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電子媒体への依存

  • ジャンル:日記/一般
前にも少し書きましたが、facebookを始めました
 
じつは、正確に言うなら「始めた」ではなく「また始めた」なのです。
 
かなり昔に一回アカウントを取ったのですが、その後放置しておいたらアクセスできなくなり・・・
オマケに「成りすまし行為は禁止されてます」とか出ちゃったもんで、メールアドレスを携帯にして再度始めたという事になります。
 
早い話しが、パスワードを忘れたという事でw
 
友人に聞くところに、facebookの友達申請は、fimoのソル友申請より軽く考えて良いと教えてくれました。
情報も在る程度は垂れ流しの、お気軽な感じでやってます。
fimoとの層別は、文章の量で(爆)
 
硬い挨拶抜きで、お気軽に友達リクエストなど戴ければと思います♪
 
 
さて、SNSだとかノ話になると、色々と懸念される方も多いでしょうが・・・
日本人が情報の相互性と共有感を好む事について、あるクリエイターは、「日本人の好む湿度」と表現していました。
 
曰く、つながっている事への安心感は、農耕民族であり多湿地域に住む民族が、やがて得た文明によって稀薄になったコミュニティーを望む方向性にマッチすると。
 
確かに。
 
ものすごく当たり前の事なのですが、昔は声が届く範囲が「安心できる範囲」であり、狩で野山を駆けずり回る時代、声は最も有効なコミュニケーションの手段だったはずです。
やがて火を操る事をしった人間は、様々な方法で「相手に伝える事」を覚え、コミュニティーは広がったのでしょうが・・・
 
恐らく、その段階で農耕民族のほうが「生産を守る」と言う方向へ向き、狩猟民族は「資源を奪う」と言う道へ進んだのではないか。
また、そこに生まれた宗教観による違いも、そんな気がしています。
 
そして現在。
民族性も宗教観のヘッタクレも無い日本に生まれたのですが、コミュニティーの稀薄さだけは痛感していて、そもそも、「人間一人当たりの生涯情報処理能力」はある程度のキャパが決まっており、けっきょくは広げても薄くなるのは当たり前だと思ってます。
 
人の進化が、自ら生み出した道具の進化に追いついてない。
 
断片的に入る情報に一喜一憂してしまうのも、やはりそういう部分が大きいのではないだろうかと。
 
幼稚園の我が子が、「○○ちゃんとケンカした」と言って来たとき、私は「どうして喧嘩になったの?」と聞くと、「だって、僕の事をキライって言ったんだもん」。
 
その断片的な言葉。
 
大人になると、その「キライ」には、何が在るのかを必ず考えます。
そして「人はみな違う」という事を知っているので、許容の範囲を必ず個々に持っています。
 
全部が全部好きとかありえない。
大好きな人が気に食わないことも言う。
だけど、総じてその人を、その人がやって来たことが好き。
 
だから、大人になると、立ち位置を確認しながら、コミュニティーの範囲を自分で作っていきます。
 
ところが、高度な情報伝達の手段である電子媒体を用いた世界になると、とたんにこの線引きが「幼稚園児以下」になっていることが多いのは滑稽なことです。
 
広く薄いコミュニティーでの言葉が、そのまま人の感情を揺さぶる。
コレではまるで、その世界では別人格を持っているようですね。
 
昼の顔と夜の顔に戸惑うのも、ちょっと馬鹿らしい話しでしょ?と。
 
思考は言葉によってなされます。
ですから、整理されてない文章には、その人の人柄が表れる。
 
その人柄すら、じつは日々の生活の中で変化しているのですから、受けて側はその部分を承知してインプットするほうが良いです。
 
私もよく、思いがけない言葉を受ける場合がありますが、それが本人からなら良いのですが、回り回ってくると中間の人の思考と言う尾ひれが付くので、ある程度精査しながら受けることにしています。
 
噂なんてもんはそんな物。
まぁ、あんまりにも多くの人から同じ事を言われると、それは本当だったりもしますが(笑)
 
農耕民族云々の前に、島国根性が抜けないのね・・・って話しでした(爆)
それを湿度と現した人は、さすがだったなぁ。。。
 
そもそも、人間性の一部しか露呈しない電子媒体での繋がりに絆なんて生まれないし、それを大手振って仲間面しながら商売掛ける気にはなれない。
 
ただ、切欠として知り、リアルに会うことで、少しずつ絆を作ることは出来る。
fimoもfacebookも、インターフェース以外の何者でもないですね。
 
そういう部分を見違わずに、適切に自分の中で処理していきたい物です。
依存しすぎず、便利に楽しみながら♪

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