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宇宙人と「ファーストコンタクト」する時のような慎重さで

実は「同好の士」が集まる場とは、
感情面がヒートアップしやすく、潜在的に、
衝突が起こりやすい場なのでは無いか?


私たちの多くは今回の件に関し、ただの「第三者」である。
しかし、私たちは決して「無関係」ではない。今後いつ意図せぬ
ことで、「被害者側」もしくは「加害者側」になってしまわない
とも限らないのだ。


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ダイヤモンド社
ISBN-13: 978-4478068649
及川ザッコ私物



私たちは、それぞれが、
文字によるコミュニケーションに内在する「怖さ」を自覚すべき!

それを意識しながら、良い関係を築いていけたらと思うのです。
その際何に注意すれば良いのか、この機会に考えてみたい……


私のような「コミュ障」を自覚する者が本来申し上げることでは
ないと重々承知の上で、以下のことを申し上げます。

────────────────────────────
▼個人の守るべき節度とは具体的に何なのか?
────────────────────────────
ご存知の方も多いでしょうし、連日のように「利用上のモラル」
について警鐘を鳴らすログがfimoニュースに上がっています。

利用上のモラルが問われるトラブルが、ユーザー間で起こりました。
いわゆる「炎上さわぎ」なのですが・・・

ですが、この件に関して、私が何か言及したいわけではありません。
これをきっかけとして、また良い教訓として、少し考えてみたい
と思うのです。

今後の利用について──、

もやーっとした「精神論」のような具体性の無い話は多いけれど、
実際、私たちはどうして行けは良いのか?

今後の、円滑な利用を考える上で、具体的に、何に気を付ければ
良いのでしょうか?

もちろん私のようなコミュニケーションの苦手な者の言うべきこ
とでは無いのでしょうが・・・

SNS上で、個人の守るべき節度とは具体的に何か?
今後私たちは、何に気を付けて利用していけば良いのか?
それについて、以下、考えていきたいと思います。



─────────────────────────────────
▼同じ「価値観」の者同士が集まっているという錯覚
─────────────────────────────────
「釣りをするヤツに『悪いヤツ』は居ない」

そのような言葉が存在することこそが、「釣りという共通の趣味」
を持つ者同士、「分かり合えるはずだ」という期待を端的に
表しているのだと考えます。「信仰」と言っても良いかも知れない。

しかし「釣り」にもいろいろあります。魚種も異なる。
同じ魚種でもフィールドが異なる。アプローチが異なる。

あくまで魚の大きさにこだわる人、数にこだわる人、道具とその
釣り味にこそこだわる人、特定のメソッドで釣る1匹に大きさに
関係なく価値を感じる人、釣った後いかに魚にダメージを与えず
リリースするかにこだわる人、美味しく食べることにこだわる人、
自作の道具で釣ることにこだわる人、特定のルアーで釣ること
にこだわる人、トップの釣りにこだわる人、オフショアの人、
おかっぱりの人、ウェーディングの人・・・

家族に全面的に応援してもらえて、時間とお金を好きなだけ掛け
られる人も居れば、どうにか捻出した小遣いで隙間時間に隠れる
ようにして釣行している人もある訳で・・・

「釣り」と言われて思いつくだけでも、千差万別。

「釣り」に込められた意味は十人十色であるにも関わらず、「釣り」
という「共通の単語」を使うがために、「同じ価値観を持つ」かの
ように錯覚してしまっているのではないでしょうか?


例えば、全く「余計なお世話」な話なのですが──、

タナゴという淡水魚は手のひらに何匹乗せられるかという、ある
意味「小さい魚」をいかに効率よく釣りあげるかを競うのに対
し、オフショアでカジキをやっている人からすれば「そんな小さ
な魚釣って何がおもしろいの?」とそれを見て言いたくなるかも
しれないし、逆にタナゴ釣りの人からすれば、「あれは果たして
釣りなんだろうか?」と疑問を投げかけたいかもしれない。

