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村岡昌憲

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Life第2章1 ~設立準備~

ガキの頃から、遊びは得意だった。

遊ばされるのでは無く、遊びを作る。

誰に教わるでも無く、いつもそうやって遊んできた。

野球でもサッカーでもバイクでもゲームでも、そして釣りでも。



勉強は高校1年生までは授業を聞いていればいい点が取れたけど、高校2年生でついていけなくなった。

だから本ばかり読んでいた。(おかげで文章を書くのが上手になった)

なんでもとことんやって、とことん楽しんで大人になった。


成人しても、その遊び方は変わらない。




少年時代の遊びの原点になったのは毎年のように行った農村でのサマーキャンプだった。

空気より草と木の方が多いんじゃないかという原野みたいなところで、

到着するなり、まずナイフで自分の箸を削って作ることから始まるキャンプ。

大人の手ほどきを受けながらではあるが、生活のほとんど、昼と夜の遊びのほとんどを自分たちで作り出す。

キャンプ場に着いたらキャンプファイヤーの木が組んである、とかではない。

子供たちみんなで木を切り、担ぎ上げて組み上げた。



与えられた炎と、作り上げた炎の差。

子供の頃から、その価値を知っていた。





23歳の時、釣りの連載を書いていた名光通信社の週間釣場速報に務める若い編集者たちと社会人サークルを立ち上げた。

最初の定例会、男5人と女の子2人。

女の子はメンバーの彼女と僕の彼女。

現在、釣り雑誌のSALTY!の編集である近田君やルアマガの安倍君がこの創立メンバーである。(2012年現在の情報)

それから後の大親友となる片岡憲彦。






どんな遊びをしていこうか。




退屈な日常を吹き飛ばす、最高に楽しい遊びを考えよう。

そんな話で毎週どこかで会っては盛り上がり、釣りとアウトドアをメインにやっていくことになった。



「メンバー増やしたいよね。」


インターネットも無い当時、メンバーを募集する手段は限られた。

僕たちは「じゃらん」という雑誌に社会人サークルメンバー募集の広告を出すことにした。

費用は確か3000円くらいしたような気がする。

メッセージはこんな感じだった。

「東京都内で退屈してる方々へ。都内からすぐの距離に自然はいっぱいある。その中で思いっきり遊ぼう!お決まりのコールマンのテントを張るばかりがアウトドアじゃ無いぜ!僕たちは釣りのメディアで仕事してたり、釣りのプロも所属してる生粋のアウトドアメンバーばかりだ。僕らが本当のアウトドアの遊びを教えてあげる。遊びは作るものだ。それが一番楽しい。そして笑顔の自分を取り戻せ!」


自分たちは都会生活に疲れている感覚なんて全く無かったけど、周囲の友人たちから何となく感じていた上手に遊ぶことを知らない人へのメッセージ。

そして、もう一つ忘れちゃいけないメッセージ。


「おっと、僕たちはまじめにやってるので、出会い目的の人はお断り!」




当時はマーケティングなんて言葉は無かったけど、今思うとそれはドンピシャだったんだろう。

掲載の2日後から、入会希望の手紙の送付先である友人の家のポストが封筒で溢れかえる日々が始まった。

驚いたのは、女性からの手紙が8割を占めていたことだ。

自然の中で遊びたい、釣りをしてみたい、前から興味があったけど一人ではできない、などなど便箋に想いがぎっしりと書かれた封筒が毎日のように届いた。

僕らはそれらを読みながら、ワープロで書き上げた会報と入会案内を送り、まだ見ぬメンバーの人物像を想像して楽しんでいた。

僕はその後、このサークルの代表として千人以上の人の手紙を読み、数百人と会うことになるのだけど、文章や字はその人柄を良く表すということをまざまざ知ることができた。





文章とは行間に人柄がにじみ出る。



それは今、経営者として採用活動で履歴書を見る際に本当に役に立っている。


一方、男はというと、真っ赤な愛車の横でピースしている写真とともに自分が乗ってきた車歴を延々と書いてくる、愛車自慢系とか

ずっと前から釣りに興味があるのだけど周囲にやっている人がいなくてこれを機会に様子を見たいです、という遊びに連れてって系とか、

彼女いない歴20年ですが、兄弟は姉と妹がいるので女性の扱いには自信がありますという、そんなこと聞いてねーよな恋愛希望系とかばかりで

思わず返信するのをためらう人が多かった。


彼らに返信を送るのかどうするのか、ということで、創立メンバーで熱烈な議論になった。

当初は応募してくれた以上、返信は必ずするという方針ではあったのだけど、一部の手紙に対して、女性メンバーが「こんな人は絶対嫌だ。」 と、猛反対した。


その声に抑える形で恋愛希望系と愛車自慢系の人には辞退してもらえるような魅力の無さそうなサークルの会報をわざわざ作って送ることにした。(話はそれるが、それでも入ってきたメンバーが後に伝説的な存在となっていくことが多かった)

もう一種、遊びに連れてって系での議論で男子全員一致するところは、



「キャンプや釣りに興味があって、自分で遊べるやつはとっくに一人でやっている」

というニュートンの法則と同じくらいわかりやすい理論により、こいつらが入ると自分たちの手がかかって面倒なことになるということであった。

となると、彼らにも入会を辞退してもらえるように動くべきだったのだが、これらは女性の母性本能をくすぐるらしく、女性メンバーの


「かわいそうだよ-。」



の声に押される形で手紙を送ったりもした。

結局は女性メンバーの意見が強いということであったが、僕たちもまだ経験したことが無い社会人サークルの運営に対して自信が無かったということもある。

無難な路線という方向を選ぶことが多かった初期ではあるが、今思うと面白いやつと出会うチャンスを無駄にしたなと思っている。



やがて月例会の日時が近づき、会報を送った人たちから参加申し込みが続々と届き始めた。

2日前くらいで参加予定メンバーは30人くらいとなった。

なぜか、女性ばかり多くて(姑息な手段が効いたのかもしれないが)23人くらいが女性。

これじゃバランスが悪すぎるということで、急遽地元の男友達3人を呼び入れて定例会の開催となるのだった。

余談だが、この釣りもアウトドアも興味が無い男3人が、後に中心メンバーとなっていくのである。人間とはつくづく面白い。





その2へ続く



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