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▼ 東京湾奥におけるシーバス個体数減少とクロダイ個体数増加の要因分析
- 序論
1.1. 東京湾奥部におけるシーバスおよびクロダイの個体群動態の近年の傾向と問題提起
東京湾奥部は、我が国を代表する都市内湾であり、多様な生物が生息する重要な生態系であると同時に、漁業やレクリエーションの場としても利用されてきました。
しかし近年、この海域における主要な遊漁対象魚であるシーバス(スズキ)の個体数減少が、多くの釣り人や漁業関係者の間で懸念されています。船橋漁港におけるシーバスの漁獲量が平成28年(2016年)に前年比3割減の633トン、平成29年(2017年)にはさらに減少し583トンとなり、令和3年度(2021年度)には約500トン程度まで落ち込んでいるとの報告もあります。
また、東京湾に限らず全国的なシーバス資源の減少が疑われるとの指摘もなされています。
これとは対照的に、同じく東京湾奥部で重要な釣魚種であるクロダイについては、個体数の増加や分布域の拡大を示唆する情報が複数存在します。例えば、湾奥部や運河・河口域でクロダイがよく釣れるようになったとの報告や、冬季の水温上昇がキビレの越冬を容易にし、勢力拡大に繋がったとの考察は、クロダイにも同様の現象が起きている可能性を示唆します。さらに、2000年代半ば以降の東京湾における漁獲対象種の大転換の中で、クロダイの漁獲量が2012-2016年の平均4.2トンから2017-2021年には平均16.2トンへと大幅に増加したとの報告もあります。この増加は、黒潮系暖水の流入に伴う水温上昇や幼生供給の変化と関連している可能性が考察されています。
このようなシーバスとクロダイの相反する個体群変動は、東京湾奥部の生態系構造が変化しつつあることを示唆しており、そのメカニズムを解明することは、漁業資源の持続的利用や生態系の保全管理の観点から極めて重要な課題です。
1.2. 本報告の目的と構成
本報告は、過去10年間(概ね2014年から2024年)を対象期間とし、東京湾奥部における環境変動の概要を把握するとともに、シーバスおよびクロダイの生態学的特性を考慮し、両種の個体群変動の要因を、既存の学術論文、調査報告書、および公的機関のデータに基づいて詳細に解析・考察することを目的とします。
具体的には、まず東京湾奥部における水温、溶存酸素量、水質、餌生物相などの環境要因の近年の変化を概観します。
次いで、シーバスの個体数減少要因とクロダイの個体数増加要因を、それぞれの環境応答や生態学的特性の観点から個別に考察します。最後に、両種の変動メカニズムを比較・総合的に考察し、東京湾奥部生態系における変化の実態と今後の展望について言及します。
- 東京湾奥部における環境変動 (過去10年間)
東京湾は、流域に約3100万人もの人口を抱え、その活動による負荷を受けやすい閉鎖性の強い内湾です 。このため、依然として富栄養化の傾向が見られ、特に夏季には赤潮や青潮、貧酸素水塊の発生が常態化しています。これらの環境要因の過去10年間の変動は、シーバスおよびクロダイの個体群動態を理解する上で不可欠な背景情報となります。
2.1. 水温の長期変動と近年の傾向
2.1.1. 全般的な水温上昇傾向
東京湾では、地球温暖化の影響も相まって、長期的に水温の上昇傾向が観測されています。特に湾全体で秋冬季(9月~1月頃)において緩やかな水温上昇が見られるとの報告があります。この水温上昇は、魚類の生理活動、分布、繁殖サイクルなどに多大な影響を及ぼす基本的な環境因子です。東京湾の水温分布特性として、表層水温は湾奥部で高く、湾口部に向かうにつれて低くなる傾向が確認されています。底層水温も同様に湾奥部で高いが、湾中央部から湾口部にかけての水深の深い海域では低くなる傾向が報告されています。
2.1.2. 秋冬季の特異的な水温上昇と低水温期間の短縮・消失
より詳細な分析では、特に秋冬季における水温上昇が顕著であり、それに伴い10℃を下回るような低水温期間が短縮、あるいは消失する傾向が過去のデータ(2005年まで)から指摘されています。この傾向が過去10年間も継続していると仮定すると、冬季に産卵期を迎えるシーバスの繁殖成功や、クロダイの越冬戦略および冬季の活動性に大きな影響を与えていると考えられます。例えば、石井ら(2008)は、1948年から2005年までの千葉県による観測データに基づき、秋季の水温降下時期の遅延(18℃および15℃を下回る時期がそれぞれ約10日間遅延)を報告しており、これがノリ養殖に影響を与えていることを指摘しています。同様の温暖化傾向は、魚類を含む生態系全体に広範な影響を及ぼしている可能性が高いです。
この秋冬季の温暖化は、シーバスの産卵環境に対して負の影響を及ぼす一方で、クロダイにとっては越冬時の生残率向上や冬季の摂餌機会の増加に繋がり、結果として両種の個体数バランスをクロダイ優位にシフトさせる一因となっている可能性があります。シーバスは冬季に産卵する魚種であり、その産卵には特定の低温条件が必要とされることが一般的です。水温の上昇は、この産卵に適した水温期間を短縮させたり、産卵場の水温を不適なものに変えたりする可能性がある。対照的に、クロダイは、近縁種であるキビレにおいて冬季水温の上昇が越冬成功率を高め分布拡大に寄与した事例が報告されており、クロダイ自身も比較的高水温への適応能力を持つことが示唆されています。したがって、秋冬季の温暖化は、シーバスの産卵成功率を低下させる一方で、クロダイの活動可能期間を延長させたり、越冬時のエネルギー消費を抑制したりすることを通じて、その生残率を高める方向に作用していると推察されます。この生理的・生態的な応答の差が、長期的に両種の個体数バランスに影響を与えていると考えられます。
2.2. 溶存酸素量(DO)と貧酸素水塊の変遷
2.2.1. 貧酸素水塊の常態化と近年の発生状況
