知られざる「まぼろしの川」

最近では手軽に航空写真を見ることが出来、また古い年代の航空写真から今とは違う流路、今は無い構造物があったことを確認出来たりと、大変便利な世の中になりました。

何故か釣れる''あの''ポイントも実はかつての渡し舟跡の石積みであったり

橋脚の名残が堰としての機能を果たしていたのであったりと。

それは川の存在が現代より身近にあり暮らしを支えてきたことの証なのです。

鉄道の開通や道路の整備が進むにつれ、ひとの暮らしから川の存在が忘れられつつある昨今

ガイドが凍る寒空の下でも、前が見えない土砂降りでも。

どんな過酷な状況下でも「釣れる」を信じてロッドを振る我々アングラーは現代において川を身近に感じている稀少な存在なのでしょうw

前置きが長くなりましたが
そんな我々アングラーの中でも「まぼろしの川」の存在を知る者はそう多くはないのかもしれません。

その川の名は

「利根川放水路」

昨年の台風による河川の氾濫越水が記憶に新しいと思いますが、時代を遡ること1939年。

河川の治水の為に利根川の水の一部を東京湾に流す事業計画が立てられたのです。

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出典(探検コム>産業技術史>共産党・徳田球一が発表した前代未聞の利根川改造計画>●史上最大の土建事業・幻の房総開発計画/2013年10月16日)放水路鳥瞰図より

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出典(探検コム>産業技術史>共産党・徳田球一が発表した前代未聞の利根川改造計画>●史上最大の土建事業・幻の房総開発計画/2013年10月16日)放水路マップより


利根川の我孫子市湖北あたりから分岐、手賀沼/印旛沼の水を繋ぎ谷津干潟付近で東京湾に流入。
県道8号線(船取線)に沿うような流路を辿るイメージですか。

Wikipediaによると総延長29km、幅員300mで深さ3mを''計画''していたようです。


ですが、これ
あくまで計画であり実際には存在していない「まぼろしの川」であることは湾奥アングラーなら周知の事実。

実在していれば旧江戸川、荒川と並ぶメジャー河川として賑わいを見せ

ボラが飛び跳ねる手賀沼でカビボラパターン

ラムサール条約の干潟(魚/鳥の採取禁止)でウェーディング。

想像しただけでヨダレが垂れますよw

実在しない「まぼろし」であることが残念でなりませんが、この川が実在していれば三番瀬が無くなっていた可能性があります。

と言うのも、この事業により発生した土で検見川〜船橋間の沿岸を埋め立てる計画も兼ねていたからなのです。

ですが、三番瀬船橋航路の岸壁付近に別の干潟が出来、また青潮の発生もしなくなっていたかもしれない?

と妄想はとどまる事を知りませんw

今よりもっと釣りを楽しめそうなのは明らかなのですけど、隣の芝は青く見えガチな?、実在しないのだから無いものは無いんです。

ホントに残念。


一部、工事を着工した後、一時中止。

当初の計画流路から花見川へ接続させる流路へと変更計画が立てられましたが、こちらも中止となり結局、完成することなく計画自体が無くなりました。


徳川家康が江戸に幕府を開かなければ利根川東遷は行われることなく、今も利根川、渡良瀬川は東京湾に注いでいたのかも知れません。

今、現在あたりまえのように釣りをしているポイントも人の暮らしの歴史がもたらした形であり、水害と戦ってきた過去があったから、そこに水が流れているのかも知れません。

シムシティのように自分の好きなようフィールドをレイアウト出来る訳ではないので、今ある環境でどう楽しむか。


今までも、これからも。

どんなに川の流路が変わったとしても海と繋がってさえいれば鱸や鯔wなど我々を楽しませてくれる魚たちは川を登り降り、本能に従い子孫を残す活動を続けていきます。


暖冬だ。

今年は変だ?遅れてる?

毎年、聞くようなこのフレーズ?

たとえ、そうであったとしても。

不変的な自然があるとすれば、それこそ不自然であり自然は常に変化し続けるものなのだから毎年、毎シーズン

この時期はこの川、このポイント。

シーズナブルパターンを時間割のように当てはめて長く過ごしていると自然の変化に取り残される、もしかしたら取り残されている事にも気が付かないのかも知れません。

「釣果は足で稼ぐもの」

これはいつの時代も不変的であるとボクは思っていますし、またそうであって欲しい(報われてくれw)のですが。

技術やシステムの進歩、SNSの普及によりこの考えもまた古いものであって時代に取り残された考えなのかも知れませんね


では!

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