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村岡昌憲

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定例会

初めての定例会



定例会の会場については、会報を送る際に亀戸の居酒屋に決まっていたのだけど、今後の方向性については色々と議論をした。

なぜかというと、社会人サークルはそれなりの人数になれば、当然事前に場所を予約しないとだめなのだけど、居酒屋の求める宴会2時間までルール(東京では良くある話)や、人数の確定は前日まで、といった条件があると絶対に幹事の苦労が絶えず、続けることが困難になっていくというのが明白であったからであった。

そこで、第2回以降の定例会の開催店を決めるべく、居酒屋チェーンではなく、家族経営で大きな個室を持っている居酒屋を中心に探し回った。

その最中に亀戸縄のれんという店の女将さんと出会い、直談判をしたのだった。



決まった条件は、

・毎月第一金曜日の夜に必ず2階のお座敷を貸し切りできる(40~50名収容)

・料金は食事と飲み放題付きで5000円/人。

・人数は前日におおよその人数を決めて、その後の増減は不問とする。


僕らにとってはとてもいい条件をもらって、その後、この店はこのサークルの聖地となっていく。

ここの女将さんはその後、本当にお世話になった。




なお、女将さんの急逝後、亀戸の縄のれんは無くなってしまう。

しかし、兄弟が経営する錦糸町店が今もあり、僕は恩返しもかねてよく通っている。






そして、もう一つ。

サークルの代表や係を決めようということになった。

これは、言い出しっぺの僕でも良かったのかもしれないけど、当時僕より3つ年上だったY氏が適任だろうということになった。

僕は得意の文章と写真を生かして、会報係をやることになった。

他に会計や人事とかを決めて、サークル初期運営陣の概要が決まったのである。

しかし、これは僕が甘かったと思い知ることになる。

元々は僕が実現したい想いがあり、そこに賛同する人が集まって始まったものである。

しかし、そうだとすれば僕が代表になるべきで、だけど、年上の人がいるということで遠慮して1歩下がってしまった。

これが後で、少し混乱を起こすことになる。

学んだのは、地位や肩書きというのは自分が思っている以上に、人の心を支配し、影響を与えるものであるということ。

そして、自分のビジョンを実現したければ、その地位を決して離すなという事であった。





なお、サークル名については現在も同名で活動しているサークルなので伏せさせていただく。







そして、いよいよ当日。

確か9月5日だったように記憶している。





僕らは30分前にはお店に集合していた。

まるで期待感いっぱいの合コンに出る時のように、みんな少し緊張していた。

僕も新品のTシャツを着ていったんだけど、みんなもおしゃれをしてきていた。

そして時間となり、初めてのメンバーがのっそりとのれんをくぐって続々お店の中に入ってくる。

僕らは元気な声でそれを迎えた。

会では自己紹介や今後の活動の話をいっぱいした。






驚いたのは、女の子はいい子が多かったって事だ。

僕は、当時合コンの幹事もあちこちでよくやっていたんだけど、それに比べてはるかに性格のいい子率が高かった。


「雑誌の小さいスペースに書いてある情報だけで、見知らぬ集団に飛び込んでいく。」


考えてみればわかることだが、かなり勇気の要ることである。

一人で来た子は、誰かと話すしか無いからどんどんと色々な人と話をして定着していく子が多かったし、そんな子にとてもいい子が多かった。

もちろん定着できなかった子もいたけど、それは受け身な性格である子が多かったように思う。


美人の子は、なんだかんだと誰かがフォローして、いったんは定着するかという感じになるんだけど、結局は辞めていく子が多かった。

でも、僕はそれでいいと思っていた。




遊びの楽しさは、自分で遊ぶことであると信じていた。

遊ばせてもらっただけの楽しさより、自ら強い参加意識を持ったり、創り出した楽しさの方が比べものにならないほどエキサイティングだった。

面白いもので、逆に友達と一緒に入会した子は3ヶ月と持たず辞めていく子が100%であった。

周囲に溶け込む、自分を売り込む。

そういうことをしないから、魅力的には見えない。

遊びたいやつだけが集まっているから、つまらない人は本当にほったらかしであった。

遊ぶには覚悟も必要である、ということをまざまざ実感した。



そして、今、会社を経営していて同じ思いをよく抱く。

会社が自分を育ててくれる、頑張っていれば認められる、楽しい仕事がしたい、、、、、。

全て甘い考えだと思う。

自分で育つ、頑張って周囲に認めさせる、仕事を楽しくするよう努力を惜しまない。

こうやっていかないと、何にも手には入らない。

認められるのを待つのでは無く、認めさせるんである。



最近の釣り業界なら、井上友樹君が育っていった過程を見ればわかりやすいだろう。




「自分が楽しむんだと決めるだけなのに・・・。」

サークルに関わる間、そんな想いで多くの入会志願者と退会者を眺めていた。




話はそれたが、明るい女の子がいっぱい入ったおかげで、我がサークルはとても明るい雰囲気に包まれた。

一方、新規入会の男は、おとなしい奴が多かった。

(が、たいてい、そういう奴はいいやつだった。)

男性メンバーは数が少ない事もあり、車を持っている人に関しては本当に助かった。

何しろバーベキュー1回やるのにも何十人も集まるので、車は多く必要なのである。

その助けになるという感じが如実に出やすかった車を持っている奴、それと車は持っていないんだけど参加率が高く、すぐにサークルのルールや暗黙知を覚えて、動ける奴。

そういう男達が残って、サークルの骨格ができあがっていった。





続く





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