東京湾奥部では、特に夏季において、底層における貧酸素水塊(一般に溶存酸素濃度が 2.0 mg/L から 3.0 mg/L 未満の水塊)の発生が常態化しています。例えば、平成28年(2016年)8月3日の東京湾環境一斉調査では、湾奥から湾央一帯にかけて広範囲で底層DO濃度が 2 mg/L 未満の貧酸素水塊が観測され、貝類などの底生生物の生息には厳しい環境となっていたことが報告されています。貧酸素水塊の形成は、主に夏季の水温成層の発達による上下層の海水混合の停滞と、底層における有機物の分解に伴う酸素消費によって引き起こされます 。過去10年間の東京湾環境一斉調査報告書 には、各年度の夏季を中心とした貧酸素水塊の発生状況(期間、範囲、深刻度)が詳細に記録されており、これらのデータを経年的に比較することで、近年の傾向をより詳細に把握することが可能です。
2.2.2. 貧酸素水塊の規模と期間の変動
貧酸素水塊の発生規模や継続期間は年によって変動するものの、2000年以降、再び規模が拡大する傾向や、秋季まで貧酸素状態が継続する「長期化」が指摘されています。この長期化は、前述した秋冬季の水温上昇による成層の維持期間の延長と密接に関連していると考えられる。環境DNAを用いた調査結果からは、夏季の貧酸素期には多くの魚種が貧酸素状態の底層を避けて表層へ分布をシフトさせる行動が観察されているが、シーバスはこの表層への明確な移動が他の魚種ほど顕著ではない種のひとつとして報告されている。一方で、クロダイは表層への分布シフトが確認されている。
貧酸素水塊の常態化と、特にその長期化は、底生生物を主要な餌の一つとするシーバスにとって、利用可能な索餌空間を著しく制限し、結果として成長や生残に負の影響を与えている可能性がある。シーバスは魚類を主食とするが、成長段階や季節によってはエビ・カニ類などの底生生物も捕食する。
これらの餌生物自体が貧酸素の影響で減少したり、分布が変化したりすることも考えられる。DNA調査で示されたように、シーバスが貧酸素環境下で他の多くの魚種ほど明確に表層へ移動しないという行動特性は、貧酸素層に留まることによる直接的な生理的ストレスの増大や、貧酸素層上縁部での餌生物の減少・競争激化といった状況に繋がる可能性がある。
一方、クロダイは貧酸素時に表層へ移動する行動が確認されており 、貧酸素の影響をより効果的に回避していると考えられる。このような行動的応答の違いが、両種の生息適地の利用可能性に差を生み出し、個体数変動に繋がっていると推察される。
2.3. 水質(COD、栄養塩類濃度)の変動と富栄養化の状況
2.3.1. CODの動向
東京湾の化学的酸素要求量(COD)は、湾全体の代表値(全層の年平均値)でみると、過去10年間(2013年度~2022年度)において 2.0 mg/L から 2.4 mg/L の範囲で推移しており、顕著な改善傾向は見られず、横ばいの状況が続いている。この背景には、陸域から流入する有機汚濁物質の影響に加え、夏季における植物プランクトンの異常増殖(赤潮など)に起因する二次的な有機汚濁が大きいと考えられている。特に湾奥部では、河川からの負荷や閉鎖性の高さから、COD値が高い傾向が継続している。
2.3.2. 栄養塩類(窒素・リン)濃度の変動
全窒素(T-N)濃度については、湾全体の代表値(全層の年平均値)で過去10年間(2013年度~2022年度)に 0.65 mg/L から 0.58 mg/L へと緩やかな減少傾向が認められる。これは、平成11年度(1999年度)に首都圏1都3県で導入された窒素及びリンの排出総量規制に関する上乗せ条例の施行以降、当時の 0.91 mg/L から約4割減少したことを示しており、一定の負荷削減対策の効果が現れていると考えられる。
一方で、全リン(T-P)濃度に関しては、東京湾は植物プランクトンの増殖を律速する栄養塩としてリンが相対的に不足しやすい「リン制限寄り」の状態にあると指摘されており、近年もその傾向は継続している。栄養塩類の濃度低下、特にリン酸態リンの低下は、ノリの色落ち問題や基礎生産力の変化を通じて、湾内の生態系全体に広範な影響を及ぼす可能性がある。
全窒素濃度の緩やかな低下傾向は、陸域からの汚濁負荷削減努力が一定の効果を上げていることを示唆するものの、COD値が依然として横ばいであることや、湾がリン制限的な状態にあることは、東京湾奥部が依然として富栄養化に伴う有機汚濁の影響下にあり、かつ特異な栄養塩バランスの状態にあることを示している。
このような水質環境は、植物プランクトンの種組成や現存量、ひいてはそれを餌とする動物プランクトンや底生生物の群集構造に影響を与え、結果としてシーバスやクロダイの餌環境に変化をもたらしている可能性がある。例えば、リン制限的な状況は、特定の植物プランクトン種(例えば、珪藻類よりも渦鞭毛藻類など)の優占を引き起こしやすく、これが動物プランクトンや底生生物の種組成や量に影響し、食物網を通じた上位捕食者であるシーバスやクロダイの餌獲得効率や成長に差を生じさせている可能性が考えられる。
2.4. 底質環境の変化とその影響
東京湾奥部の底質は、河川からの有機物や土砂の流入、湾内で生産されたプランクトン等の有機物の堆積により、泥分率が高く、いわゆるヘドロ化しやすい環境にある。特に夏季には、水温成層の発達と相まって底層の貧酸素化が進行し、底質は還元的な状態となりやすく、硫化水素などの有害物質が発生することもある。このような底質環境の悪化は、底生生物の生息にとって極めて厳しい条件をもたらす。
底質の有機物量を示すCOD(底質)、全硫化物量(TS)、強熱減量(IL)といった指標は、場所や季節によって大きく変動し、特に夏季の貧酸素期には悪化する傾向が報告されている。羽田沖や多摩川河口といった特定の水域では、ベントス(底生生物)の種数や生息密度が貧酸素の影響を強く受けていることが確認されている。
底質環境の悪化は、そこに生息するゴカイ類、小型甲殻類、二枚貝類といった底生性の餌生物の生息密度や種組成を著しく変化させ、これらを直接的あるいは間接的に餌として利用するシーバスやクロダイの索餌環境に深刻な影響を与える。
