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産業ロック

  • ジャンル:日記/一般
  • (生活)
産業ロックっていうのはまあ言い方はわるいですが、
多くの人に聴いてもらえそうな
商売ベースのロック的なイメージで、
別に量産型とかではないんです。多分。
日本でこういう言い方がはじまったようです。
ジャーニーやTOTOが該当するようなことを当時いわれてました。
多分。

で、むこうでは当時AORというジャンルがあって
それが海外ではTOTOやシカゴなどヘヴィメタしない音を指す
Audio Oriented Rock
という意味でした。ほぼ産業ロックの意味です。

ところが日本でのAORの解釈はボズスキャッグスやマイケルフランクス、クリスレアなどの静かめの大御所が主に分類されとったわけです。
Adult Oriented Rock
Aはアダルトかよ…。

まあ時は少年時代ですから、どんな音楽でも聴けますわな。
釣りの師匠はマイケルフランクスをよく聴いていたので、
ワタクシもアダルトのほうを気に入ってました。
で、TOTOは時流で聴く程度で、アルバム全てとポスターを持っている程度でした。
有名曲をいまもソラで歌える程度。
しかしながら、その他の音楽はもっとキティガイなレベルで熱中していたので、
ジェフが亡くなった当時でもポスターをちょっと天井の角に貼ってる程度でした。

で、ここ最近『無音が織りなす音』にハマって以来、
音楽そのものから離れて久しいわけですが、
それでもトイレに行けばTOTOの文字を目にするわけです。
トイレから出るたびにアフリカや99を口ずさむことになります。

アフリカってコレね。
当時の歌詞カードはセレンゲティのところがSad Kenyaになってました。謎です。マサイ族に謝れ。

これが99。ロボットへの愛を描いた近未来的歌詞だったと記憶しています。
ナインティナイン♪って言いたかっただけっぽい、
全く歌詞に哲学性を感じさせない当時の印象でした。
最後のソロなんて、弾きたかっただけだろ、と正直思ってました。
今ここで謝ります。申し訳ない。名曲です。

で、車に乗ったりしてiPodのプレイリストを見ると、
「常人には成し得ない、80GBも入っている謎の音楽データ」の中にTOTOがない。
理由もなく、ないのです。
なんとなく不満に思いながらはや7年くらいでしょうか。
実家にTOTOを取りに行くような面倒なこともせず
ノホホンと暮らしておりました。

しかし、この度ハイドラのツイートをしたあたりをきっかけに
無性に聴きたくなり、音源を手に入れたのです。
実家のキティガイなCDライブラリとは全然違うところから(爆)。

で、聴いてみて思ったのは
今の年齢というか老化した耳にちょうどいい。
まさにアダルトのほうのAORです。やるな日本の'80S音楽業界。
当時は想像もしなかった聴きやすさ。

色々考えたのですが、釣りも音楽もやりすぎたのではないかと思います。
自分の竿に70upのバスが掛かろうが隣に同様の魚が掛かろうが
まったく感動がない。
けれど20cmにも満たない根魚には喜びも幸せもあります。
同様に音楽も面白いものには一瞬惹かれかけるものの
ずっと掛かってると堪えられない。
そういう時期になって、AORという言葉を思い出したので
書いてみました。
年齢ではなく、経験値みたいなものが人それぞれにあって、
許容量を超えたときに無感動になるのではないでしょうか。

例えば前回の日記に出していたMy Favorite Thingsのテイクとして
こんなのがあります。

Jazz的解釈をしても、普通の耳でも相当面白いはずで、
非常に高度なアレンジだと思います。
好きな曲を好きな感じにできているので、好きなはずなんです。
ところが、ワタクシの飽和の耳で聴くと
どうしても同一人物による重ねた音のグルーヴが気持ちわるい。
よくある一人で全部やる音源とかにありがちな、
ものすごい違和感を先に感じてしまうわけです。

脱線しますが、バンドの頃、ウドーという後輩に
「まんまオレ(小川)が数人居たら、それぞれが練習して演奏した方がいいバンドできるわ…」
と当時の現状を嘆いて言ったことがあります。
※別に技術があったわけでもないですが、練習すればできると思ってました。
そのときにウドーは
「そりゃそうでしょうけど、音が気持ちわるいですよ。」
と言ってました。
この音源は二人でやってるので、モロそういうことになります。
ところが現代人の耳は打ち込みやらに慣れすぎてココが鈍ってます。
あのまま宅録なんかやってたら今頃さぞ売れてることでしょう(爆)。


話を戻します。
こうした無感動の状態は昨日まで完全に心の病気だと思ってました。
TOTOを改めて聴いた今はわかります。
他の人より許容量が小さいところに詰め込んだ、
もしくは他の人より多くの興奮の経験を詰め込んだかなにかで
心が飽和しているのです。
冬の夜の山に登ったりして無音のときに耳を澄まし
『キーン』と耳が鳴る音が一番心地いいのは
それが滅多に体験できないことだからなのでしょうか。
いや、そうではなく、きっと耳の奥底に耳を澄まして
いつも聴いているはずのキーンという音を再確認できたことに
喜びを感じているだけなのです。

幸せは実は手元にある、とよくお年を召した方がおっしゃいますが
そこらへんが本当の意味でわかってないだけだったのです。
大きい魚や数が釣れて嬉しい時期、
釣りの環境が嬉しい時期がループして、
突然スピンアウトして釣りのもっと根本に
本当の喜びがあったところに気づいた、という。
小さくてもボウズでも、釣りに行けば面白くて、行かなくても行けなくても面白くて
釣りを知った自分がいまここに生きてて
アレやコレや思うことだけが本当に面白いのです。

なので上手い下手や釣った釣れないは人生には不要です。
商売以外では全く無意味。

ということで、サラバ若気の至り。



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