そして、そこに傾けている「情熱の量的差」によっても、全く
同種の釣りをやっているようでいて、そこに込められた価値観
は全く異なっているはずなのです。

また純粋に「釣り」に対してどうのという以上に、所属する仲間や
グループに対し、居心地が良く、かけがえのないもので、ずっと
大切にしていきたいと思っている方もあることでしょう。

このように、ぱっと思いつくだけでも、ここまで多様な人が集ま
っているのです。

これを「同好の士」の一言で片づけ、言葉を用いなくても理解
し合えるというくらいに錯覚して、それを期待してしまうことに、
今回のような行き違いの生じる、根本原因の一端があるような
気がします。



─────────────────────────────────
▼「メルティングポット」ではなく「サラダボール」
─────────────────────────────────
多様な人の集まり・・・
しかし、それは「メルティングポット」ではなく、「サラダボール」
と表現すべきものです。

以前アメリカは「人種のるつぼ(メルティングポット)」と表現
されました。多様な人種が集まり溶け合っているのだと。

しかし、人種間で根強い差別は残り、決して溶け合っていない、
これは様々な人種が交じり合っても、溶け合わずただ混在するだけ
の「サラダボール」ではないかと、近年表現が改められました。
 
たしかに一見するとfimoは「釣り好き」という同好の士が集まる場
であるのです。

が先に述べた通り、「釣りモノ(釣りの対象)」はさまざま、仮に
狙う魚種が同じだったとしても、「フィールド条件」や「アプ
ローチの仕方」が多岐にわたります。

そして、それぞれのみなさんがご自身の釣りに「一定以上のこだわり」
をお持ちのことでしょう。
 
一見「釣り」という趣味を持つ「同好の士」が集まる場に思われ
るが、いわゆる「一枚岩」では無いのです。

 
例えば同じアニメを好きなオタクたちの集まり、例えば同じアイドル
グループが好きな追っかけたちの集まり・・・一見同じ趣味を
持つ者たちの集まりなのに、決して仲良しグループではない。
実態は派閥に別れ、いがみ合っていたりするものです。
 
よってfimoにおいてもまた──、
こだわりがあるがゆえに、他人の釣りが許せず、「仲間想いの
情に厚い人」であるがゆえに、仲間以外の相手には非情とも思える
ほど激しい攻撃をしてしまったりと・・・

 
「実は潜在的に、感情面がヒートアップしやすく、衝突が起こり
やすい場」なのでは無いか?

今回の件を振り返って、そのように思えてならないのです。


───────────────────────
▼「こだわる」ゆえに譲れない
───────────────────────
「釣り好き」の集まりなのですから、皆さん、一定以上のこだわ
りをお持ちであると思います。もちろん「ゆるのり」の方もあれば、
「ガチ」の方もある。程度の違いはあれど、それぞれに「こだわり」
をお持ちのはずだと思うのです。

それは素晴らしいことなのですが・・・
「こだわりを持つ」がゆえに譲り合えないことも多い。


この点について、特定の事例を題材にしているのではありませんが、
あえて例を挙げるまでも無く、単なる「趣味の集い」以上に
例えば「芸術家の集い」「文化人の集い」で衝突が多いらしい
というのは、私も噂などでしか聞いたことがありませんが、皆さん
ご承知かと思います。
かつて仲の良かった文豪同士が、晩年、いがみ合っていたとか。

そういう事例をすでに皆さん、飽きるほどご存知かと思うのです。
増して、ここは相手の顔の見えない「ネット上」です。

対面のコミュニケーションであれば非常に礼儀正しくできる人でも、
相手が見えないがゆえに、感情がむき出しになったりします。

ただ、皆さんそれなりに譲れない持論がおありでしょうし、それぞれ
の持論は、皆さんそれぞれの経験に基づくものなのでしょうから、
ぞれぞれ皆さんの中では「正しい」訳で────、