特に、貧酸素状態に対して脆弱な底生生物が減少することは、シーバスの餌資源の選択肢を狭め、餌不足を深刻化させる要因となり得る。シーバスは成長段階によっては底生生物を捕食するが、クロダイはより広範な雑食性を示し、底生生物も重要な餌資源の一つである 。したがって、底生生物群集の質的・量的な劣化は、両種の餌資源基盤を揺るがすものの、クロダイは藻類なども含めた多様な餌を利用できるため、底生生物の減少に対する耐性がシーバスよりも相対的に高い可能性がある。
2.5. 餌生物相(プランクトン、ベントス)の変動
2.5.1. プランクトンの変動
東京湾では、栄養塩バランスの変化(特にリン制限傾向の継続 )や水温の上昇といった環境変動が、植物プランクトンの種組成や優占種、発生パターン(赤潮の発生頻度や原因プランクトンの変化など)に影響を与えている可能性が指摘されている。例えば、珪藻類から渦鞭毛藻類への遷移や、特定の有害プランクトンの発生頻度の変化などが観測されている場合がある。
これらの植物プランクトンの変動は、それを餌とする動物プランクトン群集にも影響を及ぼす。水温上昇や捕食圧の変化、基礎生産量の変動に応じて、動物プランクトンの種組成や現存量も変化していると考えられる。特に、東京湾における主要なカイアシ類の個体数が減少し、一方で暖水性の Labidocera rotunda が増加しているとの報告があり、これは冬季の水温上昇や夏季の貧酸素化と関連している可能性が示唆されている。
2.5.2. ベントス(底生生物)の変動
東京湾奥部におけるベントス群集は、夏季の貧酸素水塊の形成によって壊滅的な打撃を受け、秋季以降に一時的に回復するものの、翌年の夏季に再び大量死するという不安定なサイクルを繰り返している場所が多い。このような状況下で、特に注目すべき変化として、2000年代半ばからのシャコの激減が挙げられる。シャコはかつて東京湾の主要な漁獲対象であり、生態系においても重要な地位を占めていた。その減少は、餌となる小型甲殻類や多毛類の減少、シャコ自身の疾病、あるいは貧酸素環境の深刻化など、複数の要因が複合的に作用した結果と考えられている。アサリなどの二枚貝類も、貧酸素、高水温、波浪による物理的ストレス、さらにはクロダイなどによる食害といった複数の要因により、多くの場所で著しく減少している。
餌生物相におけるこのような大きな変動、特にシャコのような生態学的に重要なベントス(底生生物)の激減や、動物プランクトン群集の構造変化は、シーバスとクロダイ双方にとって餌資源基盤を大きく揺るがす事態である。
シーバスは、成長段階や季節によって特定の餌(小型魚類や大型甲殻類など)への依存度が高い場合があり、そのような主要な餌生物が減少すれば、直接的な打撃を受けることになる。
一方、クロダイは極めて広範な雑食性を示し、底生生物、藻類、小型魚類など、利用可能な多様な餌資源を柔軟に選択できるため、特定の餌生物の減少に対してはシーバスよりも高い緩衝能力、すなわちレジリエンスを持つと考えられる。この食性の柔軟性の差が、近年の環境変動下における両種の個体数動態の分岐に寄与している可能性は高い。
2.6. 人為的改変(埋め立て、護岸、河川改修)の影響
東京湾は、その長い歴史の中で大規模な埋め立てが行われ、かつて豊かであった自然海岸や干潟の多くが失われ、人工護岸や直線的な運河が広範囲に形成されてきた。これらの物理的な環境改変は、シーバスやクロダイを含む多くの沿岸性魚類の生態に多大な影響を与えてきた。特に、浅場や干潟は、多くの魚種にとって産卵場や幼稚魚の成育場として極めて重要な役割を担っている。これらの脆弱な生態系の消失・縮小は、資源の再生産能力を直接的に低下させる。
さらに、護岸化や浚渫、航路開発などは、湾内の潮流パターンや海水交換のメカニズムを変化させ、結果として水質や底質環境にも間接的な影響を及ぼしてきた。例えば、海水交換が悪化すれば、汚濁物質が滞留しやすくなり、貧酸素化を助長する。
河川改修や河口堰の設置もまた、湾内生態系に影響を与える重要な人為的要因である。これらは、河川からの淡水流入量や土砂供給のパターンを変化させ、河口域の塩分濃度勾配、地形構造、そしてそこに生息する餌生物の分布に影響を及ぼす。
Table 1: 東京湾奥部における主要環境パラメータの過去10年間の経年変化概要
水温: 過去10年間の主要な傾向として、年平均水温は緩やかな上昇傾向にあります。特に秋冬季の水温上昇が顕著で、10℃を下回る期間が短縮または消失する傾向が継続している可能性が高いです。主要なデータソース例としては、や東京湾環境一斉調査報告書各年版が挙げられます。
溶存酸素量 (DO): 夏季の底層DO低下と貧酸素水塊(DO < 2mg/L)の発生が常態化しています。貧酸素水塊の発生規模や継続期間は年変動が大きいですが、長期化の傾向も指摘されています。主要なデータソース例としては、や東京湾環境一斉調査報告書各年版が挙げられます。
COD (化学的酸素要求量): 湾代表値(全層)で横ばい傾向(2.0~2.4mg/L)です。湾奥部では依然として高い値を示します。
全窒素 (T-N): 湾代表値(全層)で緩やかな減少傾向(0.65→0.58mg/L)です。
全リン (T-P): 湾全体としてリン制限的な状態が継続しており、栄養塩バランスの偏りが見られます。
底質: 夏季の貧酸素化に伴う還元化、硫化物発生が見られます。湾奥部は泥分率が高くヘドロ化しやすい状況です。COD、TS、IL等は場所・時期により変動します。
主要な餌生物の変動: シャコ漁獲量の激減(2000年代半ば以降)、アサリ等二枚貝の減少、動物プランクトン群集の変化(特定カイアシ類の増減)が見られます。
この表は、過去10年間の東京湾奥部における環境変化の多面的な側面を概括的に示しており、後続のシーバスおよびクロダイの個体数変動要因の議論における重要な前提情報となります。これらの環境パラメータの変動が、両種の生理、生態、行動にどのように影響を及ぼしたかを考察することが、本報告の核心となります。
- シーバス(スズキ)の個体数減少要因に関する考察
3.1. 環境変動に対する生理・生態学的応答
3.1.1. 高水温への応答
シーバスは一般的に広温性の魚類とされているが、近年の東京湾奥部で見られるような夏季の高水温の長期化・常態化は、生理的なストレス要因となり得る。高水温環境下では、シーバスの摂餌活動が低下する可能性や、基礎代謝量の亢進によるエネルギー消費の増大、さらには免疫力の低下といった負の影響が懸念される。
