♯20 自分にとってのルアーフィッシングの原点(神童ナカジマ君2の2)

前回は、神童ナカジマ君の野池バス100本釣りのお話。今回はその続きとなるが、今あの出来事を思い出すと導き出されるルアーフィッシングにおける1つの結論について書いてみたい。

神童ナカジマ君事件が起こったのは今にして思えば小さな野池で、小学生のキャストで池の半分から1/3くらいはカバーできるくらいの規模感だった。当時の両軸リールでナイロンラインしかない時代、小学生が使うラインと言えばクインターの3号とかでお世辞にも飛距離特化とは言えない。そんなタックルで6cm前後のフローティングミノーが届く距離といったら、せいぜい30m前後、長く見積もっても40m前後だろう。そこで冷静に考えてみると、そんな野池が抱えられる魚のストック量と、実際に釣れる量が全く釣り合わなかった。まして、場所も足場の良い護岸から移動していなかったため、ほとんど同じ場所にキャストして釣りをしていた。つまり何が言いたいのかというと、同じ魚が何度も釣れなければ成り立たない釣果だったのだ。

これは、ルアーフィッシングにおいてカラーやレンジ、アクションを嵌めたとき、「スレ」が軽微な影響に成り得ることを意味している。

確かに反応は悪くなった記憶はあるが、それでもブラックバスが何時間も釣れ続けたのだから「スレ」なんて無かったようなものだろう。止水域の釣りにおいては、潮汐による流れの影響は無いと言えるし、餌となるベイトが少なかったということはあるだろうが、だからといって何度も釣られてくれることはあるのだろうか。

「スレ」をものともしないような経験は、プロトルアーのテストでも経験した。フルキャストの半分にも満たない川幅の小さな橋脚明暗でシーバスを1本掛けたあと、まだ出せると思い間髪入れずに友人に場所を譲ったが、その後30分ほど様々なルアーを色々な角度で通すも一度もコンタクトが得られなかった。友人曰く「さっきの1本で場がスレたか、真冬の明暗の貴重な1本ストックだったのでは?」とのことだったが、自分もブラックバスでの経験を忘れていたので同じように感じていた。

ところが、

念のために自分がさっきと同じような角度で同じルアーを通すと、立て続けに4本釣れたのだ。真冬の小場所明暗で4本も出ると、流石に急に魚が湧いて出てきたというよりは既にそこに居たと考えるのが妥当である。30分続けた友人のルアーキャストの直後に自身が釣れたことから、急に食いが立ったと考えるのも無理があるし、2本目のファイトで更に場荒れがあっても続けて3本釣れたことが「スレ」の影響の少なさを証明している。つまり、シーバスでも同じことが起こったのだ。

いつもそうだとは言い切れない。

その意見には心から同意する。大型の個体ほどこういった事には敏感であろうし、経験によって食欲を我慢できる(スレる)個体がいても不思議ではない。橋脚明暗でシーバスを攻めるにあたっては手前から奥へ、上から下へ(大きい個体は下にいることが多いので逆が良いという意見もあります)攻めるのは大切だと思う。また、場を休める事で散らしたベイトを集めたりする事も有効であることは間違いないだろう。しかし、ブラックバスと同様にシーバスにとっても「スレ」が許容される状況が確実に存在する。秋爆は言わずもがな、真冬のハゼパターンやバチ・アミパターンのように偏食している状況の小場所で爆釣を経験した人も多いだろう。これは、シーバスのストック量が多く同じ個体が何度も釣れている訳ではないが、ルアーのサイズ感やアクションがばっちりハマっている状況であれば、どんどん抜いていっても次から次に釣れてくれる。つまり、食欲が「スレ」を凌駕するということだ。であるならば、掛けた1本をゴリ巻きして焦って引き寄せるようなファイトをするよりは、安心して魚とのやり取りを楽しみながら大切に取り込むことに集中する方が釣りの楽しさが増すと思う。

とまぁ取り留めのない話になってしまったが、魚を釣るために考えたこのような仮説を証明する作業こそがルアーフィッシングの真髄であり楽しさの原点だ。風が吹けば桶屋が儲かること然り、釣果を得るために辿った道を含めて釣りの楽しみなのだと思う。神童ナカジマ君に連れてこられたこの道は、既に通った道もこれから行く道もよく見えないが、少しずつ歩きやすくはなっているらしい。

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