しかし、「こだわる」からこそ譲れない、「譲れない」からこそ、
衝突になる。

そして双方が「正しい」もの同士であるがゆえに、深く傷つけ合って
しまうのだと。

他、そのことに思い入れる熱量差(「情熱」の量的差)で、「熱い」
のか「冷めている」のか、という要因もあるでしょうけど。



───────────────────────────────
▼「正しい」者同士だからこそ深く傷つけ合う
───────────────────────────────
では「何も発言しないのが正しいのか?」と言うと、そんな身も
蓋もないことを言いたいのでもありませんでして、せっかくこの
ような場があるのですから、節度を守りつつ、活発な議論が起こ
っていったら素敵だと思うのです。

そうすることでこの場から何か、想像もしなかった新しいものが
生まれるかもしれませんし、新たな関係が築けるかもしれない
のですから。

ただその際、一人一人が認識しておかなければいけない事実として──、

「正しい」と「正しい」は時に激しくぶつかります。
そして「正しいモノ」同士こそ、お互いにゆずり合うことができ
ないために、深く傷つけ合うのです。

(たとえば戦争の泥沼化がまさにそれであるかと。大義だけは常
に「正義」の名において始められますので)


そして自分は「正しい」という思いが、「理性」さえも麻痺させます。

善良な人でさえ、行き過ぎた「正義」によってモンスターになって
しまうという事実は、皆さん、すでにご存じなのではないでしょうか。



──────────────────────────────
▼2割しか相手に届かないという「ハンデ」
──────────────────────────────
実は以前、コミュニケーションの講義を受けたことがありました。

対面でのコミュニケーションで、意思伝達における効果の割合は
「言葉(純粋に発言の内容)」が占めるのがおおよそ2割で、そ
の他の部分は、抑揚(イントネーション)であったり、身振り手
振り(ジェスチャー)であったり、顔の表情であったりと・・・
 
例えば同じ「馬鹿」と言う言葉でも、言われる相手と状況によって、
どのようにも変化するということです。
普段から「いけ好かない」と認識している相手になら可愛く「ばか♪」
と言われても、許せないでしょうし、大好きな異性なら本気で
「馬鹿―っ!」と怒鳴られても「萌える」かもしれないという・・・

 
つまり私たちは、最初から、文字でのコミュニケーションをする
以上、「正しい意図」は2割しか相手に届かないという「ハンデ」
を負っているのです。


このことはfimoばかりの問題では無く、他のコミュニケーション
・ツールでも同様であり、そのために某所でも「スタンプ」を
多用したりして、足りない分の感情表現を補うのでしょうから。

「そのハンデを自覚するべきである」のではないでしょうか?

電話での会話なら、顔や身振り手振りが見えなくても、声のトーン
やイントネーションで、相手の意図は読み取れます。しかし、
文字にはそれが無い。
 
仮に顔文字を付けたところで、挑発の意図にとられかねません
し、先日も申し上げましたが「(笑)」も相手や状況によっては
「嘲笑」の意図にも受け取られかねないので、「ごく親しい相
手」くらいにとどめた方が無難なのかもしれません。
 
もしも「こちらの意図は2割しか正しく相手に伝わらず、残りの
7割については、状況次第で相手にどうとでも受け取られるも
の」だと考えますと、(意図と真逆になることも十分ありえます
ので)文字によるコミュニケーションの怖さを自覚し、言葉選び
についても「慎重」になれるのかもしれませんね。

 

─────────────────────────────────
▼その一言が相手の「怒り」に火をつけるかもしれない
─────────────────────────────────
もちろん「このログ」にだってその可能性はあります。
これを読んで「面白くない想い」をされる方もあることでしょう。


そういう意味では「炎上覚悟」と言えなくもありませんが、そん
な大層なセリフを言わなければならないほど、私は問題に鋭く切
り込みませんのでご安心ください。
(それができる立場にもありませんし)
 
一般論として、あくまで一般論として、(当事者の方には大変
申し訳ないですが)今回のケースは反省材料の一つとして扱わせ
ていただき、「今後どうすればいいか」を純粋に考えていくものです。

ですので、くれぐれも──、
特定の事案について言及したいわけでもありませんし、特定の
個人を攻撃したいわけでもありません。
その点については、どうぞご理解願います。