特に重要なのは、シーバスの産卵期が冬季であるという点である。前述したように、東京湾では冬季の水温が上昇傾向にあり、10℃を下回る期間が短縮または消失している。シーバスの産卵には特定の水温範囲が適していると考えられ、この冬季の温暖化が産卵行動のタイミングのずれ、受精率の低下、あるいは初期発生の異常などを引き起こし、結果として再生産成功率を低下させている可能性が考えられる。
3.1.2. 低酸素への応答
夏季の東京湾奥部で常態化している底層の貧酸素水塊は、シーバスの生息環境を著しく悪化させる要因である。一般的に魚類は貧酸素環境を回避する行動をとるが、環境DNAを用いた調査結果によれば、シーバスは貧酸素時に他の多くの魚種ほど明確に表層へ移動しないことが示唆されている。この行動特性は、シーバスが貧酸素の影響を受けやすい底層付近に留まる時間が相対的に長くなることを意味し、生理的なストレスに晒されるリスクを高める。貧酸素水塊の縁辺部では、餌生物や捕食者が集積することが報告されているが 、このような環境がシーバスにとって常に索餌や生存に有利に働くとは限らない。慢性的な低酸素ストレスは、成長の遅延、生殖腺の発達不全、ひいては個体群全体の繁殖ポテンシャルの低下を引き起こす可能性がある。
3.1.3. 塩分変動への応答
シーバスは広塩性の魚種であり、河川の汽水域から塩分濃度の高い沿岸域まで広範囲に生息する能力を持つ。しかし、特に若齢期のシーバスは河口域や内湾の浅場を主要な成育場として利用するため、これらの水域における極端な塩分変動や、河川改修、取水などによる淡水流入量の変化に伴う汽水域環境の変質は、その成長や生残に影響を与える可能性がある。都市化に伴う河川流量の不安定化や、水質汚濁による汽水域生態系の劣化も、シーバスの初期生活史段階におけるボトルネックとなっている可能性が考えられる。
これらの環境変動に対するシーバスの生理・生態学的応答を総合的に考えると、特に夏季の貧酸素と冬季の水温上昇という、東京湾奥部で顕著に進行している二つの環境変化に対して、シーバスが脆弱性を示している可能性が高い。貧酸素に対する回避行動が他の魚種と比較して限定的である場合、夏季には慢性的な生理的ストレスを受けやすく、生息可能域や索餌効率が低下する。一方、冬季の温暖化は、産卵という極めて重要な生活史イベントの成功率を低下させる恐れがある。これらの要因が複合的に作用し、年間を通じてシーバス個体群に負の圧力を加え続け、成長率、生残率、そして再生産成功率の低下を通じて、個体数の減少に寄与していると推察される。
3.2. 餌生物相の変化と食性への影響
シーバスは成長段階に応じて食性が変化するが、成魚は主に魚食性が強く、東京湾においてはカタクチイワシなどの小型浮魚類や、エビ・カニ類、シャコなどの底生性甲殻類を主要な餌生物としている 。したがって、これらの餌生物の豊度や分布の変化は、シーバスの栄養状態、成長、ひいては個体群の維持に直接的な影響を及ぼす。
東京湾では2000年代半ば以降、かつて主要な底生生物であったシャコが激減し、アサリなどの二枚貝類も多くの場所で減少している。また、貧酸素水塊の発生は、ゴカイ類や小型甲殻類など、他の多くの底生生物の生息密度や種組成にも大きな影響を与えている。これらの底生性餌生物の質的・量的な劣化は、特に底生生物への依存度が高い成長段階のシーバスや、特定の底生性甲殻類を好んで捕食するシーバスにとって、索餌効率の低下や餌不足を引き起こしている可能性がある。
また、シーバスのもう一つの重要な餌資源であるカタクチイワシなどの小型浮魚類の資源量も、海洋環境の変動やプランクトン量の変化などによって大きく変動する。近年の東京湾におけるイワシ類の資源動向と、シーバスの個体数変動との関連性を詳細に検討する必要がある。
もし、底生性の餌生物の減少に加えて、小型浮魚類の供給も不安定化しているとすれば、シーバスは深刻な餌不足に直面している可能性が考えられる。シーバスが特定の種類の餌生物に対して高い選択性を持つ場合、その餌生物群集の変動がシーバス個体群の動態を直接的に左右する主要因となり得る。
3.3. 繁殖生態および初期生活史への影響
シーバスの産卵期は冬季であり、東京湾では主に12月から2月頃にかけて、湾口部や沖合の比較的塩分濃度が高く水深のある場所で産卵すると考えられている。産卵された卵は孵化後、仔魚期を経て、春季(4月から5月頃)になると河川の感潮域や湾奥の浅海域に接岸・遡上し、そこでプランクトンや小型甲殻類を捕食しながら成長する 。
この生活史を考慮すると、まず冬季の水温上昇は、産卵場の水温条件を変化させ、シーバスの産卵行動のタイミング、受精率、あるいは胚発生の速度や生残率に影響を与える可能性がある。多くの魚種において、産卵や初期発生は特定の水温範囲に強く依存するため、この時期の環境変化は再生産の成否に直結する。
さらに、仔稚魚が成長する河川環境や浅海域の環境も極めて重要である。しかし、東京湾に流入する河川の多くは、都市化に伴う水質汚濁、護岸化による自然な水際線の消失、あるいは河口堰の設置による遡上経路の分断や汽水域環境の変化といった問題を抱えている 。また、湾奥の浅海域も、埋め立てや浚渫といった人為的改変により、かつての豊かな干潟や藻場が大幅に減少し、仔稚魚の成育場としての機能が著しく低下している場所が多い。これらの成育場の劣化・縮小は、シーバスの初期生残率を大幅に低下させる要因となる。
シーバスの生活史は、産卵場(沖合)から成育場(沿岸・河口域)への空間的な連続性と、各発育段階における好適な環境条件の維持に依存している。冬季の温暖化が産卵プロセスに、そして沿岸・河口域の環境劣化が初期成長と生残に、それぞれ負の影響を与えることで、生活史の複数の段階でボトルネックが生じ、結果として個体群への新規加入量が減少し、個体数維持が困難になっている可能性が強く示唆される。
3.4. 漁獲圧およびその他の人為的影響
