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村岡昌憲

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一人、また長崎へ。




震災から一年後。

その瞬間を静かに新島で過ごしていた。






震災の直後、津波で壊滅した都市の映像や、次々に爆発する原子力発電所の映像を見ながら思っていたこと。

まったく先が見えない状況の中で、日本経済も僕の会社もどうなるのかもわからない。

自分が背負っているものの大きさに僕がこの難局を背負いきれるのかと考える。

30名弱の社員やその家族、その取引先、次々浮かぶ顔を思うと、逃げ出したい気持ちの方が常にあった。

うちの会社が傾けば、ここfimoだって運営を続ける事ができなくなる。

釣り人のコミュニケーションが、多くのトラブルやマナー問題、そして最後は釣り人を取り巻く問題の解決につながっていく。

そこに賛同してくれて集まってくれた人たち、そんなこと知らなくてもfimoが楽しいと思って日々アクセスしてくれる人たち、その有り難さだって、この震災が吹き飛ばすのかもしれない。

そう思えば本当に胸が苦しかった。






だけど、ここには違うことを書いていた。

2割増しで頑張る。

それしかできない。


その言葉通り、一日も心休めることなく、一年間を走り続けた。

社員もみんな一所懸命に一年間を過ごした。

3月初旬、残り1ヶ月を迎えた今年度の決算予想が出て、僕は膝から力が抜ける様な感覚を覚えた。

本当に厳しく大変な一年間だったと思う。

だけど、ほとんどの数字で前年度越えとなった。

僕たちはまだまだ前に進める。

そう、若い子達に教えてもらった。






17日、僕は1人で羽田空港から長崎へ飛んだ。





先月の釣りビジョン撮影。

9年前にこの地で経験したメーターオーバーキャッチに対する凱旋であったはずの釣りなのに、途中から自分の釣りという軸を見失い、不本意な釣りを余儀なくされる展開。

こんなはずではという想いだけが残った後味の悪い結末だった。

TV取材というプレッシャー、自分の心の弱さ、プロという立場への不安をコントロールできず、、、、、

自分の釣りに対する自信が簡単に崩れ去る。







今まで、何をしてきたのか。

今まで、何を見てきたのか。

今まで、何を釣ってきたのか。










こうなると、ロッドをしばらく置きたくなる様な状況を迎える。

釣りが好きだから、平気だよ。

そう言って笑顔でしらばっくれることは簡単だ。




だけど、釣りが本気で好きだから。



自らの軸すら見失った事実を笑って受け流せない。

鉛のアレイで横腹を殴られた様な痛みはズッシリと自分の心にのしかかる。









そんな時、1人で釣りの旅に行く。

何も背負わない、何も期待しない、何も失わない。

そんな釣りで、僕は一人の普通の釣り人に戻る。






その地を、今回は長崎南部に選んだ。










長崎空港に着くと、さっそくしんやさんのところへ。




俺 「まいどー、いきなりで申し訳ないんだけど、車貸して!」

し 「ええっ?」

俺 「よかよか。」

し 「いや、ダメばい。俺が釣りに行けんたい。」

俺 「しごとしごと。そうそう、この写真に見覚えない?」




し 「な、なんでこの写真を!?」

俺 「君の大きめな友達にもらった。」

し 「ちくしょー、あいつ!!」

俺 「釣り専用車とか言って、悪いことしちゃダメよ。」

し 「ぐっそ~!」

俺 「夏も家族で来るから、貸してね~!」

し 「うききー!」














この車は後部座席の後ろが全てソファベッドになっていて、疲れたら足を伸ばして女の子と
寝ることができる。

まさに釣り専用車ですな。





足を手に入れたところで、一路、長崎県南部を目指す。




しかし、無理矢理借りておいてこんなこと言うのもなんだが、ドアは外れそうだし、タイヤの溝はないし、ステレオも鳴らないし、オイル警告灯付きっぱなしだし、すげーふんぼぼいだけど。