 
しかし、私は多くの方のように憶測や第三者的感想でこれを書く
のではなく、あくまで第三者ではありますが、匿名で聞き取り
などもして、一通りの状況を知る者としてこれを書くのです。
 
ただし、繰り返しになりますが、特定の事案について、言及した
い訳ではありませんし、ましてある個人に対し苦言を呈したいと
いう意図で書いているのでは決してありません。
 
今回の件は「残念な事例」として、今後を考える上での良い材料
になるかと思い、一連の流れを知るものが「個人の反省」として
「自分への戒め」として書き留めておくものです。
 
だからといって当「fimo」のような、「同じ趣味を持つ人間の
集まる場所を批判したい」というのでは決してありませんでして、
利用する私達が少し「意識を変えたほうが良い」かも知れない
という程度のお話。


 
────────────────────────────
▼むしろ「悪意の無い」ケースが多い
────────────────────────────
「すれ違い」や「衝突」が現実として起こり続けている背景に
何があるのでしょうか?
 
(もちろん私だって、人とうまく付き合えず、理解し合えたら
良いのにな、譲り合えたら良いのになと思っている一人だと自覚
しているのですが・・・)
 
事実、fimo会員さんの中にも過去に「やらかした」と悔やんで
いらっしゃる方が複数あるようですが──、

こうしたトラブルの中には、最初から「相手を傷つけてやろう」
という悪意むき出しの「故意」があったケースは少ないように思います。

(「単に」と言ってしまっては当事者の方に誠に申し訳ないですが)
単に相手への配慮不足から来る「過失」と言うべきものや、その
ような意図は全く無かったにも関わらず、書き方がマズく誤解を
受けてしまったという「事故」と呼ぶべき「残念なケース」の方
がはるかに多く、むしろ純然たる「悪意」によって引き起こされ
たものは少ないように思うのですが・・・、
 
今回、問題とされている件につきましても、私が独自の聞き取り
調査等を行った限り、どうやら「悪意」による「故意」ではなく、
相手の感情への「配慮不足」から来る「過失」のようなもの
だったらしいのです。(もちろん悪意が無かったから「罪無し」
などと言いたいのでもありませんし、書かれた方は傷ついてしま
ったのですから、不幸としか言いようがありませんが、第三者の
立場で感情を廃して読めば、論旨はあくまで「相手の主張する
【◯◯パターン】というものに対し【異議】を申し立てたい」と
いうものであったと感じましたので──)

 
ですので、今回の件に関し取り立てて私が何か「物申したい」
のではなく、このように「悪意」が無くても「衝突」は実際に
起こってしまうのであり、「皆が傷つけ合うことなく、理解し
合えたら良いのになぁ。そのように交流ができたら良いのになぁ」
と、おそらく会員のほとんどの方がそう望んでいるに違いない
と思うのですが、悲しいことに、現実にはどうやらそのように
なっていないのが現状です。
 
だからと言いましても──、

このような現状に対し、具体的に「このようにすべき」だとか、
ガチガチのルールや罰則を設けたところで、会員の皆さん居心地
が悪くなってしまうのは目に見えているのでしょうから、結局の
ところ、「それぞれ、一人一人のモラルに委ねる──」というのが
現実的なのでしょうね。


(まあ皆さん「理性ある大人」として参加しているわけでして)


──────────────────────────────
▼本人の手を離れて「問題」は独り歩きする
──────────────────────────────
この件についてですが──、

ご本人は「(あえて言い返さず)これ以上問題を大きくしないため、
無関係な一般ユーザーに不快な思いをさせないため」静かに退会
なさったのだと聞いています。

そして最後には、相手方を気遣うようなコメントまで残して、
去って行かれた。

これに関しては、すごく立派な決断をされたのだと思うのです。


しかし、その「友人」を名乗る者たちが(詳細には言及しません
が)怒りの声を上げ、暴れたことで多くの方がこの問題を知るこ
ととなり、実は問題の「元となったログ」よりも、こちらの方で
「不快」な思いをされた方が、はるかに多くいらっしゃるように
思います。