シーバスの個体数変動には、環境要因だけでなく、漁獲圧やその他の人為的影響も関与している可能性がある。千葉県(東京湾)の資源評価では、2020年のスズキの資源水準を高位、動向を増加と評価している報告も存在するが、これは湾全体の漁業データや特定の漁法(例:小型底びき網のCPUE)に基づく評価であり、湾奥部における遊漁者の実感や、特定の水域・生活史段階を対象とした評価とは必ずしも一致しない可能性がある。実際に、船橋漁港における漁獲量の明確な減少データや、より広域的な視点からの資源減少の懸念 も報告されている。
東京湾では、シーバスは小型底びき網、まき網、刺し網、釣りなど多様な漁法によって漁獲されており、漁業種類ごとの自主的な資源管理措置(休漁期間の設定、操業時間の制限、漁具の制限など)も行われている 。しかし、これらの管理措置が湾奥部のシーバス個体群の維持に十分な効果を上げているかについては、さらなる検証が必要である。
特に湾奥部では、シーバスは人気の高い遊漁対象魚であり、遊漁による釣獲圧も無視できない。リリースされる個体も多いとはいえ、大型の親魚が選択的に漁獲されることによる繁殖ポテンシャルの低下や、釣獲に伴うストレスや傷害による死亡なども考慮に入れる必要がある。
さらに、東京湾のような高度に都市化・工業化された内湾では、多種多様な化学物質による汚染リスクも存在する。過去には有機スズ汚染によるイボニシのインポセックスなどが問題となったが、現在もPFAS(有機フッ素化合物)や環境ホルモン様作用を持つ化学物質、マイクロプラスチックなどによる汚染が懸念されている。これらの物質は、魚類の生殖機能、免疫機能、内分泌系などに長期的な影響を及ぼし、個体群の健全性を損なう可能性がある。
したがって、シーバス個体数の減少は、本報告で主に議論する水温、溶存酸素、餌生物といった直接的な環境要因だけでなく、漁獲圧(商業漁業および遊漁)や、目に見えにくい化学汚染といった複合的な人為的影響も関与している可能性を否定できない。広域的な資源評価と、湾奥部のような特定の水域における釣り人や地域漁業者の実感との間に乖離が見られる場合、それは評価のスケール、対象とする生活史段階、あるいは考慮されている要因の違いを反映している可能性があり、より詳細な局所スケールでの個体群動態解析が求められる。
- クロダイの個体数増加要因に関する考察
4.1. 環境変動に対する生理・生態学的適応
4.1.1. 高水温への適応
クロダイは比較的広温性の魚種であり、特に近年の東京湾奥部で見られる冬季の水温上昇は、クロダイにとって有利に働いている可能性がある。水温が低下する冬季は、変温動物である魚類にとって活動が低下し、エネルギー消費を抑えるための越冬期となるが、この時期の水温が従来よりも高く維持されることは、越冬時のエネルギー消費を抑制し、生残率を高める効果をもたらすと考えられる 。実験データによれば、クロダイは34℃程度の熱的限界を持つものの、一定範囲内での水温上昇に対しては、熱ショックプロテイン(HSP70)を発現させるなど、生理的なストレス応答を通じて環境変化に適応する能力を持つことが示されている。実際に、東京湾においてクロダイの近縁種であるキビレが、過去30年間で湾奥の冬季最低水温が約1℃上昇したことにより、分布北限域での越冬が容易になり、その結果として勢力を拡大したと考察されている 。クロダイも同様に、冬季の温暖化の恩恵を受けている可能性が高い。
4.1.2. 低酸素への適応
東京湾奥部の夏季に常態化している底層の貧酸素水塊に対し、クロダイは高い回避能力を持つことが示唆されている。環境DNAを用いた調査では、クロダイは貧酸素状態の底層を避け、表層へ分布をシフトさせる行動が確認されている。この行動的適応により、クロダイは貧酸素による直接的な生理的ストレスを軽減し、生存可能な空間を確保していると考えられる。また、貧酸素水塊の縁辺部など、他の魚種が敬遠するような環境においても、一時的に活動したり索餌したりできる可能性がある。
4.1.3. 塩分変動への適応
クロダイは広塩性の魚種であり、河口域の低塩分環境から湾内の高塩分環境まで、多様な塩分濃度に適応して生息することができる。この広範な塩分耐性は、降雨による一時的な河川流量の増加や、それに伴う沿岸域の塩分濃度低下といった環境変動に対しても、安定した生息を可能にする重要な特性である。
これらの生理的・生態的特性を総合すると、クロダイは、東京湾奥部で進行している温暖化(特に冬季の温暖化)や夏季の貧酸素化といった主要な環境変化に対し、シーバスと比較して高い生理的耐性や行動的適応能力を有していると考えられる。この適応能力の高さが、近年の環境変動下において、クロダイが生存・成長し、個体数を増加させる上で有利な条件を享受している大きな要因であると推察される。
4.2. 餌生物相の変化と食性の広範性・柔軟性
クロダイの顕著な生態的特徴の一つは、その極めて広範な食性である。クロダイは雑食性であり、甲殻類(エビ、カニなど)、多毛類(ゴカイなど)、貝類、小型魚類といった動物質の餌だけでなく、海藻などの植物質の餌も積極的に捕食する。この食性の幅広さと柔軟性は、餌生物相が不安定な環境において極めて有利な生存戦略となる。
東京湾奥部では、シャコの激減やアサリの減少など、底生生物群集に大きな変化が生じている。また、プランクトン群集の構造も変動していると考えられる。このような状況下で、特定の餌生物に強く依存する魚種は、その餌の減少によって大きな影響を受ける。しかし、クロダイはその雑食性により、ある種類の餌が減少した場合でも、他の利用可能な餌資源に食性を転換することで対応できる可能性が高い。
近年、東京湾のノリ養殖漁場において、クロダイによるノリの食害が問題化しているという報告がある。これは、クロダイの旺盛な摂餌活動と、新たな餌資源への適応能力の一端を示していると言える。ノリのような、通常は魚類の主要な餌とは考えにくいものまで利用する能力は、クロダイの環境適応力の高さを物語っている。
したがって、クロダイの雑食性と食性の柔軟性は、餌生物相が変動しやすい東京湾奥部において、個体群を維持・増加させる上で非常に重要な役割を果たしていると考えられる。特定の餌資源への依存度が低いことで、環境変動による餌不足のリスクを分散し、安定した成長と再生産を可能にしていると推察される。
