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Legend of Rapala (ラパラ伝説)


『Rapala』  このルアーにどれだけ助けられた事か、、、

今から10数年前 20~30代の頃、毎週のように道央、道南のダム湖に通っていた時期があり、その頃狙っていたターゲットは、イトウ、ブラウン、レインボー、アメマス、特に日高地方のダム湖には思い入れが強く、来年は5月の連休から初冬にかけて、本職復活宣言!?久し振りにロックフィッシュの誘惑に負けず、釣行計画を立てようかと思考錯誤している次第です。

最近、CDJ-11、同9の復刻が話題になりましたが、今も昔もCDJの実績は揺るぎませんし、相当数のアングラーがグッドゲームを展開していた事でしょう。
(先日、某大型釣具店に買いに行ったら二日で完売したと言われました) 



当時 シンキングタイプも使用しましたが、自分が好んで使用していた
のが、『F-11』 です。
その理由として挙げられるのは、F-13だとアピール抜群だけど大き過ぎ、かと言って F-9なら消極的、、だからF-11
タフコンディションで辛い釣りを続けていた時、ラパラに結び変えた途端いままで存在感が皆無のトラウトが反応してくれていた事を今でもよく覚えています。



1999年、楠ノ瀬 直樹 ◎ 福原 毅 著 「ラパラ解体新書(バイブル)」と言う書籍が発売されましたが、ファンだった自分は食い入るように読みました。 
当時、国内販売されていた全てのラパラを解りやすく解説していて、正に解体(真っ二つ)してボディ構造を徹底分析するなどファン必見です。



NO .1フェイバリットカラー
 P (パーチ) 



ラパラ第1号 (現行と違いバルサではなく、松の木の皮で作られた)




当時、雰囲気を似せて作ってみた♪  (さくパパ作)

       SKP-11 第1号 なんちゃって
   




残っているジョイント系 (レーベル、ボーマー、ケースの中にABUキラー等)




大昔のライバル 古のKUUSAMO
オールドルアーが好きな人なら堪らない逸品 ですね!
(10代の頃、数本所有していたが、友人にあげてしまった事をずーっと後悔していて、大人になり懐かしくなってオークションで落札 黒金が一番欲しかったけど無かった、、)


現代、主流である、プラスチック等の量産ミノー全盛期のなかで、今でも多くのアングラーに支持されている愛すべきオールドルアーは、これからもその人気は衰える事なくルアー界に君臨し続ける事は想像に難しくないでしょう。





《補足》 ラパラの生みの親、ラウリ・ラパラ (1905~1974)

生活の糧を得るために作ったルアーが世界中のアングラーを虜にした。



1936年、ラウリ・ラパラの手による、最初のフローティングミノーが生まれた。
当時漁師をしていたラウリは、すぐエサがダメになってしまうという効率の悪さを改善することと、漁場までの遠路、エサを毎日3度も運んでくれる妻の苦労を軽減することを考え、そしてその結果F-11の原型となるミノーが生まれた。
最初、手漕ぎのボートで40~50kmトローリングしても釣果はゼロだったのが、毎日改良を重ね、ついに19日目には23kgものサケマスの漁獲を得た。  (1998年 Troutist創刊号より抜粋)




 

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