問題は「独り歩き」したのです。

このことについて、私たちは「もう一度よく考えなければいけない」
と思います。

繰り返しますが──、

特定の誰かを攻撃したり擁護したりしたいわけではありません。
しかしここでしっかり反省しておかないと、私たちは「同じ過ち」
をまた繰り返すことになる。

ですので、あえてもう一度言います──、
 
多くの方が不快な思いをされたのは、「元のログ」ではありません。
その後、「友人」を名乗る者たちが、「ご本人の意図」を無視
して暴れたことによるものです。



──────────────────────
▼そこに「大義名分」は無い
──────────────────────
私はこのログで、特定の事案について苦言を呈するだとか、
特定個人を吊るし上げようなどという意図はありません、
今後のため、純粋に反省材料として活用したいだけです。

先ほどの繰り返しになりますが──、

今回の事例では、「誹謗中傷を受け退会してしまったご本人」
とされる方は、「問題をこれ以上大きくしないように、無関係な
一般会員にまで不快な思いをさせないように」あえて反論せず、
「静かに退会する道」を選ばれたのだと聞いています。

この決断はたいへん立派だと思います。
「英断」と言っても良い。
正直、敬服し、頭の下がる思いです。


ですが、であれば、なぜその「友人」を名乗る者たちが、「ご本人
の意図」をまるで無視して、相手かまわず噛みつき、当たり散らし、
暴言を吐き、暴れ、問題を大きくして、周囲の無関係な人たちを
不快にさせてしまったのか?

さらに、そこに事情を知らない知人たちが入ってきて、「自分
たちにも詳細を教えてくれ!そんなヤローは許せない!」と
加速度的に過熱していったのですが・・・

これはひとえに「正義感」のなせる業だと思います。
あるいは、「仲間を大切に想う」がゆえであるのかも。


しかし、ここで私たちは思い出さなければいけない。

魔女狩りは神の名の下に「邪教徒」を排除する「正義」でした。
しかし、実際に行われたのは、まったく無実の女性を火あぶりに
したり、後ろ手に縛って川で溺死させるなど「残虐極まりない行為」
でした。しかし、相手が「悪魔」であり「怪物」であれば、心は
痛まないのです。


再度申し上げますが、この件について私は特定の方を攻撃したり
吊るし上げたりしたいのではありません、

また、同様にどなたかを擁護したり弁護したりしたいわけでもあ
りません。その点どうぞご理解ください。

これは往々にして起こりえることで、今後も当然ありえることな
ので、ここで反省材料として使わせていただきたいだけです。

 
─────────────────────────────────
▼行き過ぎた「正義感」もまた、人を怪物へと変える
─────────────────────────────────
ドイツの哲学者ニーチェの言葉ですが──、
(原典でなく孫引きですみません)
 
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのない
ように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまた
こちらをのぞいているのだ。」

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの言葉、
著作『善悪の彼岸』より。
https://app-flamingo.com/blog/180302-1/
 
行き過ぎた感情と正義感が、人を怪物に変えてしまうのは往々に
して起こることであり、そうならないよう自覚して、自分の言動
を日々反省して行かなければいけないんだろうなと思っております。

「悪意」は人を怪物に変えます。しかし、行き過ぎた「正義感」
もまた、人を怪物に変えてしまうのです。


それは有史以来、人間がずっと経験として知っていることであり、
未だに世界から闘争が無くならない理由であり、対テロの戦
争として「正義」が掲げられれば、誤爆によって、無関係な赤ん
坊が巻き込まれて死んでしまっても、何も感じないどころか、
「当然の報い」とさえ思ってしまう。

考えてみてください。
目の前を通り過ぎただけの相手に理由なく悪意と憎悪を向けられ
る人間がいるとすれば、それは病的に人格の歪んだ「悪魔」の
ような人間です。もしくは本物の「怪物」であるか。

たしかに世の中には、そのような人間も存在するらしい。

しかしコミュニケーションを求めこの場に集まっている皆さんの
中に、そのような相手が多く混じっていると、考えられますか?

