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震災の記憶

  • ジャンル:日記/一般
今日で東日本大震災から2年が経ちました。

思い出すと辛いものがありますが、今日は日和山で黙祷を捧げて来ました。

当時、自分は日和山の麓にある会社で仕事中でした。

地震発生直後は外で仕事してたのですが、とにかくまともに立っていられなかった状態で、近くにあったフェンスに張り付く形で何もできませんでした。

地震が収まり、日和山に避難をしました。

避難中は、地震の話題で持ちきりでまさか巨大津波が押し寄せて来るとは思ってもみませんでした。

山頂に到着。

既に沢山の人が避難してました。

雪が降っておりとても寒かったです。

ラジオを持っている人の情報で、6mの津波がくるとの予想。

6m?

イマイチ高さが想像できませんでした。

そして津波襲来。

水平線に白い一本の線が見えて、あれが津波かな?と思うような感覚でした。

旧北上川を見ると、みるみる水が引いていくのが見えて、川底が見えるくらいでした。

日和大橋のすぐ真下にまで到達している津波。

街が呑み込まれていく。

一部始終をただ呆然と眺めているだけでした。

水は黒く、瓦礫の塊が岸に押し寄せ、川を逆流。

人が乗っていたと思われる車も流されていました。

避難せず、家に残っていた方もいたでしょう。

お年寄りの方は避難すらできなかった方もいたでしょう。

翌朝、助けを求める声がしたと聞き、会社の同僚と瓦礫の中を捜索しましたが、間に合いませんでした。

家があったと思われる場所にはヘドロの中に埋もれている方もいました。

自分は無力でした。

断片的ではありますが、自分の記憶の一部です。

今日は震災を忘れないために日和山に行きました。

そして、fimoに記載したのも同じ理由です。

今日は風が強く、とても寒かったですが、あの日と違い空は晴れていました。

当時の辛い記憶ばかり思い出しますが、同僚と協力してなんとか生き抜こうとしたこと、皆で協力して食料を集めて避難場所で分けあったことなど、人の優しさに感動したことが多々ありました。


まだまだ震災との戦いは続きますが、震災に負けずに、命あるかぎり精一杯生きていこうと思います。

がんばろう石巻!






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