4.3. 繁殖生態および初期生活史の変化と好適生息域の拡大
クロダイの産卵期は、一般的に春から初夏にかけてであり、シーバスの冬季産卵とは異なる。近年の東京湾における水温上昇、特に春季の水温上昇パターンの変化は、クロダイの産卵期の開始時期や期間、あるいは産み出された卵や仔魚の初期成長に適した水温期間の拡大に影響を与えている可能性がある。水温は魚類の繁殖活動や初期発生速度に直接的な影響を与えるため、温暖化はクロダイの再生産成功率を高める方向に作用しているかもしれない。
実際に、漁業者からの聞き取り調査では、クロダイの漁場が湾奥部の北部(例えば、東扇島沖や多摩川河口域など)へと拡大していることが報告されている 。これは、クロダイの生息適地が北上、あるいは湾奥方向へ拡大していることを強く示唆するものである。この分布域の拡大は、単に成魚の移動だけでなく、新たな場所での産卵や幼稚魚の着底・成育が成功している結果である可能性も考えられる。
さらに、黒潮の大蛇行のような大規模な海洋現象に伴う暖水塊の東京湾への流入が、クロダイの浮遊卵や仔魚の輸送パターンを変化させ、湾奥部への加入を促進したり、分布域の拡大を後押ししたりした可能性も指摘されている。
また、広島湾における研究では、カキ養殖施設(カキ筏)がクロダイの産卵場として機能している可能性が示唆されている。カキ筏のような人工構造物は、付着生物を豊富に供給し、捕食者からの隠れ家を提供することで、親魚の蝟集や産卵に適した環境を創出している可能性がある。東京湾奥部にも多くの人工構造物(護岸、桟橋、養殖施設など)が存在しており、これらがクロダイにとって新たな産卵場や幼稚魚の成育場として機能し始めていることも、個体数増加の一因となっているかもしれない。
これらの要因を総合すると、水温上昇やそれに伴う海洋環境の変化は、クロダイの繁殖成功率を高め、さらに分布域を湾奥部へと拡大させている可能性が高い。これまでクロダイにとって必ずしも最適ではなかった湾奥部の環境が、温暖化などによって好適な方向へ変化し、あるいはクロダイ自身がその変化に適応することで、新たなニッチを開拓し、個体数を増加させていると考えられる。
4.4. 漁獲圧およびその他の人為的影響
クロダイの個体数変動を考える上で、漁獲圧の影響も考慮する必要がある。いくつかの報告では、東京湾におけるクロダイの漁獲量が近年増加傾向にあることが示されている。これは、実際の個体数増加を反映している可能性がある。
一方で、東京都中央卸売市場への入荷量データに基づくと、クロダイの入荷量は近年100トン台で推移し、むしろ減少傾向が顕著であるとの報告も存在する。ただし、このデータはあくまで市場流通量を示すものであり、東京湾奥部における実際の個体数変動や、市場を経由しない遊漁による釣獲量を直接反映しているわけではない点に注意が必要である。市場への入荷量は、漁獲努力量の変化、漁獲物の仕向け先の変化、あるいは他地域からの入荷状況など、多くの要因によって変動しうる。
千葉県が実施している資源評価では、クロダイは情報不足のため、資源水準および動向が「判断不能」または「資料作成のみ」のカテゴリーに分類されていることが多い。これは、クロダイの資源状態を正確に把握するための科学的データが十分に蓄積されていないことを示唆している。
クロダイは遊漁の対象としても人気が高い魚種であるが、シーバスほど専門的に、あるいは集中的に狙われることは比較的少ないかもしれない。そのため、シーバスと比較した場合、クロダイに対する総漁獲圧(商業漁業と遊漁の合計)は相対的に低い可能性が考えられる。もし個体数が実際に増加しているのであれば、現状の漁獲圧は、その増加傾向を抑制するほどのレベルには達していないと推測される。
また、クロダイの健康状態に影響を与える可能性のある要因として、寄生虫の存在も報告されている。特にウオジラミなどの外部寄生虫がクロダイに多数寄生している事例が観察されているが、これが個体群レベルで繁殖成功率や生残率にどの程度の影響を与えているかについては、現時点では不明な点が多い。
総じて、クロダイの個体数が増加しているという現場の観察や一部の漁獲データと、市場流通量の減少傾向との間には乖離が見られる。また、公的な資源評価も十分とは言えない状況である。クロダイに対する漁獲圧の程度や、寄生虫などの生物学的要因が個体群動態に与える影響については、今後の詳細な調査研究が待たれる。しかし、現状では、環境変化に対する高い適応能力と広範な食性が、漁獲圧やその他の負の要因を上回って個体数増加に寄与している可能性が高いと考えられる。
- シーバスとクロダイの個体群変動メカニズムの比較と総合考察
5.1. 両種の生態学的特性の差異と環境変動への応答の比較
過去10年間の東京湾奥部におけるシーバスの個体数減少とクロダイの個体数増加という対照的な現象は、両種の生態学的特性の差異と、近年の環境変動に対する応答の違いに起因すると考えられる。
まず、環境耐性において、クロダイはシーバスと比較して、高水温(特に冬季の温暖化影響)や貧酸素環境に対して、より高い生理的耐性や効果的な行動的回避能力を持つことが示唆される。冬季の温暖化は、低温を産卵条件とするシーバスにとっては負に作用する可能性がある一方、クロダイにとっては越冬時のエネルギー消費抑制や活動期間の延長に繋がり有利に働く。また、夏季の貧酸素化に対して、クロダイは表層へ移動するなどの回避行動が確認されているが、シーバスの回避行動はそれほど明確ではないとの報告があり、貧酸素ストレスを受けやすい可能性がある。
次に、食性に関しては、シーバスが魚類や大型甲殻類を主食とし、比較的特定の餌生物への依存度が高いのに対し、クロダイは極めて広範な雑食性を示し、動物質から植物質まで多様な餌資源を利用できる高い食性の可塑性を持つ。東京湾奥部のように餌生物相が不安定化している環境下では、クロダイのこの特性は極めて有利に働く。
さらに、繁殖戦略においても両種には違いが見られる。シーバスは冬季に湾口部や沖合で産卵し、仔稚魚は春季に河口域や沿岸浅所に来遊して成長するという比較的限定された生活史パターンを持つ。これに対し、クロダイは春季から初夏に産卵し、より広範な環境に適応した繁殖戦略を持つ可能性があり、近年の分布域北上や湾奥部への進出は、繁殖成功と生息域拡大の結果である可能性を示唆している。