つまり今あなたが、会話を試みようと考えている相手は、言語や
文化の相い入れない「宇宙人(異星人)」や「異世界人」である
かもしれないが、おそらく「悪魔」や「怪物」ではないはずです。


私は今回のトラブルにおいて「悪人」は一人として居なかった
ように私は思うのです。

いえ、そんな曖昧な言い方ではだめですね。

やはり私は、あえて断言しておきます。
今回の件で、一人として責めるべき「悪人」は居ませんでしたと。

あえて「悪人」を挙げるならば、それは面白がって炎上を煽った
部外者たちである。


※もちろん相手方への「配慮不足」による「過失」はありました。
しかし、そこに「相手を傷つけよう」という明確な「悪意」が
在ったわけでも無ければ、「故意」にそれを行った「悪人」も
居なかったということです。

※ただし、「悪人」で無いから、「悪意」が無かったからと言って
何でも許されるわけでは決して無いのです。だから私たちはその点
に留意し、それぞれが自覚し、節度を持って今後のコミュニケーション
に臨んでいかなければいけないと強く思ったのでした。



─────────────────────────────────
▼宇宙人との「ファーストコンタクト」の慎重さで
─────────────────────────────────
あなたが今、会話を試みようとしている相手は、「言語」や「文化」
の異なる「異星人」や「異世界人」なのかもしれません。


「おかしなことを言っている」そう思われたでしょうか?

しかし、人は、自分の脳が「認識」し「認知」する世界、いわば
「認知世界」とでも言うべきものの中を生きているに過ぎません。

各個人の「認知」において「事実」は異なるのですから、もはや
互いに「似ているようでズレた異世界」で生きているとしか言い
ようが無いのです。


「異世界人」「宇宙人」というのは大げさな話ではない。
今「理解し合えている」と思える相手とさえ、互いにズレたまま
「理解しあえていると錯覚」し、たまたまそのズレが今まで問題
となっていなかっただけなのかもしれない。

その証拠に──、

「あれだけ仲の良かったはずの二人が、突然どうしてあそこまで
こじれてしまったのだろう?」そういうことは、しばしば起こります。

ですが、だから諦めるべきだと言いたいのではありません──、

そに居るのは「言語」や「文化」が微妙にズレ、あるいは異なる
かもしれませんが、理解しようと努めれば、知能のある相手であ
るわけで、しかも、相手もコミュニケーションを求めてこの場に
来ているのですから、決して「異文化交流」ができないはずはな
いのです。

今回、不幸にも「加害者(この言い方は私も好きではありませんが)」
となってしまった方についても、私がお話を伺うなどして
調べた限り、「攻撃の意図」や「悪意」があったわけではなく、
自分が「パターンに対し疑問を呈する」という内容を読者により
注目してもらうため、よりセンセーショナルで面白く受け止めら
れるようにと選んだ書き方に、相手方の感情面への配慮が足り
ず、このようなことになってしまったということで、「想定して
いなかった」、「故意では無かった」ということでしたが──、

(もちろん「書かれてしまった側」のご本人とそのご友人には、
このように書きますと「故意で無かったからどうなのだ!」と
ご不満もおありでしょうが、私の論旨はそこにはないことを、
どうぞご理解いただきたい)


もしここに──、
「宇宙人とファーストコンタクトするような慎重さ」で、という
配慮が入ったら、結果はどう違っていたのでしょうか?


下手したら宇宙戦争にもなりかねない、地球の命運を決めるよう
な外交です。

これは「たとえ話」ですが、決して「ただのたとえ話」ではあり
ません。

私たちは、同じ「言語」を使い、同じ「国」に住み、同じ「釣り」
を愛する仲間なのかもしれません。しかし、そこにこそ油断がある。

それぞれがコミュニケーションに用いている言語は、一見同じ
ように思われても、そこに含ませている概念は、実は異なって
いるはず。


一つの「単語」にあってさえその現状なのに、つなげて文章に
すれば、それを書いた者と読んだ者、双方に生じる齟齬(そご・
くいちがい・ズレ)は、さらに大きなものとなることでしょう。

われわれ一人一人がすでに程度の差はあれど、「言語」も「文化」
も異なる、「宇宙人」なのです。

ですので私たちは──、

「宇宙人とのファーストコンタクトのような慎重さで」
今後、新しい交流の形を探して行ったり、議論を重ねて行くとい
うのはどうでしょうか?