車検通ってるのか心配になったが、気にしないことに。







でも、それもこれもみんな心地よい。

だって、大好きな釣りの旅だから。

海沿いを走りながら、最大音量にしたiphoneのスピーカーから流れるのはCOLDPLAY。

割れた音が、かえって気持ちいいんだ。





PCの方はBGMをどうぞ。










最初のポイントはゴロタの点在するシャローエリアだった。



小潮と潮回りが悪いが、潮位差で魚が差すタイミングを探りながらランガン。


非常に浅いからこそ、潮が速くなる。



シャローエリアなのでシャローフィネスを最初選んだのだが、思った以上に根が荒く、魚もでかいのがいそうだった。

パワーファイト必須ということで風神ADポデローサ100MにブランジーノLBDにして挑む。

が、流れもいまいちしっくり来ないし、ベイトっ気も無い。

ボラのスレ掛かりのみで日没終了。









夜は、居酒屋へ。

地元のfimoアングラーの皆さんが集まるってのでお邪魔させてもらう。

最年長のユッキングさんを中心とした集まり。

どこでもそうだが、みんな最高に釣りバカ。




この日は、凄腕ロンジンカップの最終日。

西日本ブロックで、その時点で暫定1位というノスケさんも来ていて。

無事に1位のまま締め切り。

審査結果はまだだけど、焼酎一気のみでお祝い。



5時間くらい、ずっと釣りの話をしている。

この仕事をして全国を回って、全国の釣り人に会う。

僕が出会った数少ない釣り人だけでも、本当にそれぞれが出会ったらどんなに楽しいだろうかと思うと残念でたまらない。

北海道から沖縄まで、それぞれの釣りがあるけど、最高に気持ちいいのはどこでも一緒。

魚が違っても、みんな同じ想いにやられている。





BlueBlueのサブコンセプトでもある、蒼の記憶。

そう、あの最高の瞬間の、空の蒼、海の蒼、心の蒼。

世界中の釣り人が、それをまた味わいたいと今日もワクワクしている。

fimoで自分の釣り人としての存在を示す。

そこから始まる出会いが、最高の人生を作り出す。

僕はその先頭を走らせてもらっているといつも思っている。



釣り人はどこへ行っても仲良くなれる。


それはもう確信なんだ。












翌朝、僕はとあるシャローへ入った。



満潮からの下げはじめ。

シャローに差していた魚が動き出す潮に合わせて活性が上がるタイミング。

夜明け寸前に降った雷雨によって、少し濁りも出ている様だった。






これなら、デイではなく、ナイトの釣り方で釣っていった方がいいかもしれない。


ウルングマ120を流れの上流側に対してアップクロスにキャストし、流れに乗せながら弧を描いて自分の目の前から回収する感じで投げ続ける。


水深は2mも無い感じ。

15分ほどして、ミノーの側面に流れが当たり出したタイミングで、水面に水しぶきが上がる。

ポデローサがベリーまでねじ曲がるけど、走りが良かったのは最初だけ。


マルスズキ。





20分ほどすると流れが弱くなってきた。

そのせいで、チャンネルだけ潮が流れるというわかりやすいタイミング。

地形変化から出る流れは、本当に読みづらいけど、現場にいればわかりやすいものが多い。


濁りがきつくなったので、フラグマを投入。

デッドスローのU字メソッドでまさに夜の釣りをする。

10投ほどしたところ、U字を描いてまさにフラグマが潜ろうと泳いでいる様なタイミング。


ゴッと出る。







これもマルかな。









その後、流れの筋が遠ざかっていく。

50m先くらいに流れが走ったタイミングで、ニーサンをキャスト。

最初からダウンクロス(追い風だったので)でキャストして、流し込んでいく感じでバイトを取る。

60くらいのをキャッチ。

が、これはデジカメが雨で故障して写真無し。




潮が止まったところで仮眠。




午後の上げ潮は地元メンバーの案内で、上げ潮が当たるワンドのボトムのピン狙い。

写真の様な岩が、水中にも点在しているんだろう。



こればかりは自分の目で見つけることは極めて難しい。

BlueBlueの140mmミノーをリトリーブしながら流し込んでいくと、20分に1発くらいの感じで3連発。

ところが、手前にあるもっさりとした藻ゾーンが交わせない。

水面を滑らせる様に引っ張ってきても、沖で走らせてから・・・みたいなチャレンジをしても

みんな藻に変わってしまってキャッチできず。





が、飛距離、泳ぎともに良い仕上がり具合になってきているのを確認できたので良かった。

(↑結局仕事してる)



最後、手前の潮が完全に止まったところでシーライド30gの逆付け水面引きで2発出たけど、これはヒットには至らず。

が、このメソッドはシャローでは効く。

ヤケクソメソッドなんだけどね。








そして、そのまま夕マヅメ、夜中、朝マヅメと寝ないでひたすら走り回る。


途中、現地のメンバーもひっきりなしに合流してくれて、みんなでわいわいと釣れない釣りを楽しんだ。

出そうな感じのところはいっぱいあったが、魚からの反応は一発も得られなかった。

が、何も背負わない中での思う存分の釣り。

最後は極度の睡眠不足で、ぶっ倒れる様にして寝る。







2時間ほど寝て、また海を見ながらひたすらドライブ。

気の向いたところでロッドを振ってみて、また走って。


そして、しんやさんのところへ戻った。






俺 「車ありがとう。ウェーダー置いてくから取っておいてね。」

し 「穴だらけにしてやるけん」



   

し 「し、しっかり陰干ししておくけん。」






こうして楽しい旅が終わった。

終わってみれば、またいつもの忙しい毎日が始まる。

一所懸命に働いて、一所懸命に釣りをする。

こうして、しばらくは生きていたいものである。




















追伸1
現地で遊んで頂いた方々、最高に楽しかった。
ありがとうございました。


追伸2
一部、誇張表現があります。


追伸3
なつきさんとはもう別れたそうで。


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