釣り場で出会ったある夫婦の話

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ある釣り場に行くと、4年経った今でも思い出すあの夫婦…



それは4年前、2012年の出来事です



7月、青森市へ用事を足しに行ったついでに海を見に行きました



すると、椅子に座ってのんびり投げ釣りをしている夫婦を見かけたました



こうやって夫婦のんびり釣りするのっていいなぁ…と思いつつ後ろを通り過ぎようとした時



「お兄ちゃん、今はなに釣れるの?」



と、夫の方から声を掛けられた



「小アジか…サヨリ、手首イカ…キスシーズンなので砂場ではキス釣れると思います」



と答えると



「あぁ〜そうなのか。今、投げ釣りしてるんだけどフグにやられちゃってね〜…たまにちっちゃいハゼ釣れるくらいだよ(笑)せっかく釣りしに来たのにこれじゃあね〜…」



すぐに私は、青森の方ではないんだなぁと思い



「出身地はどちらですか?」



と聞くと



「宮城県の名取って言う所だよ」



前年の3月、東日本大震災があったので正直なところ、気まずい気持ちになりました



しかしその夫婦は、



「名取って震災あったから知ってると思うんだけど…」



と震災の話をしてくれました



地震のあった時夫婦は家に居たのですが、ものすごい揺れで家具は倒れ、ただただ、早く揺れが収まってくれっと願い続けたそうです。



やっと揺れが収まり、目を開けると家の中が荒れて散々な状況になっていました。



そして、停電が起こっていました。



最初は津波の心配をあまりしていなかったようですが、避難指示もあり、お茶と少しの食料、ラジオを持って高台へ避難したそうです。



すると高台には続々と人が集まって来ていました



そして…ものすごい音と共に津波が襲ってきた時



町を飲み込み、流される家、車、人…



ビルの屋上で必死に助けを求める人…



それは、目を覆いたくなる程、悲惨なものでした



ちょうど私の行ったその釣り場の近くには、3階程の建物があったのですが、それをも飲み込んでしまうほど高かったそうです。とてもゾッとしました。



そして、高台では泣き崩れる人、必死で連絡を取ろうとする人…



引き波が始まり、それまで飲み込んでいた建物や車が海へ流されていきます。



しかし、なにもする事ができず、目の前で壊れていく町



心がズタズタに引き裂かれるような思いで、悔しさ、悲しさ、絶望、怒り、不安…様々な感情が混ざり、でもなにもできず、ただ呆然とするしかなかったそうです。



引き波が終わった頃、町は変わり果て、これが少し前までいた自分の町なのか?と思ったそうです。



その後は避難所へ行き、友人や親族の方々の生存を祈りましたが、残念ながら中には亡くなった方もいると仰っていました。



それからは仮設住宅へ行く事になり、夫婦で好きだった釣りを当分辞めてしまったそうです。



あの海で釣りをするのは怖い…と



そして変わり果てた町、瓦礫の山…



復興へ向け、夫婦もボランティア活動をし



不安を背負いながらも必死で作業に携わりました。



そして1年が経った頃…



夫が旅行がてら釣りに行かないか?と誘うと、奥さんはとても喜んでくれたそうです。



その旅行先が青森市です。



そして新調した釣り具を持って。



釣りができるありがたさも語ってくれました。



当たり前になってしまえば気づかない事です



宮城に帰ってからは、海と釣り場の状況がもう少し良くなれば、また少しずつ釣りを始めようと言っていました。



また、テレビの報道や、ドキュメントでは感じられないものが、その夫婦から伝わってきました。



話の内容は時々生々しい部分もありましたが、それでも貴重な話を聞けて良かったと思います。



震災の話の後、



「暗くなっちゃってごめんね(笑)青森の観光地教えてくれないかな?」



と、その後は観光地や、青森のソウルフード、美味しいお店の話などで談笑しました。



青森にはたまに遊びにくるよ。と言っていた夫婦、あの釣り場に行くと、今日来てるんじゃないかな。っと期待してしまいます。



そんな奇跡みたいな再会は無いと思いますけど(笑)



あっちが覚えているかどうかもわかりませんし…



でも、私は今でも震災の話や談笑した事を思い出します。



とても明るく、本当にいい方でした。



きっと今では、宮城で2人仲良く釣りを楽しんでいるんじゃないかなぁと思います。



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