※「砕けた表現」が決して許されないというのではなく、ログや
コメントを投稿する前に、相手の立場や気持ちになって再度読み
返してみるということです。自分だけが一方的に「面白い!」で
は今後も同様の問題は起き続けるでしょう。


※常にこの「一文」が、「宇宙戦争」に発展しかねないという
気持ちで!(すでに「ごく仲の良い方」相手なら良いのですが、
「親しき中にも礼儀あり」などと申しますので)



─────────────
▼「おわり」に
─────────────
私のような者に、当初より何らかの「使命感」があったわけでは
ありませんが、偶然にも双方の方の主張についてお話を伺うよう
な機会がありました。

お話を伺ううち、今回の件は顔の見えないコミュニケーションの
あり方について、もう一度考え直す機会を、私たち全員に与えて
くれるものであると、強く感じるようになりました。

これらは当初より書き溜めていたものですが、果たして公表すべ
きであるのか悩みました。しかし、今後を考える上での示唆も多
く、悩みぬいた末に、風化させぬよう、振り返れるよう、このよ
うな形でログとして公表させていただいた次第です。

ですので、これを読まれて不快に思われる方も少なからずあるか
と思いますが、少なくとも特定の個人に対し攻撃したり苦言を呈
するなどという意図は、全く無いものであるとご理解いただきたい。

繰り返しになりますが、その件自体について、おこがましくも何
か苦言を呈するだとか、どちらか一方を擁護したり、攻撃した
り、特定の個人を吊るし上げようなどという意図は全くありません。

ただ、状況を知り、かつ双方と利害関係の無い「純然たる第三
者」として、今回の件には、行き違いの発生原因について多くの
「示唆」があった気がしますので、今後「fimo」がさらなる交流
の場として発展していく「礎(いしづえ)」になってくれたらと
の想いから、書き残しておくものです。


なお──、

文章表現が下手で、誤解を受けるような書き方を含むかもしれま
せんが、決して「悪意」など無いものですし、ご指摘いただけれ
ば、それを謝罪し改めることも致します。

(ただし、私は十分な調査を行った上でこれを書いていると自負
しております)



───────────────────────
▼「おわり」の先に望むもの
───────────────────────
お目汚しついでに、この場で私の願いを述べさせていただきたい。
 
私は──、

せっかくこうしてアングラー、同好の士が集う場なのですから、
お互いに尊重しあって意見交換できると良いと心より思っております。
 
その上で、議論あり討論ありで、単に魚が釣れた/釣れないに止
まらず、それぞれのアングラーの皆さんは探求者であり研究者で
もあるのですから、有意義な検証結果や魚の行動データが蓄積さ
れていくような、アカデミックな場になって行ったら理想です。


そうなれば、このSNSの存在価値もぐっと高まって行くのでは
ないでしょうか。
 
ただ、皆さんそれなりに譲れない持論がおありでしょうし、それ
ぞれの持論は、皆さんそれぞれの経験に基づくものなのでしょう
から、ぞれぞれ皆さんの中では正しい訳で、そうしますと、「正
しい」と「正しい」は時に激しく反発し合うものですから、果た
して最後まで理性的で冷静な状態で意見交換、議論・討論ができ
るのかというところに課題があるように思うのですが、相手を侮
辱したり貶めたりせずに、本当の意味で忌憚なく意見交換でき
る、「理性ある大人同士の交流の場」としてこの先、発展して行
く必要があるでしょうね。
 
