでしょうか
牛や豚、鳥もどうでしょうか
皆、どこかで苦しんで、結果命を落としています
魚だけがかわいそうという考えは、単なる思い入れですし、少なからず人はこうして苦しんだ生き物の命の恩恵にあやかっています
当然私も同じで、これらを食べていなければ、私はきっと今のような健康体を維持できていません
ですから、人が魚を持ち帰ったとしても、それはその人の考えがあってのことで、そこは人それぞれだと思っています
私がこのヒラスズキの命からひとつ学んだことがあります
それは、野生の厳しさです
テレビで何度も捕食シーンや狩の場面を目にしますが、自分が実際に立ち会うのとは違います
「エサを食べる」と決めた、たった1回の判断によって釣り上げられ、今まで目の前で健康だった個体が命を落としてしまう
これには、自然の過酷さを感じます
このような機会があまりない人間社会
命とは、こうも簡単になくなるものなのかと、自然の過酷さを感じます
私自身、今までに命の危険を感じたことといえば、30数年で2回だけです
全くない方も多いでしょう
しばらく、深夜のメバル釣りをやり込み、現在は荒磯のヒラスズキ狙い
夜中に波にさらわれて海に落ちたこともありました
現代社会では、昔に比べて暮らしや医療の発展から格段に生活しやすくなっているため、特に日本では、人間が命の危険を感じることはそう多くないでしょう
しかし、本来私達はそう強い生き物でなく、環境変化や外傷、病気などで、一見して健康だったとしても簡単に命を落としてしまう弱い生き物なのです
海に落ちる瞬間、ライフジャケットを付けていなかったら、頭を磯にぶつけていたら、天候の荒れた日だったら、私は死んでいたかもしれません
あの時のヒラスズキをリリースすべきだったか、今でもたまに考えますが、あのヒラスズキが私に食べられ命を落としたことも、自然の営みのひとまく
リスクを回避しながら命を繋げていかなければならない自然界で、その時口にしたヒラスズキは、間違いなく私の体を支えてくれています
軽率な行動や、甘い考えは時に危険をもたらします
弱い生き物としての自分を見つめながら生きてみようと考えた出来事でした
ちなみに、写真は
①釣ったヒラスズキ
②ヒラスズキのソテー〜レモン粒マスタード添え〜
③ヒラスズキのあら汁
④ヒラスズキのベーコン巻き〜トマトソース煮〜
で、全て格別な味わいでした




秋イカを釣りに行ったり、この時期ならではのセイゴの数釣りを楽しんだりしましたが、色んな意味で思い出深かったのは、半月くらい前に釣った45センチ程のヒラスズキでした
このヒラは、この日の1投目に掛かってきました
ゴリ巻きしたため、すぐに寄ってきて難なく手にすることができました
いつもと同じように撮影を終えたら、この魚はリリースするつもりでした
私は基本的にはキャッチアンドリリースを心掛けているのですが、その理由は、魚を持ち帰ろうとする時に、水から上がった魚を見て
「この魚が水を纏うのは、これが最後なんだな」
とか
「すごく苦しいんだろうな」
という思いがよぎり、釣ったことさえ素直に喜べなくなるためです
釣った魚はどれも同じで、たとえそれが毒のある魚でも、美味しくなかったり綺麗じゃなかったりしても変わりません
しかし、魚に生きていけなくなる程の負傷を負わせてしまった場合は別です
その場合、罪悪感は残りますが、命を無駄にしないためにも、持ち帰り調理を施します
こうして持ち帰る魚は、3年に1匹いるかどうかで、私にとっては稀なことです
この時釣ったヒラスズキは、持ち帰って食べました
その理由は、魚の眼に回復困難と判断される負傷を負わせてしまったためです
魚をキャッチした時、中央のフックが眼球に入り込んでしまい、周りの骨に引っ掛かってしまったのです
そのフックは、しばらくして魚が暴れた際に外れましたが、やはり目は大きく損傷していました
それでも、持ち帰るか否かとても悩みました
魚には、目の他に側線などの感覚器官があり、生きる上で大きな役割を果たしています
ですから、目を負傷したとしても今後生き残れる可能性がないとはいえません
そのため、すぐに蘇生措置を試みました
しかし、そこは潮溜まりのような場所がなく、激しい波が押し寄せては引いていくだけの地形で、場所によっては水際によることで、命の危険すら感じる場所でした
ヒラスズキを狙うような荒磯で、潮溜まりのような場所がない場合、安定して水に浸けておくことは困難となります
それでも波がいくらか穏やかな場所を見つけ、時折くる波に魚を浸してやりますが、針を外すのに時間が掛かったためか大分弱っていました
寄せ波に魚を浸けても、腹を上に向け、力なく流されるだけ
このままリリースすれば死んでしまうことは明白でした
そのため、持ち帰って出来る限り美味しく食べようと決めたのです
自分が釣った魚を美味しく食べることは、本来とても楽しいことです
また、釣った魚を食べることは、釣りの本来の目的といえます
キャッチアンドイートがかわいそうだというなら、売り物の魚はどうでしょうか
牛や豚、鳥もどうでしょうか
皆、どこかで苦しんで、結果命を落としています
魚だけがかわいそうという考えは、単なる思い入れですし、少なからず人はこうして苦しんだ生き物の命の恩恵にあやかっています
当然私も同じで、これらを食べていなければ、私はきっと今のような健康体を維持できていません
ですから、人が魚を持ち帰ったとしても、それはその人の考えがあってのことで、そこは人それぞれだと思っています
私がこのヒラスズキの命からひとつ学んだことがあります
それは、野生の厳しさです
テレビで何度も捕食シーンや狩の場面を目にしますが、自分が実際に立ち会うのとは違います
「エサを食べる」と決めた、たった1回の判断によって釣り上げられ、今まで目の前で健康だった個体が命を落としてしまう
これには、自然の過酷さを感じます
このような機会があまりない人間社会
命とは、こうも簡単になくなるものなのかと、自然の過酷さを感じます
私自身、今までに命の危険を感じたことといえば、30数年で2回だけです
全くない方も多いでしょう
しばらく、深夜のメバル釣りをやり込み、現在は荒磯のヒラスズキ狙い
夜中に波にさらわれて海に落ちたこともありました
現代社会では、昔に比べて暮らしや医療の発展から格段に生活しやすくなっているため、特に日本では、人間が命の危険を感じることはそう多くないでしょう
しかし、本来私達はそう強い生き物でなく、環境変化や外傷、病気などで、一見して健康だったとしても簡単に命を落としてしまう弱い生き物なのです
海に落ちる瞬間、ライフジャケットを付けていなかったら、頭を磯にぶつけていたら、天候の荒れた日だったら、私は死んでいたかもしれません
あの時のヒラスズキをリリースすべきだったか、今でもたまに考えますが、あのヒラスズキが私に食べられ命を落としたことも、自然の営みのひとまく
リスクを回避しながら命を繋げていかなければならない自然界で、その時口にしたヒラスズキは、間違いなく私の体を支えてくれています
軽率な行動や、甘い考えは時に危険をもたらします
弱い生き物としての自分を見つめながら生きてみようと考えた出来事でした
ちなみに、写真は
①釣ったヒラスズキ
②ヒラスズキのソテー〜レモン粒マスタード添え〜
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で、全て格別な味わいでした




- 2016年11月11日
- コメント(4)
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