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村岡昌憲

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11月25日   T.S.S.T.クラシック

2001年11月25日 -TSC最終戦-
 
 
 
 
 
今回はTSC。ボートシーバスの大会である。
 
昨年にフル参戦して情けない限りの結果しか残すことができなかった。自分に自信をなくしてしまうと同時にエントリーの仕方やボートポジションなど色々な事を学ぶことができた。
 
特に下の2つ。
 
僕の釣りのポテンシャルを十分に発揮するには僕自身が操船しなければならないこと。
 
同時に他のアングラーが乗っていないこと
 
の2つが満たされなければ年間1位2位の葉多埜氏と森田氏にはとうてい及ばないだろうと。
 
 
 
また、僕はボートを持っているのだけど、一緒に所有しているメンバーがTSCの実行委員と言うこともあり、僕自身が1人で操船して出たいというわがままが言えない。
 
うちのメンバーと一緒に出るってこともありなんだけど、うちのメンバーもなかなか上手だ。魚に対するビジョンも似ている。どうしたって魚を分けてしまう。メガバスチームの児玉氏と離れたのもそういう理由だった。
 
同時に、周囲の期待がいつもプレッシャーとなってのしかかるこのTSCでは、楽しんで出られればいいというプレジャーボート的な考えはどうしてもできなかった。
 
だったら勝てない試合には出ない。そう決めた昨年だった。
 
 
 
 
 
そんな状況なので今年は正直あきらめていた。
 
 
 
 
 
しかし、第1戦に幸運にもアングラーズスタッフから船を借りる事ができて、次々と襲うトラブルを乗り越えての優勝。
 
第2戦は出るボートが無くお休み。
 
第3戦は一緒に所有しているメンバーが出られないということで僕のボートで参戦。いいサイズの魚を揃えたものの涙のデッド判定。
 
4.5戦も出る手段無く、お休み。
 
残るは最終戦のみ。
 
 
 
その最終戦を1ヶ月後に控えたある時期。チャーターボートの隼虎さんからお声が掛かった。
 
隼虎さんは僕の人生におけるビジョンの延長線上にいる様な人で、生き方とか考え方とか、いつもこうありたいというか思ってしまう人。とても尊敬している人なのだ。
 
最近はボートシーバスにどっぷりはまりこんでチャーターまで始めてしまったのだけど、その流れの中で隼虎さん自身が釣りを十分にしてないような感じをHPから受けていてそのあたりが心配だった。
 
よく言われる横浜的なボートにはなって欲しくない、っていつも思っていた。
 
REALの森田氏のような展開力&吸収力のある釣り、言葉では表現できないのだけど、そういう釣りをさせてくれるキャプテンになって欲しい。
 
アングラーとして一流でないとキャプテンとして一流にはなれない。
 
機会があれば僕自身の持っているビジョンを見せたいっていつも考えていた。
 
同じ時期に東レのファイトフィッシング(12月5日放映。見てね。)の取材もあったので一緒くたにしてお願いすることにした。プラも合わせれば何回かは一緒に釣りができる。
 
 
 
そんなこんなで撮影日の1週間前にプラクティス。
 
船見てびっくり。
 

 
 
むちゃくちゃにカッコイイ!!
 
 
 
この日は鳥山撃ち。80センチも出て大満足。
 
しかし、その後のストラクチャー撃ちで僕と隼虎さんのポイントに対するビジョンの食い違いが非常に気になった。
 
食ってもらう釣りと食わせる釣り。そしてもう一つ、食わせているつもりでも食ってもらっている釣り。
 
その違いを知らなくてはいくら説明しても理解はしてもらえない。
 
経験あるキャプテンならそれなりにプライドがあるだろうから、その操船方法を否定することができないけど、隼虎さんはまだキャプテンとしては若い。
 
それに何よりふところが広い。
 
ここは隼虎さんのふところの広さに甘えさせてもらって、撮影と大会を前に僕のビジョンを理解してもらえるよう色々とお願いをした。同時に大会は僕自身のビジョンで操船してくれと。
 
ボートまで出してもらっている身分にも関わらず、こういうお願いをするのは傲慢だということは百も承知。
 
でも、それが無ければ勝利は無い。そんな信念があった。
 
 
 