5.2. 環境変動が両種の個体群動態に与える複合的・間接的影響の解明
東京湾奥部で観測されている水温上昇、貧酸素化、餌生物相の変化、そして長年にわたる物理的環境改変といった複数の環境要因は、シーバスとクロダイの個体群動態に対して、それぞれ単独で影響を与えるだけでなく、相互に作用しあいながら複合的かつ間接的な影響を及ぼしていると考えられる。
例えば、水温の上昇は、基礎代謝を亢進させるだけでなく、水中の溶存酸素飽和度を低下させ、貧酸素化を助長する。この貧酸素化は底生生物の生息環境を悪化させ、その結果として底生生物を餌とする魚類の餌環境に影響を与える。さらに、水温上昇はプランクトンの種組成や発生タイミングを変化させ、これが動物プランクトンや小型魚類の動態に波及し、最終的にはシーバスやクロダイのような高次捕食者の餌利用可能性に影響するという、食物網を通じた連鎖的な効果(カスケード効果)が生じている可能性がある。
また、黒潮の大蛇行のような大規模な海洋現象は、東京湾内の水温や塩分濃度分布、さらには湾外からのプランクトンや仔稚魚の輸送プロセスに影響を与えることで、湾内の生物群集、特に加入初期の魚類の分布や生残に間接的に作用しうる。これらの間接的な影響経路を定量的に評価することは困難であるが、個体群変動を理解する上で無視できない要素である。
5.3. 東京湾奥部生態系における両種の競合関係およびニッチの変化の可能性
環境変動が一方の種にとって有利に、他方の種にとって不利に働く場合、両種間の資源(餌や生息場所)を巡る競争関係のバランスが変化し、生態的ニッチの再編が起こりうる。近年の東京湾奥部におけるクロダイの個体数増加と分布域の拡大は、シーバスとの間で餌資源や生息空間を巡る競争を激化させている可能性、あるいは、環境変化によってシーバスが利用しにくくなったニッチ(例えば、温暖化した冬季の浅場や、貧酸素化しにくい表層付近)をクロダイが新たに占有しつつある可能性を示唆する。
総合的に考察すると、東京湾奥部における近年の環境変動、特に秋冬季の温暖化、夏季を中心とした貧酸素水塊の常態化・長期化、そしてそれに伴う底生餌生物の質の変化や量の減少は、総じてシーバスにとっては生息・繁殖に不適な方向へ、クロダイにとっては比較的有利もしくは十分に適応可能な方向へと作用していると考えられる。シーバスは、冬季産卵という生活史特性が温暖化とミスマッチを起こしやすく、夏季の貧酸素環境に対しては有効な回避戦略を十分に取れず、さらに特定の餌生物への依存度が高いことから餌環境の変動の影響を受けやすい。
一方、クロダイは、冬季の温暖化が活動性維持や越冬に有利に働き、貧酸素環境に対しては行動的な回避が可能であり、広範な雑食性によって餌環境の変化にも柔軟に対応できる。この両種の生態学的特性の差に基づく環境変動への応答の違いが、東京湾奥部におけるシーバスの個体数減少とクロダイの個体数増加という、近年の個体群動態の分岐を生み出している根本的なメカニズムであると結論付けられる。結果として、東京湾奥部の魚類群集内における両種の生態的地位(ニッチ)の再編が進行し、クロダイが相対的に優勢な状況へと移行しつつある可能性が強く示唆される。
Table 2: シーバスとクロダイの主要生態学的特性と環境変化への応答の比較
環境耐性: 対高水温(特に冬季): シーバスは比較的広温性だが、冬季産卵への影響懸念。クロダイは広温性で、冬季水温上昇は越冬・活動に有利な可能性 。熱耐性実験では34℃が限界 。東京湾奥部の主要環境変化への応答(推定)は、シーバス:不利、クロダイ:有利または中立。 対低酸素: シーバスは回避行動が他の魚種ほど明確でないとの報告あり。クロダイは表層への移動など回避行動が確認 。東京湾奥部の主要環境変化への応答(推定)は、シーバス:不利、
クロダイ:中立または適応可能。 対塩分変動: シーバスは広塩性で汽水域利用。クロダイは広塩性で多様な塩分環境に適応。東京湾奥部の主要環境変化への応答(推定)は、両種とも比較的適応性が高いが、汽水域環境の質的変化はシーバスの初期成育に影響大か。
食性: シーバスは魚食性が強く、甲殻類も捕食 。クロダイは広範な雑食性(動物質、植物質) 。東京湾奥部の主要環境変化への応答(推定)は、シーバス:餌生物の変動に脆弱、クロダイ:餌選択の柔軟性が高く有利。
繁殖生態: シーバスは冬季産卵で、湾口・沖合。仔稚魚は沿岸・河口域へ 。クロダイは春季~初夏産卵で、沿岸域。人工構造物も利用か 。東京湾奥部の主要環境変化への応答(推定)は、シーバス:冬季温暖化で産卵環境悪化、初期成育場劣化。クロダイ:温暖化で繁殖好適期間拡大、分布域拡大の可能性。
東京湾奥部の環境変化(温暖化、貧酸素化、餌変化)への総合的応答: シーバスは複数の生活史段階で負の影響を受ける可能性。クロダイは環境変化への適応能力が高く、利用可能なニッチが拡大している可能性。東京湾奥部の主要環境変化への応答(推定)は、シーバス:全体として不利な影響が大きい。クロダイ:全体として有利または適応可能で、個体数増加に繋がっている。
この比較表は、本報告で議論されたシーバスとクロダイの生態学的特性と、東京湾奥部における環境変化への応答の違いを要約したものである。これにより、両種の個体群動態がなぜ対照的な傾向を示しているのかについての理解を深めることができる。
- 結論と今後の展望
6.1. シーバス減少とクロダイ増加の主要因の総括
本報告では、過去10年間の東京湾奥部におけるシーバス個体数の減少とクロダイ個体数の増加という現象について、利用可能な学術文献および調査報告に基づき、環境変動と両種の生態学的特性の観点から要因分析を行った。
結論として、この対照的な個体群変動の主要因は、東京湾奥部で進行している複合的な環境変化) 特に秋冬季における水温の上昇とそれに伴う低水温期間の短縮・消失) 夏季を中心とした底層における貧酸素水塊の常態化・深刻化・長期化) これらの物理化学的環境の変化に起因する餌生物相(プランクトンおよびベントス)の質的・量的変化であり、これらの環境変化に対するシーバスとクロダイの生態学的特性(環境耐性、食性、繁殖戦略など)の差異に基づく応答の違いであると考察される。