(私はこう思っているのだけれど、相手の言う、そういう考えも
あるんだなと。尊重し合うことですよね。そこには善悪も優劣も
無いわけで。別に経験が足りないことからくる無知があったり、
間違いがあったとしても、それは責められるべき「悪」では無い
のでしょうし。むしろ「正しいもの」同士こそ、お互い譲ること
ができず、激しく傷つけ合ったりするのだと思いますので。「私
の意見は絶対に正しい!」ではなく、「私はこう思っているけ
ど、違ってたらごめんね♪」くらいにしておいた方が、みんな幸せ
になれるのかも知れませんね)



以上、突然の意見表明、大変お目汚しでございました。
私もたびたび他の方とトラブルを起こしている身です。本来でし
たら、このようなことを申し上げられる立場に無い。ですが、偶然
にも、今回の件について経過を観察する機会があり、その中で
感じたことを、自身の反省とともに、書き溜めておりました。自分
のことは見えにくい、しかし、第三者のことであれば、「人の
振り見て我が振り直せ」の言葉もあるように、人は「反省材料」
とできるのです。おそらくこのログを読まれ不快に思われる方も
あることでしょう。それを考えると果たしてこのログを上げるの
が正しいかは分からない。ですが悩みぬいた末に、あえて私は
これを公表することに決め、皆さんの「善意」に託します。

 
────及川ザッコ
まあ、このログに「宇宙人とファーストコンタクトする時のような慎重さ」
が果たしてあるかと問われると、正直、疑問でしかありませんが。
 


P.S.
──────────
▼まとめ(黒)
──────────
「悪人は居なかった」と書いていますが、私が「性善説」の立ち
位置か?と問われますと、それもちょっと違うのです。第一、
私自身、たびたびトラブルを起こしているのですし、偉そうな
ことを言えるはずが無いのですが・・・

例えば──、

 
人間関係につまづくと、思わずこうつぶやくかもしれません。
「世界中の人が、みんな『善人』なら良いのに」

 
では、「善人」とはなんであるか?
ここに食うに困って、やむにやまれず盗みを働いた人がいるとします。

それを見咎め、通報するのが「善人」なのか?
それとも、そっと見逃してやるのが「善人」なのか?

 
財物の所有者からすれば、通報してくれた方が「善人」でしょう。
法的に言ってもそうかもしれない。

 
しかし、食うに困ってどうしようもなくなって、盗みを働いた人
から見たらどうですか?
見逃してくれた方が「善人」かも知れない。人には生きる権利も
認められていますし、飢餓の程度によっては、「緊急避難」の
適用もあり得るかも知れない。

 
結局「善人」とは、多くの場合、「自分に都合の良い人間像」を
言っているに過ぎないのではないでしょうか?

 
「相手が『善人』なら問題は起こらないのに」
それはおそらく、自分に甘い、都合の良い理屈なのです。

よほど自分自身を批判的に見られる人間でない限り、「善人」
とは、自分に対し優しく、自分に対し理解があり、自分に対して
寛容で、自分に対しひどいことを言わない、そんな都合の良い
「人間」のことを言っているのではないでしょうか?

 
では、逆にあなた自身は、相手にとっての「善人」ですか?
相手に対して十分な「寛容さ」を持ち合わせていますか?

 
相手が自分と共通する認識を持つ。相手が自分のことを理解して
くれる。あるいは自分を受け入れてくれる。
それは甘えであり、傲慢であり、お互いの間にあるその「認識の
ズレ」が、多くの場合「衝突」を生んでいるのです。
あなたが相手を、「自分に都合の良い『善人』と置く」そのこと
こそ、相手を苦しめ傷つけているのかも知れません。

 
だから私は、相手に対し「善人」であることを期待しないで、
言葉も文化も住む星さえも異なる「宇宙人」であると思った方が、
建設的なのではないかと申し上げたのです。

なぜならその方は、あなたとは「別の現実」「別の世界」を認識
しながら生きているのだから。
そういう意味では「異世界人」と言っても良いかも知れない。
しかし、努力次第では「宇宙人」「異世界人」と意思疎通ができない
とも限らないのです。


────などとシニカルなことを言いながらも、私自身、人の
「善意」に期待したいと思っている者の一人、人と人とがもっと
上手く分かり合えたら良いのにと、願う者の一人なのですけどね。

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