で、ファイトフィッシングの取材は基本的に隼虎さんのビジョンで操船してもらって、僕はアングラーとして集中し、絵になるサイズを撮った。そして隼虎さんのビジョンの理解をした。やはり隼虎さんは横浜的なボートの流し方をする。それが間違っているとかではないんだけど僕とは違う。そういうこと。
 
その後に更に打ち合わせ。僕が見ている魚、そしてその魚を獲るためにキャプテンが何をすべきなのか。
 
 
 
 
 
そして前日の朝にプラクティス。これは僕のボートで出撃。隼虎さんは通常のガイドで出撃。
 
僕は湾奥と千葉方面を色々と回る。とにかく渋い。魚がまるっきり見えない。たまにポツリと出るけど、このポツリに頼った時点で敗北は見えている。トーナメントは3本確実に揃えてなんぼ。
 
まずは揃える。そこからサイズアップである。
 
で、結局昼過ぎまで走り回ったにもかかわらず湾奥から千葉~袖ヶ浦にはまともなキーパーサイズの群れを見つけられなかった。唯一良かった沖のバースがあったが、そこだけで勝負するのは非常に怖い。際だって釣れていたので他のボートも当然目を付けているはずである。バッティングしたら終わりだ。
 
と言うことで僕は魚を見つけられなかった。確信を持ったのは湾奥では勝てない、ということ。
 
川筋は雨がしばらく降ってないのでどうにもイマイチ。サイズがいいんだけどリミットが揃うかと聞かれたら多分無理。大きいの1~2本では勝負にはならない。やはりまず揃えたい。
 
そこで隼虎さんからガイド終了の電話。
 
渋々でなかなか魚を出せなかったけど、1ヶ所の穴で結構な数の魚が追ってきたらしい。そこそこいいサイズも見えたということだけど、潮が激澄みで全然口を使わないと。
 
お客さんのレベルはわかんないけど、自分なら釣れる。そう勝手に思うことにした。
 
ポイント決定。
 
 
 
 
 
で、当日。
 
5時にスタート。
 
一路横浜へ向かう。1時間で到着。すでに明るくなりかけているがまだ早い。
 
少しタンカー狙いや明暗狙いで攻めるものの本当にバイトがない。横浜もまともな攻め方では魚が出ないのか。
 
7時になって今回狙っていた穴を攻める。
 
が、追ってこない。魚がいない?
 
昨日ここに魚がいたのは確かだ。でもいない。
 
魚が出たことも考えられるけど、この一帯は結構水深が深い。朝マヅメ、ベイトを追って潮当たりか風当たり側に移動している可能性がある。
 
と、言うことで僕が指さしたのは100m程先にあった船。
 
あそこを攻めてみよう。
 
今思えばよくそう思ったと自分でも思ったんだけど、そん時はそのポイントが魅力たっぷりに見えたのだ。
 
 
 
 
 
船の近くについてポイントへの入り方まで隼虎さんにお願いする。
 
快く了解してくれる隼虎さんに感謝の言葉もない。
 
入った後にもう一つお願い。
 
「ここで1分間は船を1mの範囲で止めておいてください。」
 
 
 
ボートを操船したことがある人ならこれがどんなに難しいか分かるだろう。
 
しかし、これを簡単に操船し、しかも釣りまでしてしまうのが年間チャンプ1位と2位の2人なのだ。2年連続でワンツーフィニッシュというのは決して運や偶然なんかではない。全て実力が反映されているのである。
 
でも、隼虎さんほどのレベルなら操船に集中すれば十分に可能な今日の風。ここ一番、1分間、船を止める。止めると何ができるのか、それを隼虎さんに見せたかった。
 
冒頭に書いた横浜的な釣りというのは船が常に動くボートのこと。流しても釣れる魚もいるけど、流したら釣れない魚はもっとたくさんいる。それが獲れるから2人は強いのだ。プラも撮影時も隼虎さんは流す釣りをしていた。
 
止める釣り。その世界を知って欲しかったのだ。
 
そして船が止まった。
 
 
 
 


その2へ続く

 

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