具体的には、シーバスは、
- 冬季産卵という繁殖戦略が、冬季の温暖化によって産卵適期や産卵場の水温条件とのミスマッチを引き起こし、再生産効率を低下させている可能性がある。
- 夏季の貧酸素水塊に対して明確な回避行動を示さず、貧酸素ストレスを受けやすい底層付近に留まる傾向があり、これが成長や生残に負の影響を与えている可能性がある。
- 魚類や大型甲殻類といった比較的限定された餌生物への依存度が高く、これらの餌生物が環境変動の影響で減少した場合、直接的に餌不足に陥りやすい。
- 河口域や沿岸浅海域を初期生活史の重要な成育場とするが、これらの水域の環境劣化(水質汚濁、物理的改変)が加入量減少の一因となっている。
一方、クロダイは、
- 広温性であり、特に冬季の温暖化は越冬時のエネルギー消費を抑制し、活動可能期間を延長させるなど、有利に作用している可能性がある。
- 貧酸素環境に対しては、表層へ移動するなどの行動的回避能力が高く、貧酸素の影響を受けにくい。
- 極めて広範な雑食性を示し、餌生物相の変化に対しても利用可能な餌を柔軟に選択できるため、環境変動に対する緩衝能力が高い。
- 春季から初夏の産卵期が、近年の温暖化傾向により好適な期間が拡大したり、分布北限域での繁殖成功率が向上したりしている可能性があり、湾奥部への分布拡大と個体数増加に繋がっている。
- 人工構造物周辺など、変化した環境にも適応しやすい。
これらの要因が複合的に作用し、東京湾奥部の環境はシーバスにとってより厳しく、クロダイにとっては比較的有利な、あるいは適応しやすい方向へと変化し、結果として両種の個体群バランスが大きくシフトしたと考えられる。
6.2. 東京湾奥部における持続的な魚類資源利用と生態系保全に向けた提言
東京湾奥部におけるシーバスおよびクロダイの個体群動態の変化は、湾全体の生態系が変容しつつあることを示す重要な指標である。これらの魚類資源を持続的に利用し、健全な生態系を将来にわたって保全していくためには、以下の取り組みが重要となる。
- 包括的な環境改善努力の継続と強化:
- 陸域からの栄養塩類や有機汚濁物質の負荷削減努力を継続し、さらなる水質改善を目指す。特に、貧酸素水塊の発生を抑制するためには、夏季の成層期における底層への有機物供給量の削減と、底泥からの栄養塩溶出の抑制が鍵となる。
- 河川環境の改善(水質浄化、連続性の確保、自然な水際線の回復など)や、沿岸域における浅場・干潟・藻場の保全・再生事業を推進し、魚類の産卵場および幼稚魚の成育場としての機能を回復・向上させる。
- 対象種に応じたきめ細やかな資源管理:
- シーバス資源に対しては、個体数減少の要因をさらに詳細に特定し、産卵親魚の保護(例:大型個体のリリース推奨、産卵期の禁漁区設定など)、初期生残率を高めるための成育場環境の改善、遊漁を含む漁獲圧の適正化などを検討する必要がある。
- クロダイについては、現在のところ個体数が増加傾向にあるが、ノリ食害のような漁業への負の影響や、他種との競争激化による生態系バランスへの影響を継続的に監視し、必要に応じて適切な管理策(例:選択的な漁獲の奨励、特定の場所での駆除など)を検討する。
- 気候変動への適応策の導入:
- 地球温暖化に伴う水温上昇や極端気象(豪雨、渇水など)の頻発化は、今後も東京湾の環境を変化させ続けると予想される。これらの気候変動の影響を考慮に入れた、順応的な(アダプティブな)資源管理アプローチの導入が不可欠である。これには、将来予測に基づいたリスク評価や、管理目標の柔軟な見直しなどが含まれる。
- モニタリング体制の強化と科学的知見の集積:
- シーバス、クロダイを含む主要魚種の資源量、分布、生態に関する科学的調査・モニタリングを継続・強化する。特に、環境DNA調査のような新しい技術も活用し、広範囲かつ高頻度なデータ収集を目指す。
- 市民科学(シチズンサイエンス)の枠組みを活用し、釣り人や漁業者が収集する釣獲データや観察情報を、科学的データとして集約・解析するシステムを構築することも有効である。
6.3. 今後の調査研究における課題と方向性
本報告で考察したシーバスおよびクロダイの個体群変動メカニズムには、未だ解明されていない点が多く残されている。今後の調査研究においては、以下の課題に取り組むことが重要である。
- 環境変動に対する生理的応答の精密評価:
- シーバスとクロダイが、高水温、低酸素、塩分変動といった個別の環境ストレス要因、さらにはこれらの複合的なストレスに対して、具体的にどのような生理的応答(代謝率、成長率、免疫応答、内分泌かく乱など)を示すのかを、制御環境下での飼育実験や野外でのバイオマーカー解析などを用いて詳細に解明する。
- 餌利用と種間競争の実態把握:
- 安定同位体分析や胃内容物分析、環境DNA分析などを組み合わせ、東京湾奥部におけるシーバスとクロダイの実際の餌利用の季節的・空間的変化、および両種間や他魚種との間での餌を巡る競争関係の実態を定量的に評価する。
- 初期生活史の動態解明:
- 両種の産卵場所、産卵行動、卵・仔稚魚の輸送・分散過程、着底・加入メカニズム、そして初期生残率を左右する環境要因(特に湾奥部の成育場における水温、塩分、餌密度、捕食圧など)を詳細に調査し、生活史のどの段階が個体群変動のボトルネックとなっているのかを特定する。
- 気候変動影響予測モデルの高度化:
- 気候変動予測モデル(例えば、IPCCのシナリオに基づく将来の水温や降雨パターンの変化予測)と、魚類の生理応答モデルや個体群動態モデルを結合させ、将来の東京湾におけるシーバスおよびクロダイの分布域や資源量の変動を予測する研究を推進する。
- 人為的影響の総合評価:
- 漁獲圧(商業漁業・遊漁)、化学物質汚染、マイクロプラスチック、騒音など、多様な人為的影響がシーバスおよびクロダイの個体群に与える複合的な影響を評価する手法を開発し、適用する。
- 6月9日 00:16
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