東北旅路、その4 終


川から戻り、恐る恐る玄関のドアに手をかける、すると鍵は空いていた、ガラガラとドアを開く


なに食わぬ顔で「おはようございまーす」と家族、親戚に朝の挨拶



ボクの釣り吉っぷりは皆さん周知しており、


釣りから帰るといつも

「どうだった?」
「マグロ釣れた?」
と冗談まじりに聞かれるので、
「魚、休みだった」
っと答えるのが、おきまりのパターン 



とここで嫁さん登場、食事の準備をしてくれたのでちょっと遅めの?・・・夕飯?
(釣りに夢中で昨夜、夕飯を食べてない)
これを有り難く頂いた 。
いつもながら、ありがたい。


お腹も満たされると、ついウトウトと眠たくなってくる


今日は、女性陣がお土産を買いに出掛けると言う


そんな時、船釣り専門の叔父が港に用事があるので一緒に行かないか?




震災以前は河口の堤防や漁港、サーフにヒラメを釣りにやって来ましたが、ここ2年間は足が向かずにいました





叔父の運転で向かうことになるのだが・・・、



エンジン音を唸らせながら、田んぼ脇の農道を駆け抜ける!


カーブを曲がる度に眠気は吹っ飛んだ



数年前に娘の肩が脱臼してしまい、病院に連れていってもらった時は・・・、

真っ昼間の国道4号線を1☆▲km/hで車の間を縫うように駆け抜けた(汗)

これで、ゴールド免許だってゆうから驚きだ!






以前は中まで車で入れた漁港は、現在は壊れた護岸を補修するべく工事中で入ることができなかった



次に大きなフェリー着場にやってきた



こちらは新しいコンクリートの護岸、一部工事中でしたが、何人か釣人の姿を見ることが出来、隣りの港に至っては沢山の釣人が竿を立てていた


何やら魚を持った人もいます、鱸とゴマ鯖を足したような70cm程の魚?

真鱈だそうです

この魚はワームで釣れるようです


湾奥の3倍の大きさの特大テトラポット、護岸から水面まで5~6mはゆうにあり、護岸際には昆布が生え、水温は低そうです






続いて、河川の河口部の堤防

こちらも餌釣りの方が沢山います

石鰈が釣れていました




帰り道、相変わらずの運転でも睡魔に襲れ、コクリコクリと舟を漕ぎながら義母の実家に到着、


丁度良いタイミングでお土産を買いに行っていた女性陣も戻ってきた


帰り支度を済ませ、毎度、寝泊まりし、御世話になっている叔父、叔母に別れの挨拶をして、千葉に帰ることに



帰りの車内は運転手として戦力外通告を頂いたのでありがたく受け入れ、助手席で荷物の一部と化し深い眠りに落ち、気づけば千葉に到着




未だ見ぬ釣ってみたいと思う魚が棲む水域に行けるとあって、意気込んでいたボクの心情を察し我儘を許してくれた家族に(特に嫁さん)感謝です。 





今回、渓流に行く準備もしていましたが予定していた川の水系の事情は以下の通り


昨年、県内の水産物から基準値を越える放射性セシウムが検出された為に出荷を制限、水揚げの自粛、 その対象となる魚種は海面、内水面の多種にわたり、ヤマメやイワナも例外ではなく

色々なサイトで状況を確認、要約するとヤマメは釣り許可、イワナは禁漁との事だった



イワナの放流実績、ヤマメの放流実績を調べてもわからなく、何処が禁漁区で何処が釣り許可の区域なのかを知ることができなかったので今回の渓流釣りは見送る事に




最終日に行った、河川河口の堤防には漁港が隣接しています

港には船底に穴の開いた船が山積み、倒壊した漁協の施設がそのままになり、至るところで護岸は崩れ、重機で復旧工事中といった状況


休日に家族で餌釣りに来ていた、小学校、高学年くらいの男の子が石鰈を釣りあげ

「これで、4枚目だぁ!」と嬉しそうで、男の子の家族もニコニコしながら笑顔で喜んでいたのが、とても印象的で、 辛く、悲しい出来事のあった海も釣りを通じて人を笑顔にし元気を与えてくれます


ザリガニを持った我が家の子供達も同じように笑顔で喜んでいました 。



釣法や魚の種類、大きさ、数は関係なく、釣りって「楽しいんだ」「おもしろいんだ」と、少し忘れていたボクに子供達が教えてくれた気がしました



笑顔を与えてくれる「釣り」って、やっぱり良いよねって改めて強く思います






震災は2年2ヶ月前の出来事ですが、現在も毎日、被災地の人は元の暮らしを取り戻す為に懸命に今を生きています




こらからも自分に出来る事をできるだけ



震災で亡くなられた方、行方不明の方の御冥福をお祈り申し上げ




帰省の旅日記を終りとさせていただきます







長々と書き綴りましたが最後までお付き合い、ありがとうございました


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